第9話 黒邪蛇
「ハァァァァァ!」
ヴォルクが声を荒げながら剣を振るう。
魔剣の刃はヴォルクの意思に従って縦横無尽に駆け回り、予期していない斜め下から迫って来る。
迫る剣を回避し、刃に対して神剣を落とす。
しかし、刃が止まることはない。
「ハッ、もう無理だぜぇ!」
黒邪蛇が動き出す。
神剣で叩いたことによって弾かれた刃が執拗に追いかけてくる。
「なら……」
刃を回避しつつ本人との距離を詰めようとするが、這い回る刀身が俺の動きを妨害する。
仕方なく後ろへ跳んで伺うように周囲を走る。
剣を振って風の刃を生み出すとヴォルクへと伸ばす。
相手が伸びる剣を使うなら、こっちも遠くに届く剣を使うまでだ。
「無駄だ」
うねる魔剣の刃が風の刃が絡め取って打ち消してしまう。
一度は恐怖に囚われて激昂してしまったものの冷静になったことで状況を把握することができるようになったようだ。
風の刃を形成する為に消費した魔力は微量。
その程度の魔力では、魔剣の魔力に囚われるだけで打ち消されてしまう。
「おい、なめてぇんのか?」
「そういうつもりじゃないんだけどな」
人の出入りが多い場所で威力の強い魔法を使えば迷惑になる。だから修理を簡単に済ませられる威力に留めた。
それがヴォルクは気に入らなかった。
威力を抑えているから戦うことができている。
その事実がプライドを傷付ける。
「もういい……そんなことを気にしているなら、気にしたまま死ね」
追い続ける刃をひたすら回避する。
先端の刃を回避したとしても、後ろの刃が大きく唸って斬ろうとする。
相手の攻撃は1本の剣だが、攻撃は一つではない。
「いつまでも逃げているだけかよっ! 所詮、噂は噂なんだな」
「そういうわけでもないさ」
いったい、どんな噂を聞いたのか気になる。
だが、無策で回避を続けていたわけじゃない。
「そろそろ終わりにしようか。それほどの強敵っていうわけでもない」
「へぇ……ずいぶんと言うじゃねぇか!」
ヴォルクの意思に従うように『黒邪蛇』が動いた。
神剣で迎え撃てば弾かれた刃が周囲の地面を切り裂く。
どうやら神剣の特性には気づいているようだ。どんな物でも斬ることのできる剣だが、必ず『斬る』必要がある。剣で叩いただけでは絶対的な攻撃力を発揮することはできない。
それが分かっているからヴォルクも正面から打ち合うような真似をしない。
ただ、それでは致命傷にならない。しかし、それは普通の剣を使用した場合の話だ。黒邪蛇は一度の攻撃で何度も斬ることができる。小さな傷であっても積み重なれば致命傷へと至ることもある。
そういう戦い方に慣れている。
それで、こんな特殊な剣を使っている。
「けど、見えてきた」
後ろへと大きく跳ぶ。
すると、追うように弧を描きながら襲い掛かる。
「予想通りだ」
回避を続けていて分かったが、ヴォルクは視界に頼って刃を操っている。
最初の刃を回避した直後に不規則な動きをした後ろの刃が襲い掛かる。しかし、回避されてしまった刃については直線的な動きしかしていなかった。
魔剣の刃はヴォルクの意思で自由自在に動かすことができる。
だが、それはヴォルクの知覚できる範囲でしか動かすことができない事を意味している。
左へ跳んで襲い掛かってきた刃を回避する。
当然、追う為に刃の先端が軌道を変える。
「まあ、そうなるだろうな」
右斜め前へ跳ぶ。
すると、魔剣の刃が後ろから回り込むような形になる。しかし、俺の体が邪魔をして魔剣の位置を正確に捉えることができない。
「まあ、いい」
刃で刺し貫けば問題ない。
そのまま一直線に突き進ませようとする。
「単純だな」
「あ?」
今、魔剣は大きく迂回して後ろへ回り込んだ状態になっている。
つまり、俺とヴォルクの間に魔剣の刃はない。
「しまっ……!」
ヴォルクも自分の失態に気付いたが遅い。
後ろの刃が貫くまで2秒。普通なら十分な時間だが、俺を相手にするには長すぎる時間だ。
強く地面を踏みしめる。
一瞬でヴォルクの懐まで飛び込むと神剣を振り下ろす。
「も、戻れっ!」
金属のぶつかり合う音が響く。
「へぇ」
思わず感心せずにはいられなかった。
魔剣の刃を全て戻していたら俺の攻撃を迎撃するのは間に合わない。だから必要最小限の刃だけを戻して神剣を受け止めることにした。
短剣程度の長さしかない剣。
それでも全力を込めることで攻撃を防ぐことに成功した。
「……これは予想していなかったみたいだな」
「そうだな」
魔剣の刃を『戻す』時は一瞬で済ませることができる。
そこは予想していたが、こんな方法に頼らなければならないなら俺の心配は杞憂だったようだ。
「今ので終わらせられなかったのは失敗だったな」
周囲にはバラバラに分かれた刃が舞っている。
ヴォルクの合図で一斉に襲い掛かるようになっていた。
「もらったぁ!」
勝利を確信したのだろう。
自分が押さえつけている状態なら防御は間に合わない。だが、元から防御をするつもりはないのだから問題はない。
「あ?」
ドサッと地面に落ちる音が響く。
同時に激痛がヴォルクを襲う。
「があああああああッ! クソ! 何をしやがった!?」
激痛に襲われているヴォルクには離れた場所にある刃を操る力はない。
宙を舞っていた刃も地面に落ちている。
「その魔剣を使いこなせるだけの力を持った強い剣士だ」
ヴォルクは右腕だけで魔剣を振り回していた。
魔力によって操作されている魔剣の刃だが、魔剣そのものを力で振り回すことによって操作した時以上に速く動かすことができる。
それには強い膂力が必要となる。
「なるほど。剣士との戦いに慣れた剣士だ」
これまで多くの剣士と戦ってことが分かる戦い方をしていた。
だけど、俺は剣士じゃない。
分かりやすく神剣を持っていない左手で手刀にして見せる。
「そういうことか」
ヴォルクの左腕を肩から切断したのは風を圧縮して生み出した刃。ヴォルクが魔剣を動かして速く操作していたように、俺も風の刃を放つ瞬間に左手を素早く振り下ろすことで速度と威力を増した。
「お前が戦っているのは剣士じゃない。魔法剣士だっていうことを理解した方がよかったな」
「魔法剣士、だと……?」
魔法を併用する剣士。
できることは多くあるものの、その実力は剣だけを極めた者や魔法を極めた者には及ばない。
剣士の腕を切断する魔法など使えるはずがない。
それがヴォルクの持つ常識だ。
「所詮は器用貧乏だ。けど、元々のステータスが高ければこれぐらいのことはできる」
「クソッ……ルーランの奴は何をしているっ!?」
直後、小柄な女の子がヴォルクの隣に吹き飛ばされてくる。
頭に猫耳の生えた女の子が息を荒くしながら体を起こして、隣で左腕を失くして大量の血を流しているヴォルクを見て言葉を失う。
「あなたも、まけたの……?」