第7話 トレイマーズ商会
レジェンスの東側にある巨大な屋敷。
そこは、武器商人であるトレイマーズ商会の屋敷だった。ただし、その屋敷はどちらかと言えば立て籠もることを前提にした城塞のように堅牢な屋敷だった。
商売柄、傭兵が訪れることもあるが、彼らの多くが要塞のようだと感想を抱く。
屋敷までの道も見て楽しみ、和むような場所ではなく、戦士としての訓練場の如く整備されている。
屋敷の一室に怒声が響き渡る。
声の主は商会主であるトリトン・トレイマーズだ。
「なに!? 冒険者のマルスがレジェンスに入っただと?」
「はい」
その言葉と共に拳が机に叩きつけられる。
見た目は木製の机だったが、その材質はダンジョンから得られる貴重な木の魔物から得られた素材で、通常の机と比べればかなりの強度を誇る。男は、それだけ貴重な物も手に入れられると自慢したく購入した。
だが、拳を叩きつける度に後悔する。
「……っ!」
叩きつけた拳が痛む。
40代も後半に差し掛かる体。若い頃からの不摂生が影響してガリガリに痩せており、実際の年齢以上に老けているように見える中年男性だ。
それでも屈強な傭兵や冒険者を相手にしてきた商人の力は衰えていない。
「何故そのような者がやって来る!?」
「やはり、今の時期が関係しているのではないでしょうか」
「そんなことは言われなくても分かっている!」
報告をしているのは商会主の右腕とも言われる男――長男のパスリルだった。
「落ち着いてください、父上」
「……私は落ち着いている」
息子から言われ、驚きからいつの間にか立ち上がっていた商会主も腰を椅子に落ち着かせる。
苛立った状態で頭を掻くと……パラパラと髪が何本か落ちた。
「くそぅ!」
その光景がトリトンをさらに苛立たせる。
数年前から薄くなり始めた髪は、もうほとんど残されていなかった。
「全ては順調だったんだ」
トレイマーズ商会の商品は武器や防具。
魔物との戦いではどこでも欠かせないし、戦争が起きれば大きな儲けを出すことができる。
大国であるグレンヴァルガ帝国は最大の商売相手で、付き合いを続けることで大きな利益を生み出すことができた。
そんな状況が狂い始めたのは5年前……あるいは10年ほど前の話だった。
グレンヴァルガ帝国の最大の敵国だったガルディス帝国が崩壊した。
国力ではグレンヴァルガ帝国に及ばないものの大国に負けないだけの強い意思がガルディス帝国にはあった。しかし、その行き過ぎた自負心が自国民に歪んだ感情を生み出し、憎しみを向けられることとなり、崩壊することになった。
戦争をするのだから勝敗がつけられることになる。
だが、崩壊してしまうほどの大敗はトレイマーズ商会にとって痛手だった。
「最近の業績は?」
「年々低下しています。もう現状を維持するのも難しくなっています」
大きな戦争がなければ、大きな儲けを生み出すこともできない。
魔物との戦いがあるおかげで全く売り上げがないことはない。それでも、トレイマーズ商会の運営は戦争で儲けることを目的にしたものであるため維持にも莫大な必要を必要とする。
何らかの打開策が必要だった。
「ようやく会長の座に手が届きそうだったのに……」
大きな儲けを出していた時期から会長の座を狙っていた。
当時から根回しを行っており、その時の恩がある者からは賛同を得ることができる手筈になっていた。
彼の計画に狂いが生じ始めたのも10年前。
メティス王国に対してグレンヴァルガ帝国が戦争を仕掛けた。当時の皇太子に協力して武器を安く売り、その後も継続して付き合う計画になっていた。
皇太子が密かに用意していた戦力はメティス王国に対して圧倒的。
しかも、奇襲であったために負ける要素がなかった。
それが……4人の冒険者の介入を機に崩れ去ることになった。
「今の皇帝とはダメだ」
皇太子に協力していた書類もあり、リオからは敵視されていた。
最大の商売相手をトレイマーズ商会は失ってしまった。
それでも、武器を購入してくれる相手はグレンヴァルガ帝国にはいた。とくにガルディス帝国との戦争に悩まされていた北部の人たちは買ってくれた。
リオもその程度のことで文句を言うつもりはなく、どのような相手と取引をしようと放置していた。その程度のことで文句を言っていては皇帝の威厳に係わる。
ただし、ガルディス帝国との戦争が終わり、ようやく訪れてくれた商機である盗賊騒動も落ち着きを取り戻し始めた情報を商品が積まれた馬車を連れた商隊が移動した後で掴んだ。
もう赤字になることは確定している。
「すべては奴らのせいだ……」
ある冒険者パーティに端を発している。
せっかくの機会を邪魔されるわけにはいかない。
「奴らは何をしに来たんだ?」
「目的までは分かりません」
「……使えない奴だ」
「監視をつけたところゲイツ・ギブソンへの面会を希望していました」
「おぉ!」
それまで嫌悪感を露わにした表情が一変する。
「ですが、すぐに商会を出てきました」
「奴が招待したわけではないのか」
もしゲイツが呼んだのなら他に予定が入っていたとしてもマルスとの面会を優先させていた。それだけの影響力をマルスは持っている。
マルスが帰されることとなったのは、マルスの影響を理解しておらず、ゲイツの予定を把握している職員に帰るよう言われたからだった。ゲイツがマルスの訪問したのは全ての予定を終えた夜のことだ。
「会えなかったのなら好機だ。どうにかして帰ってもらおう」
マルスを自分の勢力に取り込めるとは考えていなかった。
レジュラス商業国においてマルスとの繋がりはゲイツが専有していると言っていい状況だった。そのため奪い取るような真似をすればゲイツの勢力との対立が激しくなる。そのような状況は望ましくなかった。
また、グレンヴァルガ帝国皇帝であるリオの懐刀としても有名だったことからリオとの間に繋がりが生まれるのも危惧した。自分から破滅するような事態だけは避けたい。
「どのようにしますか?」
「……方法はこれから考える」
必死に策略を考えるトリトンだったが、妙案が浮かぶことはなかった。
相手は最強クラスの冒険者。仲間にしても全員がSランク相当の実力を保有しているため生半可な戦力では太刀打ちすることができない。
そんな時に見張りが帰って来て、事情を聞かされた。
「なんてことをしてくれたんだ!」
思わずマルスに尋問されて戻って来たばかりの密偵に向かって分厚い本を投げつけてしまった。
密偵は何もしていない。
だが、ウェイトレスによって毒が盛られるところを目撃していたにもかかわらず何もしなかった。
彼の役割を考えれば何かをしてはいけない。
だが、止めることができていれば敵対する事態にはならなかったかもしれない。
「マズイことになった」
これまでに得た情報からマルスの人物像を想像していた。
敵には容赦をすることがない。
襲われた時点では率先して敵対するつもりのなかったマルスだが、圧倒的な力を想像してトリトンは自分たちが潰されてしまうことを危惧した。
「……あいつらを呼べ」
「彼らを使うのですか!? たしかに彼らなら勝てるかもしれませんが……」
トリトンとパスリルが呼ぶ『彼ら』とは、トレイマーズ商会が雇った暗殺者だった。
以前のグレンヴァルガ帝国なら暗殺に頼ったこともしていた。ところが、リオになってからは嫌悪するようになったため、戦力として保有することはあっても積極的に使われることはなかった。
生きていくのに十分な収入は約束されている。
しかし、自分の生活から『殺し』がなくなるのを恐れた暗殺者は次々と帝国を離れ、伝手のあったトレイマーズ商会へと辿り着いた。
彼らが提示したのは最低限の収入。
そして、トレイマーズ商会にとって邪魔な者を消した際には大金を報酬として用意することだった。
「荒くれ者だが実力は本物だ。化け物のような連中が相手でも成果を出してくれるだろ」