第2話 商業国の監視―中―
毒入りのケーキ。酒の匂いに紛れて分からなかったが、注意して見てみれば危険な香りがする。
ただし、普通なら気付かないような臭いだ。
『お前は気付いていたのか?』
『はい。毒よりもウェイトレスに緊張している様子が見られました』
ケーキそのものよりもシルビアはウェイトレスの不審な様子から「何かある」と警戒していたらしい。
不審と言ってもウェイトレスもプロだ。ボロを出すような真似をせず、平静であろうと努めていた。表面上は平静でいられたが、平静でいる為の努力をシルビアには見破られてしまった。
「お、お前……何をしているんだ!?」
店長が慌てる。
飲食店において毒入りの食品が振舞われたなど致命的と言っていい。
「その――」
ウェイトレスが苦虫を噛み潰したような表情になる。
「申し訳ございません! 謝って済まされる問題ではないと思いますが、どうか許してください」
「許すのは構いません」
毒を盛られたのはメリッサだ。
その本人が「許す」と言っているのだから俺が口出しすることはない。
「ですが、どうして毒を盛るような真似をしたのか教えてください」
毒が攻撃なのだとしたらメリッサが狙われている。
4人が暢気に食事しているところへ合流して俺は警戒していなかった。まさか仲間が既に食事している店で毒が盛られるとは思いもしない。
ウェイトレスの少女とは初対面だ。店は何度か利用したことがあるものの最近になって雇われたのか見覚えはなかった。
恨まれるような覚えがない。
メリッサとしては気になって仕方ないだろう。
「……」
だが、尋ねられたウェイトレスは答えない。
代わりにメリッサが判明している事実を述べる。
「随分と巧妙な毒を使っていますね。人を死に至らしめる力はありませんが、症状が現れるまで毒を盛られたことに気付きにくい毒です」
【調合】ができるためメリッサは毒にも詳しい。
「普通は手に入れることができませんよ」
毒薬の調合ができる錬金術師でもなければ手に入れることのできない毒。
そんな物を普通の少女にしか見えないウェイトレスが持っているはずがない。
「――誰から頼まれました?」
「……ッ!」
ウェイトレスが息を呑むのがはっきりと分かった。
ウェイトレス自身がメリッサを恨んで毒を盛った、と考えるよりも誰かに頼まれて毒を盛ったと考えた方が自然だ。
「……」
「言いたくない。いえ、言えないのですね」
「はい」
か細くウェイトレスが応える。
殺人の依頼をされたのだから依頼人について言えるはずもない。
「何か事情があるのでしょう」
「いいのか?」
「少女を尋問するのは趣味ではありません」
「賛成。今のを見ているだけでも可哀想だったもん」
アイラがウェイトレスを気の毒そうに見ている。
「おい」
思わずアイラの方へ目を向けている間にメリッサが毒入りのケーキを口に含んでしまう。
「お客様!?」
「何をしているんですか!?」
店長とウェイトレスが毒入りケーキを食べるメリッサを見て慌てる。
毒が入っていると分かっているのに食べるなど普通は考えられない。
「安心してください」
しかし、毒入りケーキを食べたはずのメリッサはケロッとしていた。
……というか、ちょっと心配している間にケーキの半分近くがなくなっている方が俺は気になる。
「私たちは強いですからね。この程度の毒では体を麻痺させることすらできませんよ」
ステータスの高さから弱い毒では完全な無効化ができる。
おまけに食べて問題があるようならメリッサの場合は【浄化】で毒を消してしまうことができるため、多くの毒が通用しない。
「そもそも殺すのが目的ではないようですから」
依頼者も毒が通用しないことは分かっている。
あくまでも『狙われている』と認識させることに目的があるように思える。
「よほど私たちにいられると面倒なのでしょう」
さっさとアリスターへ帰ってほしい。
「そういうことだったんですか」
ウェイトレスは本当に目的を何も教えられていなかった。
「あの……私はどうなるんでしょうか?」
メリッサは今回の件を問題にするつもりはない。
彼女自身が狙われたわけではなく、後から合流したため警戒心を抱かれない彼女が選ばれただけの話だった。
「さて、どうなるのでしょう?」
視線だけを周囲にいる客に向ける。
同席している相手とヒソヒソ話している声が聞こえ、毒の件について話しているようだった。
もう起きてしまった事実を取り消すことなどできない。
「なんてことをしてくれたんだ!? 悪いが、警備兵に突き出させてもらう!」
「そんな……! 働けなくなったら病気の母が……」
「詳しく事情を聞きましょう」
病気の母、という言葉を聞いてメリッサに代わってシルビアが尋ねた。
ウェイトレスは近くにある村から出稼ぎの為に都市へ出てきた。ようやく就くことのできた仕事だったが、故郷には病気の母親と弟妹がいる。蓄えがあるため最低限の生活を送ることはできるが、病気を治療できるほどの余裕はない。
どうにか仕送りは続けていたが、彼女自身の生活もあるため本当にギリギリを強いられることになっていた。
都会へ行けば楽ができる。
そんなのは成功した本当に一握りの人間だけだということを思い知らされた。
「そういう事情があったのですね」
店の奥で給仕をしていると毒を盛るよう取引を持ち掛けられた。
成否に係わらず大金が渡されたため、ウェイトレスは飛び付くしかなかった。
「さて、取引を持ち掛けた奴にも知られているな」
俺たちを監視していた誰かが毒を盛るよう取引をした。
「気に入らないな」
自分は手を汚すことなく、監視だけに留めている。
店の中に監視者はいない。ウェイトレスの話を聞いていた同情している者が大半だった。
「おそらく依頼人には関係がない話です。貴女がどうなろうと気にしていないのでしょう」
「そんな……!」
「こちらとしても狙われた側なので気にする必要はないのですが……」
メリッサの目がシルビアに向けられる。
シルビアも似たような立場にいたことがあるためウェイトレスのことを不憫に思わずにはいられなかった。
仲間としてどうにかしてあげたい。
不憫なウェイトレスの為ではなく、シルビアの不安を解消する為にも手助けをしてあげたい。
「そうですね――では『ここの料金はサービスにしてください』」
「……はい」
少しだけ目が虚ろになった店長が返事をし、ウェイトレスと共に店の奥へと消える。
店内にいた他の客も何事もなかったかのように談笑を再開させていた。
「おまえ……」
「安心してください、【隷属魔法】ではありません」
「解析するなって言っただろ」
「はい。【隷属魔法】は使えません」
ただし、【隷属魔法】の手前とも言える【暗示】に似た魔法が使えるようになっていた。
被害者であるメリッサが事件などなかった、と言った。同時に【暗示】を魔法で掛けることによって店内にいた客から騒ぎに関する記憶を消した。
効果範囲は店内。まだまだ開発したばかりの魔法であるため、射程は広くない。
「ここが迷宮なら【迷宮魔法】で簡単に暗示を掛けることができるのですが……」
「約束を破ることになるから、これ以上強力にするなよ」
「かしこまりました」
メリッサの手元を見てみれば毒入りケーキがなくなっていた。
「これで証拠はなくなりました」
全員が同時に立ち上がる。
監視されているだけなら放置しておいてもよかったが、向こうから明確な攻撃があった。
もう無視するわけにはいかない。
「仕留めるぞ」