第2話 腕相撲
「何か用ですか?」
酒場の中にいる客の中では俺が一番若い……幼いため俺のことを言っていたのだろう。
ただ、俺が気になってしまったのは見ず知らずの相手からそんなことを言われたことだ。
「何っていうことはない。久しぶりにこの街に来たら子供が酒を飲んでいるじゃないか。しかも周りの大人は誰も止めようとしない。ここは、本当の大人である俺が止めるべきだと思ったのさ」
ニヤニヤとした笑みを浮かべている男。
はっきり言って目的が分からないので不気味だ。
「おい、グレッグ。その辺にしておけ」
ブレイズさんが冒険者――グレッグに注意している。
「俺は15歳だ。酒を飲んで何が悪い」
きちんと法律で成人だと認められているのだから飲酒をしても咎められるようなことにはならない。
20代後半の男性からして見れば15歳なんてまだ子供に見えるのかもしれない。
「これは失礼。だが、見たところ冒険者のようだが俺は君のことを知らないな。新人か?」
俺のことを知らないも何も、俺だってお前のことを知らない。
「そうですね。冒険者になって1年も経っていない者ですが」
「久しぶりにアリスターに帰って来たんだけど、昼間に顔を出したら見覚えのない子供の冒険者が女性を3人も連れているじゃないか。1人の男が複数の女性を連れ回すのは人生の先輩として感心しないと思ってね」
どこかで聞いたような話だと思ったら遺跡で出会ったルフランが言っていたセリフに似ていた。
どうやらグレッグと呼ばれた冒険者もハーレムパーティに嫉妬しているらしい。
当事者としてはあまり嬉しいものではない。美少女を3人も連れていることで絡まれるようなことは少ないが、嫉妬の籠った視線を向けられることは何度もある。おまけにこうして絡まれると対処が面倒だ。
「おいおいグレッグ。マルスの奴が困っているだろ」
「そうだぞ。お前みたいな雑魚が威張らない方がいいぞ」
「聞き捨てならないな」
『雑魚』という言葉に反応してしまったグレッグ。
「お前さんは、それなりに強い。じゃが、儂らに勝つことはできてもお前さんが喧嘩を売っているこいつには絶対に勝つことはできないぞ」
「ほう」
グレッグが酒で体調を崩している俺のことを上から下まで眺める。
やがて俺のことを評価し終えたのか鼻でフッと笑う。
「何がおかしいんじゃ?」
「お前たちの実力は評価していたが、相手の実力を計る力については考えを改める必要があるのかもしれないな。こんな前衛にしても中途半端な体に魔法使いに見えない顔。俺には強いと思えないな」
俺の見た目から強さを判断したらしいグレッグにブレイズさんとグレイさんが同時に溜息を吐く。
その行動がグレッグを苛立たせていた。
しかも酒場の中にいた同業の冒険者もグレッグの言葉を聞いて笑いを堪えていた。アリスターで活動し続けている冒険者なら俺が何をしたのか知っている。
「どういうことだ?」
「お前さんがこいつの実力を知らないっていうだけの話だ」
「そんなに強いと?」
「なら、俺の実力でも試してみますか?」
こういう相手には何を言っても無意味だ。
手っ取り早く俺の実力を示すことにした。
「……今日は武器を持ってきていない」
「まさか、こんな場所で武器を持ち出して戦うわけにはいかないでしょう」
事情を察してくれたのかテーブルで飲んでいた4人が場所を開けてくれる。
「見たところ前衛で力には自慢があるのでしょう」
武器を持ってきていないのでどんな戦い方をするのか予想できないが、グレッグの体は鍛えられており筋肉が付いていた。後衛というよりは、前衛で仲間を守っていると考えた方がしっくりくる。
「腕相撲でもして実力を示しましょう」
「いいだろう」
それなりに自信があるのかグレッグも俺の提案に賛同してくれる。
テーブルに移動してイスに座ると肘を付いて相手の手を握る。
ブレイズさんが審判役を務める為に近付いてくる。
「単純な力対決だから。魔法とかの使用は禁止だぞ」
「分かっている」
「大丈夫ですよ」
そもそも腕相撲をすることを決めたのはグレッグになめられない為だ。
自分から先輩と敵対するつもりはないが、今後のことを考えると侮られたままというのはよくない。だが、勝ちすぎるのもよくない。それなりに拮抗した状態で勝利するのが望ましい。
「準備はいいな――ゴッ!」
ブレイズさんの合図をきっかけに俺の手を倒す為に力を入れる。
けれども俺の腕はビクともしない。表情は力を入れているように見せて力は微々たる量だけを加える。
「なかなかやるじゃないか」
汗を流しながら言われても何も思えない。
「少し本気を出してやる」
さらに顔を険しくしながら力を込める。
ここで俺も力を込めたような演技をしないと盛り上がらないな。俺も少しだけ力を込めたような演技をする。
けれども俺は肝心なことを忘れていた。
今の俺は酒のせいで体調が絶不調。手加減をしながらの腕相撲なんて慣れないことをしたせいで体調が更に悪化した。
「うっ……」
結果、胃の底からこみ上げてくる物を感じる。
空いていた左手を口元に当てて吐き気を抑え込む。
よかった。吐くような事態にはならなかった。
「ぎゃあぁぁぁぁぁ」
だが、左手で口元を押さえると同時に右手にも力を入れてしまったらしくグレッグが耐えられないほどの力を込めてしまったらしい。
グチャ。
吐き気を抑えながらグレッグの手から嫌な音が聞こえてきた。
二人とも同時に掴んでいた手を放す。
「な、なんなんだよこいつは!」
潰れた右手を左手で押さえながら俺のことを睨み付けてくる。
「だから勝てないと言ったんじゃ」
「くっ……!」
腕相撲をすることになった時の言葉を思い出してグレッグが呻いている。
対照的に酒場は盛り上がっている。
「勝つのは分かっていたが、この結果は意外だったな」
「この場合、どっちが勝者になるんだ?」
「勝負自体が無効になったんだから引き分けが妥当なところだけど、どっちが強いのかを考えたらマルスだろうな」
酒場の喧騒を聞きながら逃げ出す。
俺が。
「後のことは、お願い、します」
向かう先は酒場の裏手にある路地。
体調が悪くなって吐かせてもらう時は、いつも利用させてもらっていた。
☆ ☆ ☆
「すいません。こちらにマルスさんがいると思うんですけど」
わたしが酒場に入るとご主人様の隣でお酒を飲んでいたブレイズさんが笑顔で迎え入れてくれます。
「お、ちょうどいいところに来たな」
「こいつを引き取ってくれ」
こいつ――お酒を飲んで体調を崩してしまったご主人様です。
「調子を悪くして倒れたこいつをどうするのか迷っていたんだけど、うわ言のようにシルビアちゃんが来てくれるから大丈夫だって言っていたから待っていたんだけど、本当に来てくれて助かったよ」
実際のところは、全ての経緯を見ていた迷宮核さんに頼まれてご主人様を迎えに来ただけです。
何があったのかはわたしも簡単に聞いています。
ただ、迷宮核さんは笑ってばかりで詳しいことは話してくれませんでした。
「何があったんですか?」
「なんでもない。こいつの実力が分からない奴が絡んできて返り討ちにあっただけだ」
「そ、その人は大丈夫だったんですか!?」
ご主人様が本気で戦えば肉片すら残らない可能性があります。
もっとも、酒場が綺麗な状態で保全されていることからその心配は杞憂です。
「右手が完全に潰れちまったな。高価な治療薬でも使えば元に戻る可能性はあるから気にする必要はないって伝えておいてくれ」
「そうですか」
『それだけじゃないんだけどね』
全てを見ていた迷宮核さんが教えてくれます。
どうやら吐いて戻って来た後で寝込んでしまったご主人様の姿を見て無事だった左手で殴り掛かったらしいのですが、寝ている間こそご主人様に攻撃してはいけません。起きている間は手加減してくれるからこそ五体満足でいられますが、寝ている間に手加減などできるはずがありません。
結果、防衛本能に従って体を動かした相手をボコボコにしてしまいました。最低限の手加減はしていたようで生きてはいるみたいです。
「これからの季節は外からアリスターにやってくる冒険者がいるからこういう奴が増える。シルビアちゃんの方でも手加減するように気を付けておいてくれ」
「はい。分かりました」
「マスター、勘定を頼む」
ブレイズさんがマスターにお金を支払ってご主人様の体を背負おうとします。
「背負って家まで連れて行くのはいいんだけど、シルビアちゃんたちが住んでいる家がどこにあるのか分からなかったから案内してくれる人が来てくれたことは本当に助かったよ」
どうやら、女のわたしに運ばせるわけにはいかないとブレイズさんが背負ってくれるみたいです。
けれども、わたしの仕事を誰かに譲るわけにはいきません。
「大丈夫です。マルスさんは、わたしが連れて行きます」
ひょい、と寝ているご主人様の体を抱き上げます。
そう、以前にわたしにもしてくれたことがあるお姫様抱っこです。
あの時からわたしも成長したものです。
「さすがはマルスの仲間だな」
「色々とありがとうございました。では、わたしは家に連れて帰ります」
ブレイズさんに別れを言って酒場を後にします。
腕の中には、ご主人様の重み。
ご主人様の世話だけは誰にも譲れません。これこそわたしなりのワガママです。