第27話 VS夢魔 ④
「――来た!」
首都を覆うことのできる結界。
海月に認識されて破壊されては困るため、今は探知能力を優先させて展開してもらっている。
そして、その結界の権限を一部だけ譲ってもらった。
おかげで誰かが侵入するような真似をすれば、すぐに分かるようになっている。
本来は海月の侵入に逸早く気付く為のもの。そこに海月とは全く違う存在が引っ掛かった。
対象を捉えることはできていない。だが、侵入したのは間違いない。
「――【世界】」
首都の時間が停止する。
「邪魔」
「な……!」
停止した世界で眷属のものとは明らかに違う声。
声が聞こえた直後、結界が破壊されてしまう。
「ご主人様!」
「シルビアか」
「彼女が来ました」
「彼女?」
侵入者は女性?
「見えていなかったんですか? どうやら彼女が裏で動いていたようです」
シルビアから侵入者が誰なのか知らされる。
「……そう言えば、すっかり忘れていたな」
この5年の間、彼女の事を思い出すことはなかった。
てっきり一緒に消滅したものだとばかり思っていたが、無事だった『彼女』が裏で色々と画策していたようだ。
☆ ☆ ☆
「知らない」
封印を解いた相手を知らないと言う夢魔。
ノエルが怪しんで目を細める。
「本当だ。気付いた時には、外に出ていたんだ。依り代にしていた肉体は長期間の封印で使い物にならなくなっていたから、解放されただけなんだ」
夢魔は本当に知らない。
「大丈夫。向こうの方から来てくれたみたいだから」
「は?」
顔を少し上げるノエル。
誰かの到着を待つような仕草に夢の世界の支配者である夢魔が呆然となる。
やがて、真っ白な髪をした美女が滑り込むように夢の世界へ侵入を果たし、夢魔とノエルの間に降り立つ。
「……何者だ?」
夢魔には美女に心当たりがなかった。ノエルの言い方からして自分を解放した人物だと予想することができたが、本当に何者なのか知らない。
そして、ノエルにとっては知る相手だった。
「あなたが近付いているのは知っていた――女神セレス」
「覚えてくれていて光栄だ」
女神セレス。
迷宮主ゼオンの眷属であるキリエの手によって復活させられた女神。周囲のエネルギーを喰らい尽くし、圧縮して放つことのできる『悪食』の力を持つ。
不確定な存在である神ならば、夢の世界へ侵入することもできる。
直前に仲間から教えられたから女神セレスの侵入を知る事はできた。
だが、改めていると思わなかった相手の姿を見てしまうと警戒して錫杖を握る手に力を込めてしまう。
「今はお主の相手をするつもりはない」
手をノエルへ向けた瞬間、強烈な衝撃波が襲い掛かり吹き飛ばされる。
同時に瀕死の夢魔の首を掴む。
「妾の目的はお主だ」
「オレ様?」
「いや、正確に言うならお主の溜め込んだ魔力だな」
女神セレスが力を発動させる。
「ぁ……」
黒焦げの夢魔から呻き声が漏れる。
あっという間に干乾びてミイラのようになると捨てられて力なく倒れる。
「お主の力など強くない。だが、多くの人を夢に捕らえてエネルギーを吸収する力は評価に値する」
すると夢の世界に亀裂が走り、あっという間に割れてしまう。
壊れたことで夢の世界から追い出されたノエルたちがいるのは大聖堂の庭。招き入れられた場所から少し移動しただけだ。
「こやつは夢に捕らえた人々から得た魔力を夢の世界を維持することに利用していた。妾の目的は、これを奪い取るだけだ」
もう夢魔には興味もなくなったのか一瞥もくれない。
代わりにノエルへ体を向けると舌で唇を舐めて奪い取ったばかりの魔力を味わっている。
「そいつの力を利用するのが目的だったんだ」
「本当なら1年ぐらい様子を見て奪い取るつもりだった」
あと半年も放置していれば国の全てが夢に囚われていた可能性がある。
今の段階で対処することができたのはマルスたちが訪れたからだ。
「だが、お主たちがこのタイミングで訪れたのは妾の失態だ」
マルスたちがイシュガリア公国を訪れた理由。
「まさか……」
「よもや呪いが跳ね返されるとは思ってもいなかった」
パレントでの騒動も時が経てば女神セレスが訪れて回収するつもりでいた。
「あの時は本当に焦った。夢魔の様子を確認する為にここを訪れている時に返されたから咄嗟に回収してしまった。詳しい状況も分からないまま行動してしまったせいで、お主たちを招き寄せることになってしまった」
気付いた時には妨害できるような状況になかった。
なにより自身が動いているのを知られる訳にはいかなかった。
「そっか。わたしたちが慎重に動き過ぎていたんだ」
ゼオンが生きている可能性を想定してギリギリまで自分たちが関与していることを隠していたマルス。
だが、本当に隠したいと思っていたのは女神セレスの方だった。
それでも最終的には姿を現した。
「こんなご馳走を前に我慢などできるはずがない」
満面の笑みを浮かべられる。
自身の存在を明かすに値する価値はあった。
「ゼオンは生きているの?」
「そんなはずがないのはお前たちが知っているだろう」
マルスが倒した。そして眷属も道連れにしている。
女神である彼女は『巫女』であるキリエの存在を感知することができるが、どこにも感じることができない。
「彼の事だから復活する方法でもあるんじゃない」
「さて、な」
はぐらかすセレスだが、その態度からノエルは嘘だと見破った。
死んだ後でも復活する手段を用意しており、女神セレスは協力している。
「もういいでしょ――メリッサ!」
「む!」
大聖堂の庭の端から強大な魔力を感知する女神セレスが振り向く。
「【深淵魔法――焦燥】」
メリッサの持つ杖から20本の真っ黒な手が円状に広がって女神セレスへ向かう。
「神にも対抗できる魔法か!」
大聖堂にも触れる黒い手だったが、建物や地面に一切の影響がない。
魂を狩り取ることだけを目的にした魔法。物理的な影響を及ぼすことはなく、壁や地面は全てすり抜ける。そして、生物に触れるだけで相手の魂を狩り尽くしてしまう。
「強力な魔法。だからこそ……操作が難しい」
躍るように回避されて黒い手が女神セレスの後ろへ進んで行く。
最初に指定した通りにしか進むことができず、夢魔とは違って戦い慣れているため見切られてしまう。
「今は戦うつもりがないから見逃してもらえると助かる」
「そういう訳にはいきません」
メリッサが新たに魔法を撃つべく魔力を高める。
その姿を見て女神セレスも回避と逃走へ思考を巡らせる。
「え……」
胸に感じる虚無感。
視線を下げればシルビアの手にした短剣が胸に突き刺さっているのが見えた。
「外した!」
左胸を貫いている短剣。
人間ならば間違いなく急所だが、相手は神であるため心臓を狙った訳ではない。
「この……!」
左にいるシルビアへ衝撃波を叩き付ける。
咄嗟に攻撃に回避が間に合わないシルビアが吹き飛ばされ、胸に突き刺さった短剣を放り捨てた音が響く。
「ぐぅ」
神の急所――神核には直撃しなかったが、掠めただけでも効果はあり、体から魔力が漏れ出していた。
「何を目的にしていたのか教えてもらおうか」
女神セレスを6人で囲みながらマルスが尋ねる。
「言う訳がない。そういう約束だからな」
苦しみながら目を鋭くした女神セレスの体が砂のようになって崩れ始める。
「この手は使いたくなかったが緊急脱出だ。しばらくは動けなくなるが、魔力を持ち帰ることはできる」
「地脈です」
メリッサが叫ぶ。
首都の下には地脈が流れている。そこへ自分の持つ魔力を流して別の場所まで運んでもらおうという魂胆だ。
首都の結界の起動や都市を豊かにする為に地脈の上を選んだのだろうが、この状況においては逃げられるのに役立てられることになる。
ただし、欠点が存在しない訳ではない。自身を構成する魔力も含めて全て流さなければ成功しないため、魔力から体を構成することのできる神であってもしばらくは存在が不安定になる。
自身の危険も顧みずに行う脱出。
「そこまでする価値がゼオンにあるのか」
「当然」
最後に勝ち誇った笑みを浮かべて消える。
覚えている人がいるか分かりませんが、ゼオンが倒された後で暗躍していたのは女神セレスでした。