第23話 起床の鐘
「ふわぁ」
太陽が昇ったばかりの時間。
大聖堂の上にある鐘の前で立ちながら遠くを見る。昇り始めた太陽が首都を照らして輝いている。高い場所から見ることができる者の特権だ。
ただ朝早いせいで眠い。思わずあくびをしてしまうのも仕方ない。
「お前は平気そうだな」
隣にはノエルがいる。
ただし、俺と同じように朝早くから起きているはずなのに眠たそうな様子を一切見せていない。
「これでも幼い頃から早起きを強制されていたから、これぐらいの時間から起きているなんてわたしには余裕なの」
そういえば屋敷でも起きるのが早い方で、シルビアの朝食作りを頻繁に手伝っていた。
「俺は朝早いのはダメだな。こんな中途半端に寝て起きるぐらいならずっと起きていた方が楽だ」
普段なら徹夜していたところだが、早朝に体力を万全にしている必要があったため勧められるままに寝かされ、ノエルに叩き起こされていた。
はっきり言って30分前に起きたばかりの体は眠気を我慢するので精一杯だ。
だが、ノエルの護衛を引き受けた以上はしっかりと警戒しなければならない。
「来たぞ」
下からシャボン玉が浮かんでくる。
屋根の上から覗き込めば数人の神官が大聖堂周辺の見回りをしていた。彼ら夢を見させられていることに無自覚な者たち。わざわざ夢魔の言葉を届ける為に自然な理由で外へ連れ出されていた。
『何をするつもりだ?』
「もちろん。夢を見ている奴らを全員起こすんだ」
『そんなことは不可能だ』
夢魔の力は人々の深い所に根付いている。
もし打ち消そうと思ったなら【深淵魔法】のように強力な魔法で粉々に打ち砕いてしまう必要がある。
「分かっていないな。人は時間が来たら目覚めるものだ。そして、目が覚めたなら夢も自然と見なくなる」
『無駄だ。オレ様の夢は起きていても見続ける』
『朝になった程度で目覚めるはずがない』
それは、この数日の間で証明されている。
「たしかに皆は夢を見続けている。だから、ちょっとばかりキツイ起こし方をさせてもらうことにする」
ノエルが錫杖を握る手に力を込める。
「ほら――時間だ」
ちょうど鐘がなる。
毎日決まった時間になると奏でられる音。
『これがどうした?』
大聖堂の鐘は夢魔が人間だった頃からあり、首都にいる人々にとってどのような役割を果たしているのか知っていた。
今の時間なら人々に起きることを促す鐘の音。
「このままだったなら意味はないさ」
鐘の音に合わせてノエルが錫杖を鳴らす。
『これは……』
夢の中にいる夢魔も気付いた。
だが、音が奏でられた時点で手遅れだ。
『みなさーん、起きる時間ですよ!』
鐘の音はウィンキアにいる全員に届く。
同時に錫杖から出した音を同調させることで『舞』の一つとして人々にティシュア様の言葉を届ける。
『起きて大人はお仕事をしましょう』
言っている事は普通。どちらかと言えば母親が子供に言うような内容だった。
だが、だからこそ人々は受け入れる。
『あら、シエラ?』
「ティシュア様?」
事前の打ち合わせにはなくシエラの名前を呼んでいる。
彼女が今いるのは屋敷にある子供部屋だ。昨日は母親たちも帰らなかったため子供たちが集まって寝ていてティシュア様が面倒を見ていた。
そんな中で誰かと会話しているような様子に気付いてシエラが起き出していた。
『ほら子供だって朝になれば起きますよ』
向こうは陽も昇っていない真っ暗な時間のはずなのだが、「子供が起きた」という事実に反応する人が多く見られる。
『夢を見るのは寝ている間だけ。起きる時間になったら夢を見るのは終わりです』
一人、また一人と起き出していく。
ただ起きるだけではない。起きているのに夢を見させられている人たちも夢から覚めていく。
『な、何をしたんだっ!?』
「簡単なことだ。夢から覚めるよう起こしてあげただけだ」
ただ起きる時間を告げる鐘の音を聞かせるだけでは足りない。ただし、その音は人々の無意識に刷り込まれた音だ。そこに音を聞いたなら起きなければならない、と認識させることで夢から覚まさせる。
そして、こっちには【ティシュア神の加護】を持つノエルがいる。ノエルの【舞踊】にはティシュア様の姿と言葉を幻覚として見せることができる能力がある。
目覚まし時計と起こす存在。
両方を揃えることで夢に囚われた人々を起こすことができる。
「お前の負けだ。さっさと討伐されろ」
「まだだ!」
シャボン玉からではない夢魔の声が後ろから聞こえてくる。
慌てて振り向けば空間が割れて真っ黒な人がひとり通れるぐらいのサイズの穴ができており、空洞から一昨日も見た悪魔が上半身を飛び出していた。
「お前がいなくなれば問題ない!」
巨大化させた手でノエルの体を掴むと空洞の向こう側へ消えて行く。
「クソッ」
空洞も抜けると同時に消えてしまった。
『ハハハッ、もう面倒な事は終わりだ。オレ様の思い通りにならないならこんな国はいらない』
大聖堂の上からなら外壁の向こう側だって見える。
「あのやろう……見境なしに召喚しやがった」
4体の巨大な海月が首都の東西南北にそれぞれ出現する。
首都を守護する結界は東西南北にある門を起点に展開される。一昨日のように時間を停止させられては困るため結界を展開されないよう門を破壊することを優先させていた。
「――ここまでは、お前の予想通りだな」
『はい。何も問題ありません』
南門の上に立ったメリッサが門の上に巨大な魔法陣を展開するとマグマを生み出して巨大海月を瞬く間に飲み込んでいく。
すぐさま冷気で凍らされ、掘削されて地面が均される。
巨大海月が出現した場所には誰もいなかった。
「ブラックホール」
南門の上から放たれた黒い球体が東と西の門へ迫ろうとしていた巨大海月に当たり、巨大な体を飲み込んで削り取ってしまう。
【深淵魔法】による消滅。直撃を受けて耐えられるはずがない。
『大きい方が助かります』
単体での戦力を増す為に力を集めて巨大化させたのだろうが、メリッサにとっては大きい方が対処はしやすかった。
「これで4体の無力化に成功しました」
北側に出現した巨大海月もイリスによって凍らされている。
『これならどうだ!』
首都の内部に小さな海月が無数に出現する。
「避難は騎士団に任せろ。俺たちは海月の討伐に集中するぞ」
無数にいると思われる海月を前にしても挫けない。
「敵の増援もいつかは絶対に途切れる。それまで耐えていれば俺たちの勝ちだ」
『バカが。オレ様がどれだけの力を溜め込んだと思っているんだ?』
この半年あまりの時間で数万人に夢を見させ続けて得られた魔力は途方もない量になっている。
「勘違いするな。お前の消耗を待っている訳じゃない」
『なに!?』
「俺たちの相手なんてしている暇があるのか?」
俺の言葉に怪訝な表情をしているだろう夢魔。
きっと今ごろ錫杖の音が聞こえて驚いているはずだ。
「俺たちの『巫女』が悪魔を倒すまで首都を守り切れば勝ちだ」
最近、寝坊ばかりで就業時間ギリギリに会社へ行っている作者には辛い話です。