第22話 時を告げる鐘の音
【深淵魔法】。
【闇魔法】を昇華させた先にある特殊な魔法で、主に目で捉えることのできない精神や魂への干渉と攻撃を得意としている属性。使い方次第では実体のない強力な霊体すらも破壊してしまうことができる。
ただし、そんなに強い攻撃が可能な魔法だからこそ手にすることができる者は少なく、使用にも反動で自らの魂にダメージがあるという欠点がある。
あまり知られていない魔法だったが、ミシュリナさんは聖女として【深淵魔法】を知っていたようだ。
「今回の夢魔だって【闇魔法】を『夢を見せることで精神を支配する』という一点に特化しているだけで【深淵魔法】の習得には至りませんでしたが、『精神支配』だけなら【深淵魔法】に匹敵する力を持っていました」
さらに封印されている他の魔物に【深淵魔法】を使用する者がいた。
万が一にも封印が解かれてしまった際に備えて『聖女』には【深淵魔法】が伝えられていた。
「先ほども言いましたが、その魔法は絶対に私以外には使用しないでください」
たしかに【深淵魔法】による魂の破壊なら夢魔にも有効だ。
だが、普通は同時に夢を見させられている人にも影響がある危険な魔法だ。
「私は『聖女』として高いステータス。それに【聖魔法】を使用する頻度が多いおかげで魂も鍛えられていました。そのため耐えられることができましたが、普通は余波だけで近くにいた人まで亡くなってしまいます」
なにより加減のできる魔法ではない。発動した瞬間に相手の魂を葬ることを目的にした魔法だ。
目の前にいる『聖女』を救う為なら有効な魔法。
ただし、それで事態を解決できる訳ではない。
「この魔法は連発できる訳ではありません」
メリッサの魔力を持ってしても1日で数十人に対して使用することができればいい方だ。
そして、夢魔の力が及ぶ人数はそれ以上に多い。
「あまり時間は残されていないな」
窓から外を見る。
今も大聖堂の向こうではロレンを探している大人たちが多くいる。普段なら追うことをとっくに諦めているような時間だが、夢魔に夢を見させられている状況では諦めることがない。
ロレンは眠らなかったシスターに預けている。夢を見てしまった人が誰も信用できない状況では貴重な人材だ。
「どうにかして遅くても明日までには夢から覚ます必要があります」
「私なら【深淵魔法】と同じようなことができます」
『聖女』の持つ浄化能力によって夢魔の力を打ち消す。
過去の『聖女』と同じ方法を取ろうとしている。
「残念ですが、今回はとっくに手遅れです」
もう夢を見ている人の数が多すぎる。
夢魔は過去の失敗から数を増やすことにした。
「その為の『睡眠病』だったんだ」
『聖女』に知られないよう奇病を装った。
原因の全く分からない状態に悪戦苦闘しているうちに夢を見させられた人の数を増やしていった。
そうして今となっては首都にいる人間の半数近くが夢を見ている。
「彼の最終的な目標は、この国にいる全ての人間を自分の見せる夢で支配してしまうことです。どうにかしなければなりません」
国すら支配しようと考えた人間が『国』だけで留まるか。
断言できるが、絶対に留まるはずがない。
「最悪、この世界そのものを支配しようと考え出すかもしれないですね」
もうイシュガリア公国の問題ではなくなっている。
「何か全員を夢から覚ます方法があればいいのですが……」
部屋にいる全員で頭を悩ませるが、どれだけ悩んだところで妙案が浮かんでくることはなかった。
その時、大きな鐘の音が聞こえてくる。
「いつまでも悩んでいても仕方ありません。ひとまず昼食で気分転換をすることにしましょう」
クラウディアさんの提案に反対する者は誰もいなかった。
扉を開けて廊下を歩いていた給仕を掴まえると昼食を用意するお願いしている。
「さっきの鐘はお昼を知らせる鐘ですか?」
「はい。ウィンキアにある大聖堂では朝と昼、夕方の決まった時間に鐘を鳴らすことになっています」
朝7時と正午、夕方5時。
最初の鐘で起きるようにし、2回目の鐘を聞いて休憩するようにする。そうして3回目の鐘を聞くと家路へと向かう。
それ以外にも2時間毎に時間を知らせる鐘も鳴らされているが、特徴的な大きな音からウィンキアにいる人たちはこっちの鐘で時間を把握するようにしていた。
「あまり意識して聞いたことがなかったな」
「わたしは街を散策している時に聞いたことがありますよ」
メリッサは報酬の受け取りに訪れると街を探索して珍しい食材がないか店に顔を出すようにしていた。
だが、シルビア以外がウィンキアへ来ることはあっても早々に帰ってしまうことが多かったため鐘の音を聞く機会に恵まれなかった。
生まれた時からウィンキアに住んでいるミシュリナさんやクラウディアさんは鐘の音を聞いたことで昼食を摂るべきだと判断していた。
昼食はすぐに運ばれて来た。
事前に準備されていたようで、ほとんど運ぶ為の時間ぐらいしか経過していないのだが、増えている俺たちの分にも対応している。
「いただきましょう」
運ばれて来たのはサンドイッチとサラダ。病み上がりであるミシュリナさんの体調を気遣った献立だ。本人は問題ないと言っていたが、やはり起きたばかりの体に重たいメニューはいただけない。
フォークを手にしたメリッサがサラダに入ったトマトを突き刺す。
「ところで先ほどの鐘は首都全体に聞こえているのですか?」
「都市全体どころか外にある村にまで小さな音でしたら聞こえますよ」
ただの鐘ではない。魔法道具である鐘は多くの人に音を聞かせることを目的に造られている。
「それなら範囲は問題ありませんね」
メリッサが小さく微笑む。
その表情を見た瞬間、俺たち5人はサッと目を逸らしてしまった。見た目は優しい笑みなのだが、こういう時のメリッサは必ず何かを企んでいる。
「企むとは人聞きが悪いですね。夢魔を倒せるかもしれない方法を思い付いただけです」
「本当か!?」
「はい。夢は、いつかは覚めなければなりません。そして、朝になれば人は起きるものですよ」
メリッサのやりたい事になんとなく気付いた。
ただし、そう上手くはいかないだろう。
「さっきの鐘なら今朝だって鳴っていたぞ」
言われて思い出したが、今朝も鐘の音が聞こえた。
だが、ミシュリナさんや街の人々が夢から覚めることはなかった。
「ただ鳴らすだけではダメです。明日、試したいことがあります」
さあ、ようやく夢魔と海月の決戦です。