第18話 夢の悪魔
翌朝。
一晩経って体調も落ち着いたであろうミシュリナさんを見舞う為に大聖堂にある部屋を訪れる。
「こちらどうぞ。栄養満点ですよ」
「ありがとうございます」
シルビアの手から果物の盛り合わせが渡される。
受け取ったミシュリナさんは命に別条がない状態だったとはいえ、何カ月もの間寝たままの状態だった。起きてすぐに以前と変わらないように体を動かすのは難しく覇気がない。
今も寝間着のままベッドで上半身を起こして話をしている。
さすがにそんな状態の女性と会話をする訳にはいかず、俺は昨日と同じように部屋の隅へ移動させてもらう。
「今回はありがとうございました」
「いえ、たまたま用事があって訪れただけですから」
「それでも貴方たちが来てくれたおかげで、とりあえずは助かりました」
とりあえず、ね……
「やっぱり奴は生きているんですね」
ミシュリナさんがベッドの傍に置いておいた1冊の本を渡してくると、近付く訳にはいかないのでメリッサが受け取った。
本の内容は【迷宮同調】で共有することができる。
表紙には簡略されているものの魔物と思われる絵が描かれており、子供向けの絵本であることが窺える。
「教会に置いてある子供向けの童話です」
試しにページを捲ってみると、夜更かしをする子供の元へ悪魔がやって来て無理矢理眠らせてしまうというものだった。悪魔の力に頼ればぐっすり眠ることができる。ただし、何度も頼っていると熟睡し過ぎてしまい、最後には起きることができなくなってしまう。
きちんと夜になったら眠れば悪魔が訪れることもない。
規則正しい生活を教えることを目的にした絵本。
「これが?」
眠ったまま起きることがない。
今回の『睡眠病』と関係があるように思えるが、絵本との関連が分からない。
「実は、その悪魔は実在していたのです」
童話は実話を元にしている場合が多い。
そこから脚色し、演出をすることで子供向けにしている。
俺たちの活躍を絵本にした物も実際の出来事とは大きく異なっていたので、なんとなく分かる。
「――夢魔。500年ほど前に存在した悪魔で、当時の『聖女』が封印した悪魔です。悪魔の生まれ方については知っていますね」
悪魔は人間が放つ憎しみや怒り、悲しみといった負の感情が実体を持つことで生まれる。その生まれ方故に人を殺すことや陥れることが本能となっており、手の付けられない相手となっている。
ただし、稀に悪魔が生まれるほどのエネルギーを人間が吸収することで人間から悪魔となってしまう者もいる。大抵の場合は、悪魔に飲み込まれてしまうのだが、本能に抗うことができた場合には強力な魔物となる。
「夢魔は精神への干渉を得意とした魔法使いが悪魔化したものです。その魔法使いは悪魔になったことで強くなった魔力で人々を次々と眠らせていきました」
「何か怨みでもあったのですか?」
「……分かりません」
『聖女』にのみ伝わる記録でも無差別に眠らせていったとしかなかった。
「その後、当時の最強の冒険者を集めて悪魔化した魔法使いは討伐されました」
しかし、その頃には既に手遅れだった。
夢魔は肉体が消滅しても、夢の中に作り出した自分だけの世界に自らの体を再び作り出せるようになっていた。
しかも今度は夢の中から出てこなくなってしまった。
Sランクの魔物であろうと倒せるだけの実力を持つ冒険者だったとしても相手が夢の世界に引き籠っていたのでは倒すことができない。
「それで、どうしたのですか?」
「当時の『聖女』が『巫女』と協力して封印を施しました」
「え……」
今代の『巫女』であるノエルが言葉を失う。
「そんな話は聞いたことがない」
「まあ、メンフィス王国に伝わっていなくても仕方ありません」
夢の中に隠れてしまう魔物。
『聖女』の浄化能力によって悪魔の力を削り、『巫女』によって依り代へと封印される。
「『聖女』の力を持ってしても夢魔の力を削り切ることはできなかった、と伝わっています。だから封印されて何もできない間に削ろうと考えた訳です」
途方もなく長い時間を掛けた討伐方法。
だが、そうでもしなければ倒すことのできなかった相手だった。
「ミシュリナさんは、その夢魔が今回の相手だと考えているのですか?」
「はい。今代の『聖女』として断言することができます」
今代の『巫女』の方は聞いたこともない話に戸惑っていた。
「夢魔の封印はイシュガリア公国にあります。封印は誰にも見つからないようにして、破壊も簡単にはできないようにしています」
そういった魔物がイシュガリア公国には何体かおり、封印の管理を任されていたのは全て『聖女』だった。
いつしか強力な魔物の出現もなくなる。
自然と『巫女』に頼ることもなくなったため封印の存在を忘れていた。
「ああ、思い出しました」
ノエルの口から「思い出した」という言葉が紡がれる。
ただし、その言葉を発したのはノエルではない。
「もう何百年も前の話ですね」
ティシュア様が屋敷からノエルの体を借りていた。
「その頃ならまだ『災いを鎮める』という役割に忠実でしたから封印関係の仕事を頼まれることがありました」
「じゃあ、今回もわたしが封印すれば--」
「貴女は封印系のスキルを持っていないでしょう」
自分の口で会話を行っているノエル。
封印系の仕事がなくなったことで『巫女』から封印系のスキルも失われてしまい、ティシュア様も問題に思っていなかったためスキルを手に入れる為の訓練をノエルは行っていない。
『巫女』の力が権力面で強くなった弊害だ。
「あの悪魔は倒しても数日後には復活していた不滅の存在です」
つまり、昨日の段階では倒せていても明日や明後日、数日後には復活している可能性がある。
「知っていたならもっと早く忠告してください」
「私は、もう人間の問題には関わらないと決めたのです。今は子供たちの世話をして、買い物や食事で楽しく余生を過ごすつもりです」
「もう……」
自分の口から紡がれるティシュア様の言葉にノエルが呆れていた。
だが、封印するしかない相手なら他の手段もあったかもしれない。
「不滅の存在っていうのは頂けないな。【世界】は俺たちにとって切り札みたいなものなんだ。次も通用するとは限らないぞ」
「その点は思い出せなかった私の落ち度ですね。親である貴方たちがいなくなると子供たちが悲しんでしまいます」
あくまでも屋敷にいる子供たち本意で物事を考えている神様だ。
「まず、封印が現在どのような状況なのか確認したいと思います」
ベッドの上にイシュガリア公国の地図が広げられる。
ミシュリナさんが封印の場所として示したのはウィンキアの近くにある丘。その内部に封印のある空洞があり、入口は『聖女』と『巫女』だけが出入りすることができるようになっている。
「そこまで私の案内をお願い」
「その必要はありませんよ」
場所は分かった。シルビアに視線で合図を送るとサッと姿を消す。
「え……」
「封印についてはこっちで調べます。さすがに病み上がりの人を連れて遠出する訳にはいきません」
「ですが、入口が……」
「ま、大丈夫でしょう」
部屋で待っていると数分でシルビアから連絡が届く。
「中には入れたか?」
『はい。入口は堅い扉があり、空洞の周囲は自動で修復されるようになっていて土壁を破壊しても簡単には辿り着けないようになっていました』
シルビアでも正面突破は難しい。
入口以外の場所からの侵入を想定して自動修復機能があったらしいが、それは壊して侵入した場合の話だ。
『壁をすり抜けてしまえば何も問題ありませんでした』
「で、封印は?」
『壊れています。それも粉々に』
ようやく過去に封印された悪魔であることまで出せた。
現状『巫女』による封印する術を持たない状況で戦わなければなりません。