第17話 上書きされる夢の世界
全てが停止した世界。
夢の世界にいる相手であろうと例外ではなく、何も認識することすらできなくなる。
「でも、これは……」
いつもと違うのは大聖堂の外からも一切の音が消失してしまったこと。
大聖堂を範囲とした【世界】ではない。
「今回は首都ウィンキア全体を対象にさせてもらったよ」
「マルス!」
大聖堂へ入ると安堵の笑みを浮かべたノエルが迎えてくれる。
シルビアが敵の核を見つける為の時間を稼ぐ【世界】だったが、既にお手上げ状態らしい。
「すみません。見つけられませんでした」
「気にするな。ちょっと無茶な注文をしたのは理解しているし、こっちの状況は把握している」
大聖堂の奥にある部屋からイリスが戻り、アイラが窓を破って入って来る。空間魔法でメリッサが傍に転移する。
「いるな」
ノエルと会話をしていた敵が近くにいる気配がする。
ただし、正確な位置を捉えることができていない。いや、そもそも夢の中という不確かな場所に存在しているのなら位置の特定は不可能なのかもしれない。
「どうやったの?」
ノエルが尋ねてくる。
窓から見える範囲だけだが、大聖堂の外も停止しているのが分かる。
「閉鎖空間さえ作れば【世界】の対象にすることができるんだから壁を用意すればいいんだよ」
「え、まさか土壁とかで覆ったの?」
とてもそんな時間はなかった。
だが、首都には都合のいい代物が存在していたため利用させてもらった。
「首都には万が一の場合に備えてドーム状に覆える結界があるらしいんだ。それをちょっと起動させてもらった」
情報源はミシュリナさん。以前にちょっとした世間話でそんなことを言っていたのを思い出し、王族の誰かが起動するのを待った。起動した人物は魔物の襲撃をどうにかしようと思ったのだろうが、まさかこのような形で利用されるとは思わなかっただろう。
「ま、もっとも範囲に見合うだけの魔力を消費することになっているけどな」
全ての魔力を消費することになったとしても数分が限界だ。
ただし、それだけの時間があれば十分だ。
「いい加減に出て来いよ。いつまでも自分の世界に引き籠っているのは無理だろ」
「ガァッ!」
身を引き裂かれるような悲鳴が聞こえてくる。
大聖堂の奥にあるステンドグラスの前で雷撃が爆ぜるような現象が起き、何もない場所へ引きずり出されるように転がり出てくる。
「今、この首都は俺の世界となっている。そこに夢の世界であろうと他の世界が存在することは許されない」
「ギ、ザマ……!」
現れたのは人間のような形をしているが全身が紫色で、額から2本の金色の角を生やし、背中に闇のように真っ黒な翼を持つ魔物。
悪魔。
中でも暗い色をしているこいつは上級の悪魔だ。
ただし、力が強いにもかかわらず今は全身から緑色の血を流しているせいで衰弱している。
夢の世界を無理矢理に追い出されたせいでダメージを受け、想定もしていなかったダメージが襲い掛かってきたせいで限界を迎えていた。
「何をした!」
「お前がさっき言っていた事を殺さずに実行したまでだ」
夢を見ている人間を消す。
悪魔は移動できる範囲内にいる人間を全て殺す方法を提言した。どれだけ起きているように促したとしても眠り続けている人がいるうちは決して寝ない人がいなくなることはない。
だから少なくとも睡眠病によって眠っている人の命は奪わなくてはならない。
「そんな事をしなくても『今この瞬間』に夢を見ていない人をいなくさせることはできる」
全てが停止した世界では夢も機能を発揮しない。
「存在していてはいけない世界に居続けたせいでダメージを受けたんだな」
「アレが痛み……」
ずっと夢の世界に引き籠っていた悪魔はダメージを受けることなど今までなかった。初めて受けたダメージに感動すら覚え、元凶である俺へ憎しみをぶつけた。
「時間停止中に出てきてしまったせいか停止世界にも適応しているな」
動けないところをボコボコにする予定だったが、この程度は想定の範囲内だ。
「こうして姿を晒させればこっちのものだ」
飛び込んで悪魔の体を下から蹴り上げる。
さらに跳び上がった体をアイラがバラバラに斬り裂く。
「こんなもの?」
とても数万人を連れ去り眠らせ続けた魔物とは思えないほどあっさり斬ることができてしまった。
悪魔の強さに困惑したアイラが振り向く。
腕や足だけとなった体がボトボトと音を立てて地面に落ちる。
「……おかしいな」
もっと抵抗らしい抵抗があると思っていた。
だが、何をする訳でもなく悪魔は倒れた。
「――始動」
そのまま3分待ってみたが、悪魔の気配は全く感じられない。
【世界】の限界時間もあるため、いつまでも待ち続ける訳にはいかない。
「え、あれ……?」
世界が停止する直前まで傍にいたはずのノエルとシルビアが離れた場所へ移動しているのを目にしてシスターが戸惑っている。
ようやく状況を把握して駆け寄って来ると倒れていた神官たちが起き出す。
「ここは……?」
「いったい何を?」
「そうだ。夕食の用意をしなくちゃ」
睡眠病によって寝かされていた人たちも起き出す。
彼らは自分の置かれている状況を把握しようとし、眠らされてしまう直前にしていたことを思い出して戸惑っている。
まだ全員ではないが多くの者が起き出していた。
「みなさん!」
「クラウディアさん?」
部屋の扉を勢いよく開けてクラウディアさんが駆け寄って来る。
「ミシュリナ様が目を覚ましました」
「それはよかったです」
「どうしたんですか?」
一般人だけでなく『聖女』まで眠りから覚めた。
多くの人を救えたことには間違いないはずなのだが、どうにもスッキリしない。
「2つ疑問がある」
「イリス?」
「あいつは寝ている人から魔力を少量とはいえ吸収していた。少量でも数万人から数カ月もの間吸い続けていた。その魔力はどこへ行ったの?」
吸収していたのだから何かしら利用していたはずである。
だが、悪魔自身に利用された形跡が見つからない。
「こうして起き出しているのですから倒されたのではないですか?」
人々の魂を捕らえていた相手が倒されたため解放された。
そのように解釈するのが最も適している光景であり、反対意見もない。
「どうする?」
「しばらく様子を見よう。さすがにここまで関わっておいて知らんぷりなんてできないだろ」
「それに関して、もう一つの疑問がある」
なんだ?
と全員の視線がイリスへ向けられる。
「吸収された魔力もそうだけど、呪いはどうなったの?」
『あ』
すっかり忘れていた案件。
呪いがどうなったのか行方を追わなければならない。
まだ問題は解決されていません。