第16話 逃げない巫女
ノエルが大聖堂を回り込んで入口まで辿り着くと、ちょうど扉を溶かした悪魔の海月が侵入しようとしていたところだった。
「この……!」
扉の中から槍が突き出される。
教会が雇った護衛の冒険者によるもので、槍の突きを受けた悪魔の海月が跡形もなく消滅する。
「へへ、どんなもんだ……へ?」
槍が落ちる音を耳にして目を地面へ向ける。
そこには、槍を手にした状態で肘から先だけが転がっていた。
「あ、あぁ……」
正面にいた悪魔の海月を倒すことには成功したが、倒せた喜びから別の海月に気付くのが遅れてしまった。
肘に触手で触れられたことで落とす。
「お、おれの腕が……」
ここで逃げるなりすれば助かった。
しかし、男は自分の右手がなくなってしまったことに動揺して左手でなくなった肘に手を当てて崩れ落ちた。
「ぁ……」
次の瞬間、触手で額を貫かれる。
脳を溶かされた男は痛む暇すらなく亡くなった。
「この……!」
ノエルの放つ雷撃が悪魔の海月を焼き尽くす。
たった一撃で入口前にいた6体の悪魔の海月が倒された。
「ごめんなさい。わたしが、もっと早く来ていられれば……」
せめて生きていれば失った腕をどうにかするぐらいはイリスなら可能だった。
そんな彼女でも失われてしまった命をどうにかすることはできない。
「キヒヒヒッ」
「なにを笑っているの」
迸る雷撃が海月を次々に灼く。
だが、無限に現れることのできる海月にとって十数体が消えたところで痛くも痒くもない。
大聖堂へ悪魔の海月が殺到する。
ほとんどが灼かれてしまったとしても残った一部が大聖堂内にいる人間を喰らうことができればいい。
そんな判断からの無謀な行動。
「マラガン」
名を呼ぶと雷獣が大聖堂の前に姿を現す。
「グゥオオオオォォォォォ!」
雷獣から放たれる雄叫び。
死を恐れていなかった悪魔の海月が進むのを躊躇してしまう。
だが、そんな様子に構わず放たれた雷撃が悪魔の海月を一掃する。
『ここはワシが引き受ける。お主は中の奴らを安心させてやれ』
「お願いね」
悪魔の海月への対処を任せると大聖堂へ入る。
「そっか。ここにいる人たちは逃げることなんてできないもんね」
寝かされている数万人に及ぶかもしれない人数。
特別な世話をする必要がないから数十人の看病でどうにかできているが、さすがに寝ている人を連れて避難することはできない。
「あ、あの……助けてくれてありがとうございます」
シスター服を着た女性がノエルに近付く。
外では今も雷獣による雷撃の音が轟いているため危険な状態であるのは分かっている。
「まだです」
天井の近くに悪魔の海月が出現する。
どこにでも出現することができるのなら、その気になれば建物内にも現れることができる。
見上げるノエルを見てシスターも悪魔の海月の出現に気付いた。
「あぁ」
滅多に見ることのない魔物の姿に声も出ない。
ここで死んでしまう。
そんな思いを打ち砕くように跳んだノエルが錫杖を振るって悪魔の海月を消す。
「大丈夫です」
再びシスターの近くに着地すると彼女を安心させるように言う。
「わたしたちがどうにかします。だから諦めないでください」
その言葉は大聖堂にいた全員に伝わった。
起きて看病している人だけではない。眠っている人たちも反応を示さないが、しっかりと伝わっている。
「わたしの仲間が必死に敵を探してくれています。それまではわたしが全力で守ります」
「信じているんですね」
「はい。大切な仲間たちです」
仲間に頼り切った言葉。
だが、どれだけ信じているか想いが込められている。
「なら、頑張って守ってもらおうじゃないか」
「!?」
声のした方へ急いで振り向く。
そこには眠ったままの人が寝ているだけで起きている人は誰もいない。
「ううん、ちがう」
他の人にも聞こえていたようで神官が言葉を発したと思われる寝たままの人に近付く。
「ぁ……」
寝言を発した人の顔を覗き込んだ瞬間、神官が意識を失って倒れてしまう。
「待って」
慌ててシスターが駆け寄ろうとしたのをノエルが止める。
「寝ているだけ?」
倒れた神官から命の鼓動は感じられる。
どうやら睡眠病に罹って倒れてしまったらしい。
「なるほど。そこにいたんだ」
寝言のように言葉を発した人物が騒動を引き起こした張本人。
「それは違うな」
「え?」
全く別の場所から声が聞こえる。
慌てて顔を向けるが、今度は別の場所から声が発せられる。
「オレ様は夢の中にいる」
「眠っている奴ならどこにでもいられる」
「もう十分な力が手に入った」
「テメェらにも眠ってもらおうか」
別々の人間から言葉が紡がれる。
言い終わった瞬間、近くの起きている人々まで倒れてしまう。
「後ろに隠れて」
サッと近くにいたシスターを隠す。
「みなさん、どうしたんですか?」
「眠らされた」
「そんな……!」
親しい人たちが抵抗する間もなく眠らされれば驚かずにはいられない。
「今までと全く違う」
話に聞いた睡眠病の広がり方は無差別なものだった。
だが、目の前で起こった出来事は意図的に狙って眠らされていた。
「さて、どうしてお前は眠らないのかな?」
「さあ?」
迷宮眷属であるノエルには抵抗能力がある。無意識に発動させていた力のおかげで敵の攻撃を受けても眠らずにいることができた。
「オレ様を倒す確実な方法が一つだけある」
「眠っている奴を全員殺せばいい」
「近くに寝ている奴がいなくなればオレ様も消滅する」
「もっとも、そんなことは無理だろうがなぁ!」
夢を渡り歩き、夢の中にいることができる敵。
渡り歩ける距離には限界があり、範囲内に夢を見ている人がいなくなれば夢の世界が消滅して同時に消滅する。
敵の言葉の意味は理解できる。
ただし、受け入れることなどできない提案だった。
「そんな余裕を見せられるのも今のうちよ。シルビアがあなたを見つける」
「ムダムダァ……! オレ様を見つけるなんて不可能だ」
大聖堂を埋め尽くすように100個ほどのシャボン玉が寝ている人々の頭上に出現し、一斉に弾ける。
弾けた後、シャボン玉があった場所には悪魔の海月が出現していた。
「一人でここにいる奴らを守れるかな?」
触手が一斉に伸ばされる。
広範囲を攻撃することができる雷撃を用いたとしても全員を守り切ることはできない。
「……っ!」
全員を救うことを諦めて右側にいた海月を焼き尽す。
「な、にぃ……!?」
しかし、左側にいた海月の触手が届くこともなかった。
「シルビア」
「間に合ってよかった」
残りの海月もシルビアによって同時に斬られていた。
「怪しいものを探していたんじゃないの?」
「……何を探せばいいの?」
大聖堂を中心に何周も探し回ったが、悪魔の海月を召喚する起点となるような物は見つけられなかった。
むしろ怪しいのは大聖堂で寝かされている人々の中にいる『敵』。
「だから見つけられないって言っただろ」
姿は見えていないが、余裕の笑みを浮かべているように思える声。
「あなたたちはいったい……」
不可思議な相手とも対等に話ができる。
シスターが不審に思って二人の姿を確認する。
「あなたは、もしかして……」
「あちゃあ」
ノエルの顔に覚えのあるシスター。
数年前は『巫女』として公の場にも顔を出していた。知っている人がいてもおかしくない。
「ノエルは派手に動いたらダメでしょ」
「ま、そうなんだけど見捨てられないよ」
派手に動かなければ助けることができなかった。
「死んだことにしておくのが賢い選択だっていうのは分かっている。だからと言って目の前で理不尽な目に遇っている人は見捨てられないよ。わたしは、もう逃げないって決めたの」
力がなかったため周囲の流れに任せて自分の運命を受け入れた。
今度は自分の意思で困っている人を助ける。
「余裕があるみたいだけど、本当に余裕がないのはそっちでしょ」
「なに……?」
「この状況で出てくる意味はほとんどない。だから自分がどれだけ優位な立場にいるのかわたしたちに教えることで諦めさせようとした」
できるのなら退却してほしい。
悪魔の海月に襲撃させても撃退され、近付いて来てくれたことで眠らせようとしても力が通用しない。
本当に困っているのは敵の方だ。
「それが、どうした――」
敵の言葉が途切れる。
「ううん、全部止まったみたい」
後ろにいたシスターが完全に停止していた。
忘れている人がいるかもしれないので、ノエルは公式には死んだことになっています。