第9話 睡眠病
翌朝。
朝食の為に1階にある食堂へ向かおうとするとロビーで宿の主人に詰め寄る同じ馬車に乗っていた母親の姿が見えた。
「あ、あの……お医者様を呼んでいただけませんか!?」
酷く青褪めた表情。
何があったのか簡単に想像できる。
「申し訳ございませんが、この村に医者はいません」
「そんな……」
小さな村ともなれば医者がいないことは珍しくない。
それでも交易があることから薬屋はあるはずだが、医者でなければ治すことのできない病気かもしれないと思って不安になっている。
その様子には覚えがあった。うちもヴィルマが寝込むことが多かったせいで普段は冷静なイリスらしくなくオロオロしていることが多かった。決して慣れることはなく、これまでと少しでも違うところがあれば不安は大きくなっていた。
あの母親が直面しているのも同じ。これまでに遭遇したことのない息子の変調。
「失礼」
医者がいない事を知って崩れ落ちる母親。
そこへ話し掛ける人物がいた。
「あなたは……」
その人物を彼女も見知っていた。
同じ馬車に乗っていた最後の一人。錬金術師らしく、薬の素材を手に入れる為に自らノスワージへ赴いて安い値段で仕入れていた。街での観光にも興味がなく、買い物を済ませると村へ戻るべく急いでいた。
「医者ではありませんが、力になれるかもしれません」
「お願いします」
他に頼れる相手のない母親は錬金術師に嘆願していた。
「俺たちもいいですか?」
「君たちは冒険者だろう。あまり病人の元へ大人数で押し掛けるものじゃない」
「何か力になれるかもしれませんよ。ウチにも錬金術を少し学んだ者がいます」
メリッサも薬の調合ができる。
「……いいだろう」
白いローブに身を包んだ錬金術師が翻しながら部屋のある2階へ向かう。
慌てた様子の母親が自分の借りた部屋の扉を開ける。
「おかあさん」
ベッドで寝たままの男の子。
その隣では不安な表情をした女の子が眠り続けたままの弟を見つめており、部屋に入ってきた母親に気付き、駆け寄ると抱き着いた。
今にも泣き出してしまいそうな状態で母親が抱き上げる。
「……」
錬金術師が男の子――ドル君の体を触るなどして様子を確認すると結論を出す。
「これは『睡眠病』ですね」
「睡眠病?」
「はい。ただ眠っているだけで、植物を育てるように水を与えるだけで生命を維持することはできるので命の不安はないため重く受け止められていません」
ノスワージの冒険者ギルドで聞いた病気だ。
「ですが、原因だけでなく治療方法も不明な病気なんです」
「では……」
「この子を起こす方法は今のところ分かっていません」
「そんな……!」
いくら命に別状はないとはいえ、自分の息子が眠ったままと言われれば不安にならないはずがない。
「どうにかなりませんか!?」
「……」
治療方法が見つかっていない病気。
錬金術師も力になりたそうにしていたが、どうにもならない。
「本当に、何か方法はないんですか!?」
「……気付け薬を試してみましょう」
錬金術師が自分の収納リングから青い液体の入った試験管を取り出す。
気力を回復させたい時、意識をはっきりさせたい時に使用する薬。
状況次第では寝ない時もある冒険者には馴染みのある薬だ。
「あの、そんな物を使って大丈夫でしょうか?」
「子供には使うべきではないのですが、これぐらいしか対応が思い付きません」
眠っているだけの病気。
どんな薬が効くのかも分からない。そのため気付け薬でも副作用の心配が少ない方だ。
「ちょっといいですか?」
「おい」
錬金術師が持っていた気付け薬をメリッサが手にする。
許可を得ないまま手に一滴垂らすと薬の分析が行われる。
「たしかに気付け薬ですね。とくに害になるような効果もないので使用しても大丈夫かと思います」
「当り前だ。害になるような薬を渡すはずがないだろ」
錬金術師がメリッサの言葉に憤っている。
害になっているようでは『薬』ではなく『毒』だ。
「効いてくれるといいのだが……」
ドル君の口の中に気付け薬を垂らす。
水を飲むようにドル君が薬を摂取するが、いつまで経っても眠ったままだ。
『薬は本物なんだよな』
『はい。通常の状態なら間違いなく起きている代物です』
メリッサの分析は間違いない。
薬を飲んでも起きないとなれば根本的に問題が別の場所にある。
「失礼します」
イリスがベッドで寝ているドル君の額に手を当てながらスキルを使用する。
――【回帰】。
肉体の状態を在るべき状態へ戻してしまうスキル。
魔力異常の影響によって肉体が巨人に変質してしまった人間すらも元に戻してしまうことができる。
イリス自身の見た目に大きな変化はない。
膨れ上がった彼女の魔力を感知することができない母親と錬金術師には、眠ったままのドル君を心配して体調を確認しているようにしか見えない。
「……やはり眠ったままですね」
「そんな!」
だが、イリスが【回帰】を使用してもドル君が起きる気配はない。
『肉体的には健康そのもの。だから私の【回帰】でも元に戻っているから、元に戻すことができない』
やはり肉体とは別の所に問題がある。
「あ、あぁ……どうすれば……」
母親が崩れ落ちる。
原因不明の難病に掛かってしまったと知って絶望してしまった。
『一晩でどうにもならなかった』
昨日の段階で異常が起きていたのは分かっていた。
理想としては一晩経って普段通りに戻ってくれていることだったが、今の様子を見る限りそのようなことにはならなかった。
自分の理想から問題を甘く見積もってしまった。
「この村にはありませんが、大きな教会なら『睡眠病』に罹ってしまった者を受け入れてくれているようです。馬車に頼んで連れて行ってもらうことにしましょう」
「……いえ、息子は家に連れて行きます」
少しでも家族と一緒にいたい。
そういう風に考える人たちは教会に頼ることなく、自分たちで看病する道を選んでいる。
ただし、現状を認識したところで体から力が抜けてしまったのかなかなか起き上がれずにいる。
「お辛いでしょうが息子さんの為にも頑張りましょう」
錬金術師が励ましている。
……もう、見ていられない。
「――【世界】」
部屋の中の時間が停止する。
これで、部屋の中にいる二人がこれから行われる事を認識することはない。
「助けるぞ」
誰も反対しないみたいで全員が頷いた。
助けるなら助けるで相応の覚悟を持たなければなりません。
理想は関わらないことでしたが、見ていられなかったため助けることにしました。