第30話 大きな背中の上
「ただいま」
アリスターにある屋敷へ帰ると外からでも分かる楽しそうな声が庭から聞こえてくる。
時刻は昼過ぎ。昼食を終えた子供たちが遊んでいる時間だ。
庭へ向かうと背を向けてホワイトウルフに跨ったリエルの姿が見える。
リエルの向こう側にも別に跨った姿が見え、跨っている物に問題があった。
「いけ、じぃちゃ」
「いや、行けと言われても……」
リエルと相対しているのはヴィルマ。
背中を叩いてホワイトウルフへ向かうよう言っている。
「……本当に何をしているんですか」
跨られている物に目を向ける。
そこにいたのは四つん這いになって背中にヴィルマを乗せているイリスの育ての父親とも言えるフィリップさん。もう高齢なのだが、数年前まで冒険者としてイリスと共に最前線で活躍しており、今でも鍛えるのは欠かしていないため大きな体は今でも健在だ。
その大きな体は小柄な子供を乗せるぐらい余裕があり、ヴィルマを乗せて遊ぶぐらいなら余裕があった。
ただし、そんな状態で目の前にいる大きな狼の魔物に向かって行くのには困惑させられた。
もっとも、もっと困っているのはホワイトウルフの方だ。序列に厳しい狼の魔物であるため俺たち迷宮主や迷宮眷属には絶対服従で、子守をさせられても文句一つ言わない。
そして、目の前で幼女に跨られている男性が身内で、あまり傷付けたくない相手だと理解できる程度に知能はある。今も俺たちの帰宅に気付いて、どうするべきか念話を送ってきている。
困る。子供相手にどうすればいいのか正解が分からない。
『……!?』
こちらの返答に驚いたホワイトウルフが身を竦める。
全てはホワイトウルフに委ねられた。
「うおおぉぉぉ!」
結局、近付いて来るフィリップさんの額に前足を置いてから叩いた。
フィリップさんの背に乗っているヴィルマが転倒して怪我をしないよう優しく調整された攻撃。爪を立てていた訳でもない為、怪我も全くない。
「あ、おかあさん!」
てててっ、と庭を駆けたヴィルマがイリスに抱き着く。
その様子をリエルがホワイトウルフに乗りながら微笑んで見つめていた。
「ありがとう。妹と遊んであげていたのね」
「えへへ」
「けど、フィリップさんで遊ぶのは失礼よ」
「はい」
ホワイトウルフから下りるリエル。
「二人とも、お掃除は?」
「「あ」」
その時、屋敷の中からティシュア様の声が聞こえてくる。
最近ではすっかり家政婦のような扱いを受けている女神ティシュア。
リエルとヴィルマの二人は掃除の手伝いを忘れて遊んでいたらしい。
「フィリップもフィリップです。遊ぶ前にお手伝いを終えてからでないといけないのですから、大人が率先して遊んでいてどうするのですか!」
「す、すみません……」
「あら、おかえりなさい」
謝るフィリップさんの向こうに俺たちがいることに気付いたティシュア様が微笑みながら挨拶をしてくれる。ただ、エプロン姿で埃に汚れている姿から神の威厳は微塵も感じられない。
「さ、二人とも先に体を洗ってらっしゃい。それからお部屋の掃除です」
「「はーい」」
ティシュア様も挨拶だけして掃除に向かってしまったので俺たちだけが残される。
「で、いつの間にアリスターまで来たんですか?」
イリスがパーティを離れた時に最前線から離れ、古馴染みの治めるカンザスという街で冒険者の相談役のような仕事をしていたフィリップさん。
今も続けており、屋敷に住んでいないどころかアリスターにすらいない人だ。
そんな人だが、行き来に時間が掛かるにもかかわらずフラッと訪れていた。
「昨日の夕方だな。商人の護衛を務める冒険者の指導役として同行させてもらったんだが、もう日も暮れていたから昨日は宿で休んでいたんだ」
ヴィルマが生まれて以降、現役だった頃のようにアリスターまで行く人を捕まえては同行させてもらい、遊びに来るようになっていた。
ホイホイと遠方まで移動している俺たちだが、普通なら半月以上の時間が掛かる道のり。それをフィリップさんは頻繁に行っていた。
「そんな頻繁に来るなら、こっちに住めばいいじゃないですか」
「俺たちにも引き受けた仕事がある。おいそれと放棄したりできない」
「ダルトンさんと交代で2カ月に1回は来ている人の言う事じゃないですよ」
「大丈夫だ。ちゃんと移動しながら新人の指導をしているから問題ない」
イリスを鍛えた時のおかげで二人の指導に問題はない。
ただ、ここ数年は二人で行っていた仕事を半分にしているようなものなので数が減っていることが問題だ。
「おかあさん!」
「はいはい」
ヴィルマに呼ばれてイリスも屋敷に入っていく。
「イリスから手紙でヴィルマの不調を教えられた時は血相を変えてしまったけど、今は問題ないみたいだな」
「時々、体調を崩す程度です」
「あの時ほどイリスの近くにいなかったことを後悔したことはないな」
出産にタイミングを合わせてアリスターまで駆け付けてくれた。その後、祖父代わりに生まれたばかりのヴィルマを抱くとフィリップさんとダルトンさんはカンザスへ帰って行った。
ヴィルマの不調が判明したのは、そのすぐ後。不安に苛まれたイリスは現状をしたためた手紙をカンザスへ帰った二人に送ってしまった。
手紙の方が先に着き、フィリップさんたちが現状を知ったのは1カ月後。
急いで駆け付けてくれたが、出産後以上にやつれたイリスの姿を目にすることになってしまった。
「あの時は心配を掛けて申し訳ありません」
「俺たちは謝られる立場にない。お前には本気で感謝しかしていないんだ」
もう昔と言っていいほど前の出来事を思い出していた。
「あいつから『冒険者にしてほしい』って言ってきた時はティアナの幻影を視て鍛えることにしたんだ。俺たちの厳しい訓練にもついてきてくれたおかげでAランク冒険者にまでなってくれたけど、そんな訓練をしない方がよかったんじゃないかと後悔したこともある。冒険者にならなければ母親になって平和に暮らすことだってできるはずだって」
ダルトンさん、それに亡くなったエリックさんとの間で何度もされたやり取り。
「でも、今の姿を見ていると俺たちの考えは間違いだったって分かる。冒険者を続けていても俺たちの願いは叶えることができる」
ヴィルマを得て幸せそうに笑っているイリス。
ティアナさんを喪った悲しみから、イリスを幸せにすることを新たな目標にしていた3人。
「けど、俺たちがしてやれたことは冒険者として鍛えてやることと心構えを教えてやるぐらいだ。与えてやろうとしていた居場所と幸せを、あいつは自分で手にしたんだ」
真剣に悩んでいたフィリップさんたちは、イリスが一定の年齢になったら見合いを手配することも視野に入れていたらしい。
冒険者として精力的に活動していたため、あちこちには伝手があった。
「そんなに気にしているなら本気でアリスターへ移住すればいいじゃないですか」
彼らも身内と認識していた。
住む家の手配ぐらい手配するのは難しいことではない。
「いや、こうして時間を見つけてたまに遊びに来るぐらいがちょうどいい」
「今回は何日いられるんですか?」
「今日を合わせて5日だな。商人の方で取引があるから、その間は自由時間になっている」
せっかくだから、その間ぐらいはゆっくりしてもらおう。
ただし、気を付けてもらわなければならないことはある。
「もう若くないんですから子供とはいえ四つん這いになって背中に乗せるのは控えた方がいいですよ」
「若くない、か……これでも初めて会った時よりも若いつもりだ」
初めて会った時には冒険者として見えないところで体がボロボロだった。
さらに戦争でイリスに治してもらったが腕を失い、娘同然の人物が傍からいなくなってしまったことで覇気がなくなっていた。
だが、今は身体にハリが戻り、体にも覇気が溢れていた。
「それは鍛えられた部分はそのままに、齢相応に体の状態が戻っているだけです」
イリスに頼み込んで【回帰】を施してもらった。
おかげで年齢相応に在るべき姿になり、鍛えられた部分はそのままであるため覇気に溢れていた。
「お前も一度受ければ分かる」
「俺たちはそこまで齢ではないですよ」
屋敷では母たちが定期的に受けていた。女性にとって年齢による肌の荒れや体の痛みは気にしてしまうようで、そういった悩みから解放されたことで非常に喜んでいた。
ただし、それでも寿命には勝てないのでいつまでも続かない。
「屋敷にいる母たちにも言えたことですけど、本気で長生きするつもりならスキルに頼るのは止めた方がいいです」
以上で第39章終わりです。
全体的に暴走する子供と付き合うことの大変さを書ければよかったんですけどね。
次は、どちらかと言うと『父母参観』みたいな感じです。