第26話 匍匐巨人 ⑥
イリスの放った斬撃が倒れた巨人の大きな頭を両断する。
届いたのは頭頂部から鼻のある辺りまで。パックリと割れた頭部は通常なら確実に致命傷だ。それでも巨人は生きていて、斬られた場所の周囲から膨張を再開させていた。
塞がれてしまえば今の攻撃は意味を成さなくなる。
憎い相手の全力攻撃に耐え切ったことで巨人が笑みを浮かべている。
「所詮は幼子」
筋肉の膨張とは違う震えを発生させる。
イリスの放った斬撃には冷気の魔力が込められている。斬られた場所から冷気が拡散し、巨人を凍えさせる。
だが、巨人が大きすぎるせいで凍て付かせるには至らない。
それに氷で覆うことができたとしても膨張を続ける肉によって内側から破壊されてしまうことになる。
「芯から冷えろ」
だからこそ冷気を浴びせる選択をした。
巨人の体は筋肉に覆われている。厚い鎧を身に纏っているようなもののため寒さとは無縁で体温を常に一定に保つことができていた。だから涼しい洞窟内で自分の体を隠す為に最低限の服だけで生活することができていた。
巨人族になった者たちは『寒さ』を知っている。
けれども、生まれた時から巨人族である子供たちは『寒い』という感覚を知らない。
だからイリスの生み出した冷気によって初めて『寒さ』を感じていた。
初めて覚える感覚は、人間にとって言い様のない恐怖を与える。
「寒い?」
異様に膨れ上がった額に触れながら尋ねる。
顔をわずかに上げて見据えたイリスの冷たい表情が『寒さ』によって感じていた恐怖の対象をイリスへ移す。
巨人の感じる恐怖は、取り込んだ他の子供たちにも伝わり、触手も動きを止めて全身を震わせてしまっていた。
「もう疲れたでしょ――【回帰】」
イリスの手からスキルの光が放たれ、巨人へと伝わっていく。
【回帰】――巨人族を元の人間に戻す為に使用したスキル。『元の状態に戻す』という効果があり、その強力が故の制限によって巨人族の子供たちだけは人間にすることができなかった。
たしかに人間にすることはできない。
しかし、進化を暴走させている巨人族を元に戻すことはできる。
もっとも、スキルを使用する為には巨人自身の協力が必要になる。【回帰】は強力だが、対象が拒むことで失敗してしまうスキルでもある。
だから戦闘では使い難く、味方に使用するスキルになっている。
ただし、抜け道は存在する。
相手の魂に強く干渉することで【回帰】を施すことができる。
魂に強く干渉するには相手が自らを曝け出してくれるか、魂の殻を不安定にして脆くする必要がある。
戦闘中で、暴走している相手が曝け出してくれるはずがない。
必然的に戦闘中にできる方法は限られている。
「――恐怖を与えて屈服させる」
時間を置けば冷気も気にならなくなり、正気を取り戻す可能性がある。
だが、今はイリスに対して強い恐怖を抱いてしまっている。
「在るべき姿へ還れ――【回帰】」
スキルを発動させた直後、巨人の体がゆっくりとだが縮小を始める。
体から飛び出していた触手も巨人の体へ引き寄せられるようにして縮小している。
「……これで、終わりなんだよな」
「こんな使い方をしたことないから分からない」
スキルを使用したイリス自身にもどうなるのか分からない。
「どうやら杞憂だったようです」
メリッサの感覚は巨大化する度に増えていた魔力が減っていくのを捉えていた。
消失した魔力はリオール渓谷へと還っていく。リオール渓谷には魔力が充満していた。それを取り込むことで巨体を維持する為の力としていたが、魔力も【回帰】の例外ではなかったようで元あった場所へ還っていく。
――1時間後。
渓谷のあちこちに元のサイズに戻った巨人族の体が投げ出されていた。
【回帰】はたしかに効果を発揮してくれた。
「ただ、この結果は予想外だったな」
ピクリとも動かない巨人族。
それもそのはずだ。
「全員、亡くなっています」
洞窟から出て合流したシルビアの感覚は元に戻った全員から生命を感じられないことを告げた。
「なぜ、殺したのですか……たしかに、この子たちは人を傷付けました」
暴れていた巨人がどうなったのか事の顛末を見届けたい、と言ってシルビアに守られたゲルドが静かに言う。
「どのみち『危険過ぎる』という理由で処分されていた可能性の高い子たちです。冒険者連中も最初から巨人族という存在がいて対処をすれば後れを取ることはありません」
最初に調査に赴いた冒険者は巨人族がいることを知らなかった。
適した装備と人員を準備することができれば俺たち以外の冒険者でも討伐するのは不可能ではない。
そう遠くない未来に彼らは討伐されていた。
「それに、こっちも【回帰】で全員が死ぬとは思っていませんでした」
てっきり元の姿に戻って終わり、だとばかり思っていた。
だが、【回帰】の効果を勘違いしていた。
「在るべき姿に戻す――この子たちは存在そのものを許されていなかったって訳」
【世界】と混合されて生み出されたスキル。
そのせいなのか世界から爪弾きにされてしまった結果、生きていることすら許されなかった。
「……あなたたちを恨むのは間違っているのは分かっています。それでも、新しく生まれた命というのは老人にとって希望なのです」
トボトボと重たい足取りで離れて行く。
シルビアに合図して近くにいるよう告げる。あの様子だと自殺でもしてしまいかねず、リオール渓谷は自殺に打って付けな場所と言えた。
「今後は気を付けて使った方がいいな」
「それは大丈夫。【回帰】が使える敵なんてそうそういない」
「そうなのか?」
「今回は相手が幼子だから通用した」
魂に干渉できるほどの恐怖を生み出すなど簡単な事ではない。
イリスの作り出した状態以上に、自我が目覚めたばかりの幼子だったからこそ必要以上に恐怖に囚われてしまった。
もしも、取り込んだ大人たちがそのままだったなら通用しなかった可能性もある。
「暗い話はここまで。明日からの事もあるし、今日は休もう」
努めて明るく言うイリス。
これからの事を考えれば最も辛いのは彼女のはずなのだが、辛いからこそ笑顔を浮かべていた。
巨人討伐完了。
ただし、後味の悪い決着。
次回からはリザルト回ですよ。
次回は明るくないけど、次々回は明るくしたいですね。