第9話 3人の巨人
昼食を終えてから2時間後。
「どうやら先に来ていたみたいだな」
リオール渓谷と呼ばれる場所。
昔から多くの人が訪れる場所だけあって谷底へ下りる為の階段が岩壁を削っていくつか造られている。
その一つ、オネイロスから最も近い場所にある階段の傍にある木に3頭の馬が繋がれている。使い魔を通して遠くから見ていただけなので表情などの細部まで覚えていないが、この時期にリオール渓谷へ行く者は少ない。おそらくダグラムたちの借りた馬だろう。
移動手段を必要としている人たちに料金と引き換えに貸し出されている馬は大人しく、俺たちの姿を見つけて一瞬だけ警戒するものの、すぐに気にすることなく草を食べ始めている。
「あいつらは、この先へ行ったんだな」
シルビアの腕には使い魔の猫が抱えられている。
二つに分かれた尻尾を揺らしながら鳴いて頷く。追跡は中断させたが、3人の臭いを覚えていたおかげで階段に残された匂いを見つけていた。
メリッサの方でもダグラムやガジルの痕跡を見つけることはできなかったが、魔法使いであるギムンの魔力反応を捉えることができた。
「おそらく、ここへ来たのは1時間ほど前でしょう」
彼らもリオール渓谷を訪れるのは初めて。そのため入口を見つけるのに苦戦してしまったのだろう。
「しかし、本当に魔物のいない場所なんだな」
リオール渓谷までの道には魔物の姿を見つけることができなかった。
さらにリオール渓谷の内部が気になって【魔力探知】を試みてみたところ魔物の反応を捉えることができなかった。
「通常時であれば問題ないのですけど……」
「今は逆にそれが問題」
「そうだよな……」
“何か”がいるのは間違いない。
崖の上に立ってみる。
「うわぁ、かなり高いな」
谷底までの距離は100メートルほど。
谷の対岸までは300メートルほどあり、空でも飛ばない限り渡るのは不可能になっている。
谷底からは水の流れる音が聞こえる。距離があるため静かだが、踏み止まらなければ人も流されてしまうほどの速さがある。
このように険しい渓谷が20キロ以上も海の近くまで続いている。
「こんな場所に本当に“何か”がいるのか?」
「それを調べに来たんでしょ」
アイラに急かされて階段へ足を進める。
――ギャアァァァァァ!
その時、耳を貫くように悲鳴が谷底から聞こえてきた。
すぐ後ろを歩いていたシルビアと頷き合う。
断崖に作られた階段は荷物の搬出もできるよう幅が広く作られている。その広い階段を駆けて断崖から飛び降りる。
飛び下りれば100メートル程度の高さは数秒の出来事。
落ちながら谷底の状況を確認する。
「いた……!」
300メートルほど先に大きな魔物と思われる姿が3つ見える。
遠くからでは頭と手足が2本ずつある人に近い姿をしている事ぐらいしか判別することができない。
「たしかに『巨人』ですね」
シルビアには巨人型魔物の姿がはっきりと見える。
「いえ、魔物の方よりも3人の冒険者を気にした方がいいです」
ここからではダグラムたちの姿を確認することはできない。
しかし、巨人型魔物が断崖に向かって拳を何度も叩き付けていることぐらいは俺の目にも見えた。
どうやら見えているシルビアによれば壁に押さえ付けられて殴られているらしい。
「どうしますか?」
谷底に着地すると尋ねてくる。
相手は正規の手段で依頼を受けた俺たちを出し抜こうとしていた。助ける理由などない。
ただし、見捨てる理由もない。
「襲われているのに反撃している様子がない。もう十分に教訓になっただろ」
谷底を川に沿って走る。
すると、少しして巨人がいた場所の状況が見えてくる。
体長4メートルの巨人が1体、3メートルの巨人が2体いる。4メートルの方は腰と上半身を隠すように布が体に巻かれており、胸の位置が胸筋とは違った膨らみをしている。対して少し小さい2体の巨人は腰だけに布を巻いている。
1体は雌、残りの2体は雄といったところだろう。
そして、雌の巨人が2体の巨人の後ろにおり、雄の巨人が断崖に押し付けたダグラムとガジルを殴っているのを見ている。
その光景は、まるで遊んでいる子供を見守る母親のようだ。
母親の方は俺たちに気付いた。いや、雄の方は目の前の玩具に夢中でこちらを気にした様子がない。
「ひぃ……!」
巨人の手は小柄なガジルの体を覆っており、左手で掴まったガジルは身動きができないまま頭のすぐ横にある岩壁に叩き付けられた拳に怯える。
既に顔は涙などで濡れており、下半身も股間から流れ出たものによって濡らされている。
小さな子供にとって巨人に殴られるというのは耐えられるものではなかった。
ダグラムの方は殴られたせいで体の至る所が曲がり、腫れ上がっている。もう元の状態を思い出せないほどボロボロになっており、ギリギリのところで息をしていた。
二人とも今にも命の灯が消えてしまう状態。
「……魔法使いはどこに行った?」
ギムンの姿が見えない。
「あそこです」
シルビアの指差した先。
母親巨人の傍にローブに包まれた『何か』が転がっていた。
「アレか」
ローブに包まれた物の近くには血が地面に染み付いている。
今がどんな状態なのか想像できないが、ローブで包めてしまうような状態になっているらしい。
「バカな連中だ」
俺たちを出し抜こうと詳しい情報も集めないまま魔物の拠点へ乗り込んでしまった。
結果、全滅にも等しい状態になっている。
「率先して助けるつもりもないけど、生きている状況に間に合ったんだから助けるぞ」
「はい」
走りながら剣を抜いて殺気を母親巨人へ向ける。
すぐさま母親巨人が殺気に気付いて2体の巨人を守るように立ちはだかる。
「やっぱり母親みたいだな」
「間違いありません」
その姿は子供を守る母親そのもの。
人間に近しい姿をしているからこそシルビアには明確に分かる。
「けど、お前たちは人間の領域を犯した」
人間のような姿をして、人間のように生活を営んでいたとしても人間を襲う真似を何度も繰り返せば魔物として断定させられてしまう。
たとえ人間だったとしても許容できないほどの被害が出てしまっている。
「討伐させてもらおう」
吠えながら母親巨人が突っ込んで来る。
「アイラ」
その時、ガジルを掴んでいた子供巨人の腕が斬り飛ばされる。
ガジルを殴ろうとしていた子供巨人だったが、切断された腕を押さえて痛みから激しく泣き出した。
それは癇癪を起こした子供そのもの。
そんな鳴き声を聞けば母親が黙っていない。突撃しようとしていた体勢を停止させて振り向く。
「グワァ!!」
振り向いた母親巨人の首の後ろにシルビアが2本の短剣を突き刺す。
「硬っ!?」
しかし、筋肉に邪魔されて短剣が深く刺さらない。
いくら眷属の中で筋力の低いシルビアとはいえ眷属の力で刺さらないとなれば相当に硬いことになる。普通の冒険者では絶対に刺さらないだろう。
「大丈夫か?」
「おま、え……は」
「助けてほしいか?」
「あ、ああ……!」
弱々しくも頷いたのを確認してダグラムに回復薬を飲ませる。
負傷した体を僅かながら癒すことができる普通に店で売っている物だ。瀕死状態から脱することさえできれば十分だろう。
「仲間はどうする?」
「たすけて、やってくれ……!」
「まいど」
承諾を得られたところでガジルにもアイラが回復薬を飲ませる。
「それにしても、すごいな」
「あのな……皇帝から依頼を受けるっていうことは相応の実力があるっていうことなんだよ」
「オレたちは巨人にダメージを与えることすら、できなかった」
悔しさから歯を噛み締めるダグラス。
彼の見つめる先には救出される際に自身を掴んでいた腕と首を切断された巨人の死体が転がっていた。
巨人たちの戦闘能力は大したことありません。
ただし、厄介すぎる存在なので苦戦します。