第3話 背伸びした挨拶
「あ、リディアちゃんだ!」
「シエラちゃん!」
グレンヴァルガ帝国の帝都にあるリオの私室へソニアの【転移穴】で移動すると同行したシエラがすぐに知り合いの姿を見つけて駆け寄る。
名前を呼ばれた方もシエラの訪問を知って駆け出していた。
抱き合う二人の少女。その後、手をリズムに乗って何度か合わせるクスクス笑っていた。子供たちの間だけで通じる合図みたいで、どういった意図があったのか大人には分からない。
リーシアさんの娘であるリディアちゃん。
リオの子供という区分では長女に当たるので、お互いに『長女』ということで意気投合しているところがある。
これまでに何度かリオの元へ連れて来たことがあり、子供同士で遊ばせたことがあるので自然と仲良くなっていた。二人とも弟や妹はたくさんいるので寂しくないが、やはり友達にするなら同い年の同性の方がよかったらしい。
リディアちゃんの場合は、皇帝の娘ということもあって親しくしてくれるのは貴族の子供ぐらいで、その子供にしても皇帝と親しくしたい親からの命令で親しくしているだけの関係でしかない。リディアちゃん自身もなんとなく理解しているため表面上は親しくするものの心の底から仲良くすることができずにいた。
そういった事情もあって俺たちが訪れるときには子供たちも一緒に連れて来てくれるようリオの方から頼まれていた。皇帝であるリオから貴族へ何かを言ったのではどうしても命令になってしまう。頼れるのは俺たちぐらいしかいなかった、という訳だ。
「こら、先に挨拶をしなさい」
「ごめんなさい」
シエラが謝る。
「「こんにちは」」
その間にアルフやディオンが子供らしく元気に挨拶をする。
女の子や下の子たちは半年前には会っているはずのリオの事を覚えていないのか初めて会う人を前にした時のように怯えて母親の陰に隠れてしまった。
リオの方も気にした様子がない。元々が平民同然のように育てられたため、近所に住む小さな子にも慣れている。まだ母親から離れることのできない子供にとっては、この反応が普通だと理解していた。
「おひさしぶりです、こうていへいか」
「……!?」
だからこそシエラの挨拶が信じられない。
今日の子供たちは偉い人に会う、ということでおめかしをしていた。シエラも普段は着ない足の出た格好をするためスカートを履いている。
リオを正面から見るとスカートの裾を少し持ち上げて頭を下げる。
貴族の子供がする挨拶。7歳という年齢を考えると少々背伸びをしているように思える。それでもリオを前にして緊張はしているものの臆した様子はない。
「本日はおまねきいただき、ありがとうございます」
「あ、ああ」
半年前に会った時は普通に子供らしく挨拶された事を覚えている。
「……お前の所では貴族みたいな教育をしているのか?」
「まさか」
特別な教育は何もしていない。
年齢を考えて庭や公園で体を動かすことで鍛えさせ、本を読んであげることで文字を覚えさせると共に教養を身に着けさせる。ただ、どうしても必要な事だけは、どうにかして身に着けてもらうようにしている。
他には当人から要望があれば教えてあげる程度だ。
シエラには必要があったから魔法の基礎的な訓練を受けることは強要した。だが、それ以外については本人が望んだから受けさせたものだ。
「この子も言葉の意味は分かっていないんだよ」
「そうなのか?」
「リディアちゃんと仲良くしているだろ。だから『お姫様』に憧れているんだよ」
子供の直感なのかメリッサに教えてもらっていた。
メリッサ自身も興が乗ってしまったらしく簡単な所作や心構えについて教えた。もっとも、子供であるシエラが興味を最も覚えたのは言葉遣い。お姫様らしい言葉や振る舞いを覚えたことで実践したくなってしまった。
「女の子らしくていいじゃないか。ウチの娘なんてジッとしているのが苦手らしくて本物のお姫様なのにお姫様っぽくないぞ」
「シエラも普段は変わらないさ」
リオに挨拶を終えたシエラが次に向かったのはリオの長男であるガーディル君。
馴れ馴れしくガーディル君なんて呼んでいるが、十数年後には皇帝になることが決まっている少年だ。
「こうたいしさまも、おひさしぶりです」
「あ、ああ……」
父親と同じような表情で戸惑うガーディル君。
「こんごもなかよくしてくださいね」
ニコッと笑みを浮かべる。
シエラとしては精一杯お姫様っぽくした結果なのだが、ガーディル君にとっては表面上だけ親しくしてくる貴族の女子を相手にした時のような感覚を覚えてしまった。
「やめろ……」
ガーディル君が小さく呟く。
「それをやめろ!」
「え、でも……」
突然怒り出すガーディル君。
怒られていることは分かるものの、なぜ怒られているのか分からないシエラが戸惑いながらメリッサを見上げる。
今のシエラは、自分が何か失敗をしてしまったのではないか、という不安に駆られていた。
シエラの言動そのものは皇太子を前にした貴族の女子としては失敗ではなかった。ただし、ガーディル君を相手にした場合においては失敗だった。
リディアちゃんが同年代の女子の対応に辟易していたのと同じようにガーディル君も皇太子という立場でしか見てくれない同年代の子供たちに飽き飽きしていた。
だから、普通に接してくれるシエラたちが来てくれるのを楽しみしていた。
「おまえは、にせものだな!」
ガーディル君が部屋に持ち込んだ自分の剣を手にする。
剣と言っても子供が使っても問題がないよう軽い材質で作られた物で叩いて傷付けるのが精一杯な代物だ。ただし、そんな物でも同じ子供が本気で叩かれれば怪我をする可能性がある。
まさか、そんな物をいきなり持ち出すとは思っていなかった。
大人が呆気に取られている間にシエラへ剣が振り下ろされる。
この状態からでも【世界】を使用すれば確実に間に合う。ただし、時間を止める前に見たシエラの姿から必要がない、と判断してスキルの使用を中止する。
「むっ……」
ガーディル君の振り下ろした剣は、シエラがギリギリのタイミングで横へズレて回避したことで床を叩くに終わった。
諦めることなく剣を振り上げてシエラを攻撃しようとする。
「はぁ」
溜め息を吐きながら収納リングからガーディル君が使っている剣と似た材質の剣を取り出してガーディル君の剣を迎え撃つ。
そのままチャンバラごっこへと移行する。
果敢に攻めるガーディル君だったが、悉くシエラにとってあしらわれている。
「随分と上手くなっているな」
「本人が望んでアイラから学んでいるからな」
アイラから剣を学んだことで剣術が身についている。
残念ながら体が出来上がっていないため力不足から剣を扱うには至っていないが、同じ子供が繰り出す攻撃をいなすぐらいは十分にできる。
「これで魔法も使えるんだろ。しかも、さっきは収納リングも使っていたぞ」
「便利だから与えただけだ」
本来なら7歳の子供に与えるには早すぎる。
だが、シエラは魔法の訓練をしていたこともあって魔力の操作が大人並みにできるようになっていたため与えることにした。
「あんまりイジメるなよ」
「はーい」
明るい声で返事がされる。
弟や妹の面倒を見ているシエラは手加減というものをしっかりと分かっている。ガーディル君に致命的な怪我をさせることはないだろう。
他の子供たちも、いつの間にか自分の姉や兄を応援するようになっている。
一応は遊びのつもりなのだろうけど、万が一ということも考えられるのでアイラの傍で見守っているよう伝える。リオ側からもソニアが見てくれることになった。
子供たちは子供たちで遊ばさせておいて大人は仕事の話をする。
ただ、将来の事が心配になってしまう。
「こんな調子で大丈夫なのかな?」
「マリーから未来が変わった話は聞かないな」
顔を合わせる度に未来を観測してもらうようお願いしているが、シエラがガーディル君と思われる男性と結婚している未来は変わっていないらしい。
これまでは自然な成り行きに任せていた。
「がんばれ」
何かを視たらしいマリーさんがガーディル君の事を応援していた。
「何を視た?」
「このまま負かされて、今後も勝とうとムキになるところ」
「――なら、安心だな」
「え、そうなのか?」
自分の息子が負かされる。
しかも皇太子だということを考えると危ない気がする。
「ガーディルはちょっと才能のせいで慢心していたところがあるからな。負けたことで訓練に身が入るようになるなら負けはちょうどいいぐらいだ」
これが貴族の子息たちなら問題は多少あった。
だが、相手は他国の平民の子供。
それに--未来の皇妃になるかもしれない相手。
「あの子なら問題ないだろ」
今も頭を軽く叩かれた姿を見て微笑ましくしている。
それでも、たった一度の敗北でめげずに挑戦しようとしている。
「皇帝のお前が納得しているならいいけどな」
とりあえずフラグだけ立てておきます。