第2話 地下91階~
地下91階。
ゼオンに攻め入られる前までは地下90階までしかなかったため慌てて拡張した階層。
本来、迷宮の階層を追加する場合には階層の広さを指定し、環境を設定してから空間を作り上げる必要がある。
だが、あの時はそんな余裕がなかったため最低限の設定しか行えていない。
「できることならここにも手を加えたいところなんだけどな」
「上も少ししか元に戻っていないし、ここから先に手を加えるのはもっと先になるんじゃない?」
隣にいるノエルが言うように5年が経っても迷宮は元に戻っていない。
この5年の間に稼ぐことができた報酬を全て回せば元に戻っていたかもしれないけど、レジュラス商業国にある商業組合の借金を返済することを最優先にしていたため迷宮の復旧は後回しにしていた。
「でも、さすがに殺風景過ぎるだろ」
作業はイリスに任せていたから出来栄えに文句はない。
気になるのは、100メートル四方の箱みたいな形をした真っ白な空間があるだけ、というところだ。
階層にあるのは二つの転移魔法陣のみ。
本当に空間だけを用意した階層だった。
「不満なのは分かります。ですが、ただ下へ拡張するだけなら効率的な空間だと思いますよ」
今のところは誰も訪れることのない空間。
下手に罠や魔物が生活しやすい環境を整えたところで維持に魔力を無駄に消費してしまうだけになる。
なら、何もない空間で魔力が循環することができるスペースを用意すればいい。
「でも、100メートルは広すぎるんじゃないか?」
「そんなことはありませんよ。大量の魔力が流れて来たなら魔力が詰まって循環しなくなります。何事も必要最小限、というものがありますよ」
本当に最小限の10メートル四方の空間を用意してしまうと流れて来た魔力が詰まって循環不全を起こす可能性があったので、余裕を持たせて循環するようにする為に100メートルが必要だった。
「ま、広さに関して文句を言うつもりはないんだよ」
同じような光景が続く階層を下りて行く。
少しして辿り着いた地下95階では、それまでとは空気が打って変わって重たくなる。
「いや、本当に空気が重たくなっている訳じゃないんだけどな」
空間を満たす濃密な魔力のある階層へ移動したことによって空気が重たくなった、と勘違いしてしまった。
原因へ目を向ける。
階層の中心で胡坐を掻いて目を閉じている大男。
ズボンは履いているものの上半身は恥ずかしげもなく裸を晒しており、体から魔力を放出すると同時に自らが放出した魔力を取り込んでいる。
そうして放出した魔力を無駄なく取り込むことによって緻密な魔力操作を可能にする訓練を続けている。
さらには濃密な魔力を浴びることによって肉体の鍛錬にもなっている。
格闘家である彼――黄金の鬣らしい訓練だ。
「よ、精が出るな」
声を掛けると閉じていた目がゆっくりと開けられる。
「来てくれたか。もてなしもできず申し訳ない」
「気にするな。俺の……俺たちの為にしてくれている訓練なんだから遠慮する必要はないんだ」
「はははっ、そういう訳にもいかない」
立ち上がり自然な動作で近付いてくる。
そうして拳が届く距離まで近付いた瞬間――
「ほう。腕を上げたな」
「これでも相当な修羅場は潜ってきたつもりだからな」
突き出された拳を受け流してゴールデンメーンの顎下へ拳を添える。
反撃できたことで満足してくれたのか離れると服を着て話し掛けてくる。
「こんな場所で修業を続けていて気が滅入らないか?」
「そんなことにはならない。ここは修行に打って付けだ」
「……お前にとっては、だろ?」
俺なら何もない空間に数十分いただけで我慢の限界が訪れる。
ところが、ゴールデンメーンは先ほどのような修行を5年前から続けていた。
「満足できそうか?」
「……悪いが、武の道に満足というものはない」
よほどキリエに負けてしまったのが悔しかったのか地下90階以降の状態を聞くなり修行に入って鍛錬に勤しんでいた。
以前と見た目はそれほど変わらない。だが、筋肉の密度が増していながら以前と変わらない速度を維持して動き回ることができる。
先ほどの攻撃も受け流すことはできたが、防御を完全にできる自信はない。
「用はそれだけか?」
「いや、元々は90階以降をどうするのか相談する為にメリッサたちと一緒に回っていたところで、姿を見掛けたから話し掛けただけなんだ」
「申し訳ない。自分の仕事を疎かにしてしまっていた」
「いや、気にする必要はない」
ゴールデンメーンには地下61階で生活しているレンゲン一族の監視も任せている。今年も子供が新たに二人生まれてくれたようで、順調に牧場の規模が拡張されている。
彼らもすっかりゴールデンメーンに怯えてしまっているので姿が見えなくなったところで脱走しよう、などと考えなくなった。
「あなたは貴重にも残った戦力なんだから自由にしていてくれていいんだよ」
「そういうわけにもいかない」
「真面目なんだから」
今の状況を話してノエルが笑っている。
極限盾亀は今日も海フィールドでのんびり過ごしている。人がいる時には海中で過ごし、人がいなければ砂浜で転がって陽に晒す日々。何をしているのか見ている分には全く分からないので自由にさせている。
賢竜魔女は、新しく生み出された魔物の育成に従事している。弱い魔物を育てることで強い魔物を何もない状態から生み出す分の魔力を節約して迷宮に貢献しようとしていた。ただ、訓練している姿は若者を叱る姿だけは若いババァにしか見えない。
不死皇帝については、許可を求められれば迷宮の外へ出すようにしていた。どこから調達しているのか分からないが、外から戻ってくる度に大量の不死者を抱えている。おかげで墓地フィールドに関しては元の状態を取り戻せそうになっている。
「お前もやりたいようにしていていいんだぞ」
「なら、このまま訓練にここを使わせてくれ。俺はどちらかと言えば亀の奴に近いんだ。他の魔物を率いるのには向いていない」
「そんなことないだろ」
同じ獅子の魔物などはゴールデンメーンの指示に従う。
「獣型の魔物は元から力には従順だ。奴らは俺の実力が分かるから従っているだけにすぎない」
それに指示を出すことそのものを苦手にしている。
それなら、指揮官として迷宮の戦力向上に貢献するよりも個人としての力を高めることで貢献したい。
「俺は門番だ。次に会うようなことがあるなら、あの青髪の女だけじゃなくて全員を倒してやる」
「おう、頑張ってくれ」
背を向けて意識を集中させている。
この後も修行を続ける気満々だ。
「あ、そうだ」
「何だ?」
完全な瞑想状態へ入る前に話し掛けられたことで注意を惹くことができた。
「また帝国へ行くことになった。だから何かあった時には門番を頼むぞ」
「頼まれなくても真剣にやる。で、またあの国へ行くのか?」
「いや、今度行くのはグレンヴァルガ帝国の方だ」
リオからの呼び出し。
この5年の間にも何度かあったが、面倒な魔物の討伐依頼だった。
どんな階層にするのか何も考えていない訳じゃないんです!
ただ、色々と候補があって決め切れていないんです。使う機会があったら決めます!