第42話 迷宮主の借金 ①
ルーティさんが俺たち全員の前にお茶を置く。
ただ、いつもなら部屋を退出するはずが、ギルドマスターの隣でトレイを持ったまま立っていた。
「……悪いが、これから内密の話をするんだ。お前は下で仕事をしてくれるか?」
「そういう訳にはいきません」
ギルドマスターの要請をキッパリと断るルーティさん。
「私は彼らの担当です」
「これからする話は受付が知っていい範疇を超えている。担当だからと言って知っていい事ではない」
「ですが、今の冒険者ギルドは混迷を極めています。誰かが事情を知っておく必要があります」
「それは俺が……」
「ギルドマスターは現場からの支持も篤いです。ですが、職員に対して細々とした指示を出すのが苦手ですよね。現場でも誰かが正確な情報を知っておいた方がいいはずです。なら、副ギルドマスターの私が適任だと判断します」
「あ、昇進したんですね」
いつの間にか副ギルドマスターになっていたルーティさん。
ギルドの顔として冒険者を纏めるのがガナシュさんの仕事なんだとしたら、冒険者をサポートするギルドの職員を纏めるのがルーティさんの仕事だろう。
「……そう。昇進してしまったの」
お祝いのつもりで言葉を贈ったのだが、一気に暗くなってしまった。
普通、昇進は喜ぶべき事のはずなんだけどな。
『マルス。昇進すると婚期が遠退く』
『ああ、そういうことか』
イリスが念話でバレないよう教えてくれる。
昇進すれば、それだけ忙しくなってしまい稼げるようになる。
そうなるとプライベートな時間を持つのが難しくなり、男性はルーティさんの方が稼げている状況に委縮してしまってアプローチが減ってしまう。
アリスターには昇進してしまったルーティさん以上に稼げる人は大勢いるのだが、そういった人たちを冒険者ギルドの職務で忙しいルーティさんが捕まえるのは難しい。
『……ん?』
視線を感じて顔を向けてみれば鋭い視線で睨み付けてくるルーティさんの姿が見えた。
「……いいんです。私は、もう仕事と結婚することに決めましたから」
念話が聞こえていたはずがないのだが、イリスとの間でどんなやり取りが行われたのか気付いている口ぶりだった。
「マルス君が仲間との間で言葉を交わすことなく意思疎通ができることは知っています」
「気付いていましたか」
「何年、あなたたちの担当をしていると思っているんですか」
俺が冒険者になった頃からだから随分と長い。
それだけルーティさんも年を重ねた、ということで……
「マルス君?」
「いえ、なんでもありません」
鋭く睨まれれば黙るしかない。
女性に年齢の話は厳禁だ。
「とにかくマルス君たちが特殊な能力を保有していることには気付いています。そして、それが迷宮主に由来するものだというのも気付いています」
その言葉にはさすがに反応せずにはいられなかった。
「だから何年担当をしていると思っているんですか。アレだけ迷宮で色々な物を手に入れて来ているんです。もはや『強い』なんていう一言で片付けられるレベルを超えていますよ。私以外は結論に達していないようですけど、私はマルス君が今の管理者だと予測していました」
「……これからは気を付けて行動しますよ」
とはいえ止めるつもりはない。
そこまで事情に詳しいならサポートしてもらう為にもルーティさんにも今の状況を説明した方がいいだろう。
「まず、一昨日から何があったのか説明します」
ゼオンがアリスター迷宮へ攻め込んで来た。
仲間との話し合いの結果、アリスター迷宮を限界まで拡張する決断をした。
ただし、拡張する為には魔力が必要なのだが大量に用意するには時間が掛かる。そこで手段として選択したのが財宝を【魔力変換】してしまうこと。
「上層でボスクラスの魔物に時間稼ぎをさせている間に俺とメリッサは財宝を手に入れる為に奔走しました」
「その時間稼ぎが、一昨日から報告されていた見たことのない魔物が暴れている理由なのね」
事情を知ってルーティさんが頭を抱えていた。
きちんと統制の取れた出来事だったが、事情をそのまま公表する訳にはいかないためだ。
「協力が得られたおかげで敵を倒すことには成功しました。そこは安心してください」
「それはよかった。まずは無事をお祝いしよう」
ゼオンを倒せた事を報告する。
それと言うのもイルカイト迷宮から戻って来たばかりの頃、事前に今の状況を伝えていたため凡そを把握していたためだ。
「色々と助けて頂いて本当に助かりました」
「いや、こちらとしても詳細の分からない相手に都市の運命をゆだねるのは落ち着かない話だからな」
ゼオンという強大な力を持った者がおり、アリスター迷宮を奪取しようと画策している事を教えると協力を惜しまない、と約束してくれた。
協力してくれた理由はゼオンの行動にある。
ゼオンは自分が管理していたイルカイト迷宮を使い捨てにしている。その時は、イルカイト迷宮に対してどのような想いを抱いていたのか知らない。それでも、迷宮主でありながら自分の管理する迷宮を使い捨てた事実は変わらない。
アリスターは迷宮があるからこそ成り立っている。
どんな事情があるにせよ迷宮を使い捨てにするような人間に管理を任せる判断を領主が下せるはずがない。
しかし、領主の権限の外側にいるのが迷宮主。キース様にできたのは俺に協力することで今までと変わらない管理をしてもらう事。
「君たちが管理してくれるなら借金の話は無しにしても……」
「それはダメです」
迷宮を一気に拡張させるにあたって必要になったのが資金だ。
金貨が持つ価値をそのまま魔力に変換することができる迷宮の力を利用して拡張させた。
ただ、俺が持っている資産だけでは圧倒的に足りなかったため知り合いを頼って金貨を得ることにした。
キース様にも随分と世話になった。
「我が屋敷の倉庫にあったものの使われていない物を提供しただけだ。そこまで気にする必要はないぞ」
「そういう訳にはいきません。価値の高い美術品も含まれていました。アレらは万が一の場合に備えて保管していた物でしょう?」
「そうだが……」
アリスター家は何百年も前から辺境を管理していた由緒正しき家。
辺境では唐突に何が起こるのか分からないため先祖が貯め込んでいた財宝がいくつも眠っていた。
「これが誓約書になります」
事前に用意しておいた誓約書を収納リングから取り出して渡す。
「……! これは本気か!?」
誓約書の内容は、金貨20万枚を返済するというものだ。
それだけの価値がある物を譲ってもらったのだから返済は必ずしなければならない。
「この誓約書を認める訳にはいかない。もしも、君が敵対していたという人物が迷宮を管理するようになれば予想もできない事態になっていたから協力しただけだ。これは明らかに貰い過ぎだ」
「そうでもないですよ」
地下91階よりも先の拡張を行う為にはそれまで以上の魔力が必要になった。
だから財宝を提供してくれたのは本当に助かった。
「しかし、クライス殿の息子にこのような負担を強いるのは……」
キース様は若い頃に俺の父に助けられた事がある。
もう父に恩返しをすることはできないため息子である俺や兄に色々とよくしてくれている。
だが、こればかりは譲る訳にはいかない。
「父との約束なんです。誰かから恩を受けたなら、必ず返せる人間になれ。これは私なりの恩返しです」
金銭での解決しかできないのが悔しいが、財宝を譲り受けたのだから相当する価値ある物を渡すのが適していると判断した。
「……返済する宛てはあるのか?」
諦めたようにキース様が尋ねてきた。
宛てがないようならいずれは有耶無耶にするつもりなのかもしれない。
「こちらは迷宮主です。今の状態を思えば時間は掛かりますが、必ず返済することは可能です」
迷宮主である限り収入は保障されている。
それに冒険者として危険な依頼を引き受ければ大金を稼ぐのは難しいことではない。
「そうだろうな。お前たちなら無理に思える金額でも数年で稼ぐことができるはずだ」
元冒険者であるギルドマスターはその辺の事情を十分に理解してくれている。
「ただ、その為には迷宮をどうするのか確認する必要があるな」
「ええ、その通りです」
ルーティさんの元には冒険者からの報告が上がっている。
一般的な視点から見た迷宮の情報ならルーティさんの方が詳しいはずだ。
超初心に戻って、「借金をしたけど迷宮主になって得られた超チートスキルで返済しちゃいます」に戻します。