第35話 停止世界の戦い ①
「えっと……状況が全く分からないんだけど!」
「目の前に敵がいる! それで十分!」
拳を突き出しながら駆けるキリエの前にノエルが立ち塞がって錫杖で防ぐ。
雷撃を纏う錫杖。触れた瞬間、手に僅かな痺れを感じてノエルから離れる。雷撃の直撃はキリエも避けたいところ。
「なるほど!」
詳しい状況は分からない。
それでも敵の眷属がいる事を確認するとスキルで二本の魔剣を召喚すると両手にそれぞれ持つ。
直後、アイラとイリスが同時に左右から襲い掛かる。
魔剣を掲げて防御するリュゼ。掲げられている魔剣の色は金。レベルを急激に上昇させて得られた身体能力で二人の攻撃に対応する。
「あの、私はそこまで順応できないのですけど……」
オネットが戸惑っている。
彼女たちの主観では、たった数秒程度の出来事。しかも、その数秒の間に苛烈な攻撃を浴びせられており、ゼオンの【自在】があるおかげでどうにか生きていられる状況だ。
「……時が止まっていたのです」
「え……」
叡智の書を読む為に顔を伏せていたテュアルの呟きが聞こえたオネットだったが、信じられずに思わず聞き返してしまう。
ただ、教えてあげているテュアルだったが、彼女も状況を叡智の書を以てしても正確に把握することができずにいた。
叡智の書は、あらゆる情報を読み取って記載させる本。
「この世界で、その本は万全に機能しないようですね」
「あ……」
全く動かない叡智の書を見るなど初めて。
そのせいで眼前に迫るメリッサに対応するのが遅れてしまう。
「テュアル!」
弓を構えたシャルルが矢を生成して射る。
それほど離れていない距離。いつもなら30メートル程度の距離など一瞬で矢を到達させることができる。
「え……」
急ぐシャルルが選択したのは緑色の矢。
神速の矢は放たれた瞬間を誰に見られることなく飛ぶ。
しかし、飛ぶことができたのはたったの5メートル。
「たとえ止まった世界に侵入することができたとしても、何ができるのか知っているわたしたちの方がまだ圧倒的に有利っていうわけね」
「……っ!」
「か、はっ……!」
シルビアの短剣がシャルルの体の至る所に傷を付けていく。魔力を纏うことで身を守っている眷属を相手に短剣では深手を負わせることができない。それでも浅い傷を何十ヶ所と受ければダメージになる。
テュアルも至近距離からメリッサが魔法で生み出した衝撃波を受けたことで後ろへ大きく吹き飛ばされていた。
ゆっくりと立ち上がりながら叡智の書を確認する。そこには新たな記載はない。
「それでも魔法書としての役割は果たしてくれる」
テュアルが魔力を叡智の書に注ぐと彼女の周囲に6色の球体が出現する。
火、水、風、土、光、闇の6属性による魔法弾。対象へ着弾することで様々な効果を起こさせることができる。
色とりどりの光球がテュアルの手元から飛ぶ。
しかし、それらの光球は全て5メートルの位置で停止してしまう。
眷属にも適用された【自在】でも【世界】のルールから外れることはできない。今は【世界】が支配する空間内のルールで戦うしかない。
「今度は迷宮主の本拠地へ乗り込むのですから簡単ではない、と思っていましたが……」
彼女らの失敗はマルスの実力を過小評価してしまったこと。
「それは間違いでしょう」
メリッサの声が正面から聞こえる。
ただし、テュアルの顔は正面ではなく斜め上――メリッサの頭上へと向けられている。
自分が生成したのと似た真っ赤な光球が浮かんでいることに気付いた。
メリッサが魔法で生み出した火球で、【火属性】魔法の中では基本と言っていい。
火球がテュアルに向かって飛ぶ。
自分へ迫る攻撃を見れば通常ならすぐにでも回避や防御行動を取る。けれども、火球を目にしたテュアルはどちらも行わない。
メリッサまでの距離は20メートル。今の世界では、遠距離から放つ魔法は全く効果を発揮しない。
現にメリッサの頭上から飛んだ魔法は5メートル進んだ所で止まる……
「拡散」
止まる直前で爆発して煙を発生させる。
「くっ……」
すぐに叡智の書を開いて魔法をいつでも放てるよう構える。
先ほどの爆発はメリッサが意図的に引き起こしたもの。爆発したことによって濃い煙が発生しており、テュアルの方へ走っていたメリッサの姿を隠している。
煙までは15メートルある。メリッサが煙で姿を隠した上で攻撃するとしても、さらに10メートルを移動する必要がある。迷宮眷属の戦闘において10メートルなど一瞬で詰められる距離だが、迎撃できるだけの時間は得られる。そして、相手の姿が正確に見えていないのはメリッサも同じ。迎撃の為に放った魔法に対処できる時間を与えない為にも離れ過ぎてはいけない。
――来たっ!
すぐに立ち込めていた煙が大きく揺らめく。
テュアルの手から雷撃が網のように広がって放たれる。防御の為に使われる魔法だが、迷宮眷属の力で放たれた雷撃を正面から浴びれば体を痺れさせることになる。
姿を隠していたメリッサが出てきたところを捕らえる魔法。
「こっちです」
「え……?」
背後から聞こえてきた声に顔を後ろへ向ける。
そこにいたのは眩しいほどの輝きを放つ杖をテュアルへ向けているメリッサ。
杖から放たれた火球が至近距離で爆発したことによってテュアルの背に火傷を負わせ、大きく前へ吹き飛ばす。
吹き飛ばされながらもキッと強くメリッサを睨み付ける。
だが、そんなことをしている場合ではなかった。
バァァァン!
風船が破裂するような音と共に拡散された衝撃が飛ばされながら振り向いたテュアルの背に叩き付けられる。
普段なら大きなダメージにならない攻撃。しかし、今は背中に火傷を負っており、再生が完了するほどの時間も経っていない。
「……っっっ!?」
凄まじい激痛と共にテュアルが地面に伏せる。
「まだ立てますよね」
「ええ」
弱々しくあるもののゆっくりと立ち上がる。
「できれば、何をしたのか教えてくれますか?」
「そこで聞くんですね」
「知的好奇心を抑えられない性格なのです」
メリッサが背後に現れた方法は単純に空間転移。
「……貴女も転移先が見えていなかったはずです」
視界内のどこへでも自由に移動できる【跳躍】。
あの時、煙で視界が遮られていたため使用できるはずがない。
「私が使用したのは【転移】です」
迷宮内ならば好きな場所へ移動できる。
ただし、細かな移動は苦手で、移動先を指定する為には目印となる物が必要になる。間違っても『テュアルの背後』などという指定はできない。なにせ彼女の周囲には何もなかった。
だから、移動には細かい空間の指定が必要になる。
「お忘れみたいですが、ここは私たちの支配する迷宮です。誰よりも詳しいのですから空間の指定など簡単にできますよ」
記憶力のいいメリッサだからできる方法。
そうして教えている間に魔法の構築が完了したメリッサの左右にオレンジ色に輝くドロドロと蠢く球体が浮かび上がる。
持っていた杖をテュアルへ向けると、外へ弧を描くように移動して飛ぶ。
「忘れているのはそっちも同じようですね」
テュアルが後ろへ跳んで離れる。
魔法を使用したメリッサから離れてしまえば魔法は停止する。
ピタッと動きを止める球体。
今度こそ自分の停止世界に対する見解が間違っていないことを認識すると安心する。
しかし、その安心が油断となった。
「なぁ……!?」
後ろへ跳んでいたテュアルが足元で魔力が活性化するのを感じて驚く。
ただし、驚いたところで発生する爆発を防げるものではない。
「ぁ……」
千切れかけている足でどうにか耐えて立っている。
だが、無様な姿を晒すことになろうとも倒れた方がよかった。
「この世界は私たち魔法使いにとって天敵とも言えます」
なにせ遠距離からの攻撃がほとんど失われているようなもの。
「しかし、抜け道は存在します」
例外とも言える【自在】の影響を受けた者たち。彼らが直接触れることによって止まった時間は再び動き出すようになる。
先ほどテュアルが踏んでしまったのもメリッサが直前に仕掛けていた触れることによって爆発を起こすことができるトラップ型の魔法。
時間停止の影響を受けたことで魔力の反応すら出さなかった。けれども、テュアルが触れたことによって時間は動き出し、罠は正常通りに機能した。
さらに杖を頭上へ向かって真っ直ぐ伸ばす。杖の先端から光が刃のようになって伸び続けている。
「私から離れれば効力を失う。なら、私が触れたまま遠くを攻撃すればいいだけの話です」
光の剣が振り下ろされる。
負傷しているテュアルでは満足に回避することができずに左腕が斬り落とされてしまう。
「いきなりこんな世界に放り込まれた貴女たちは理解できていないでしょうが、私たちには少しではありますが検証できるだけの時間がありました」
再生される体を見ながら思考を働かせるテュアル。
不死とも思えるような再生能力だが、無限ではない事を理解していた。
「出ることもできない世界に囚われた。おまけに制限のされた戦いを強いられる。こんな事になるとは思っていませんでした」
ただ制限があるのはメリッサも同じ。
至近距離で爆発を起こしたことによってメリッサの体にも火傷があった。
停止世界についてはメリッサの方が詳しいかもしれない。だからと言って敗北を認めるわけにはいかない。
遠距離攻撃禁止という超縛りプレイ!