第28話 打ち合わされる拳
黄金の鬣が攻撃に利用しているのは鍛え上げられた拳。
たしかに種族として屈強な体を得ているが、格闘家向きな種族ではない。それでもマルスに指導できるほどの実力を持っていたのは彼がそれだけの努力を重ねてきた個体だったから。
種族として持つ特性は屈強な肉体と今は長い髪の毛になっている黄金の鬣。
「ひゃっ!」
「捕まえた」
黄金の鬣の拳を回避したキリエの腕に髪が絡み付く。
「ちょ、盾にするだけじゃないの!?」
「そんな訳がないだろ」
慌ただしく黄金の鬣の周囲を動き回っていたキリエの動きが止まる。
「ふん!」
飛び込むと拳を叩き込む。
拘束している髪が解かれたことで後ろへと大きく吹っ飛び、地面を転がりながら倒れる。
不意を衝いて一撃を与えることができた黄金の鬣。しかし、その表情は暗い。
「それほどダメージを与えられていないことには気付いている。さっさと起き上がれ」
「あれ、バレてた?」
ケロッとした様子で立ち上がるキリエ。
「叩かれる瞬間、魔力を集中させて防御力を一気に高めたな」
「正確には神気だけど、それで合っているさ」
立ち上がるキリエが腹部に神気を集中させて防御したように全身から神気を放出させる。
神気は次第に形を変えて藍色のローブへと変わる。
薄い厚さのないローブには防御力があるようには見えない。
「それが防御力の源か」
黄金の鬣は自分が殴った物が現れたローブだと直感で信じていた。
「わたしの装備は両手のガントレットぐらいでな」
左右の足でステップを刻むように跳んでいるキリエ。
その姿を逃すまいと黄金の鬣は見続けている。
「唯一の懸念だった防御を気にすることなく飛び込めるようになった」
「……!?」
フッとキリエの姿が見ていた場所から消える。
咄嗟に左拳を斜め前へ突き出す黄金の鬣。
「へぇ、今のに反応できるんだ」
感心しながらキリエから拳の乱打が繰り出される。
キリエの動きを見切ることができない。それでも長く生きた魔物の勘から攻撃がどこへ繰り出されるのか察知して迎撃している。
だが、キリエの方がステータスは高い。拳を打ち合わせる度に衝撃で黄金の鬣の足が後ろへと押されてしまう。
「ありゃ」
「忘れていたな」
攻撃にばかり気を取られていたキリエの足首に金色の髪が絡み付く。
下半身が固定されたことでつんのめるように拳を繰り出すキリエ。
体を反らした黄金の鬣から拳が突き出される。鎧であろうとも貫けるだけの威力がある拳。
「……!?」
「人の忠告はしっかりと聞いておくべきだ」
突き出された時の衝撃によって蒸気が拳から発生している。
しかし、キリエのローブを僅かに押し込むだけで彼女にまで届いていなかった。
「全部の衝撃を吸収できると思ったんだけど、やっぱり強いな」
強く踏み込んだキリエの裏拳が黄金の鬣の横腹に叩き付けられる。
キリエの足首を拘束しているところなどではなくなった黄金の鬣が吹き飛ばされて血を口から吐き出す。
先ほどのキリエと同じような光景。けれども、血を吐き出してしまったことからキリエの攻撃の方が強い事が伺える。
「強いな」
「それはどうも。でも、あんたの方が強いさ」
立ち上がった黄金の鬣へ追撃を仕掛けるべくキリエが駆ける。
既に拳が握り締められている。直前の攻撃を思い出して恐怖から足を下げて竦んでしまう。
すぐにでも回避するしかない。
「いや……」
黄金の鬣も拳を構えると腰を落として踏み止まる。
「いいよ、迎え撃てるつもりなら迎え撃ってみな」
自分の攻撃力に自信のあるキリエが真正面から右拳を突き出す。もし、回避されてしまったとしても左拳で追撃する。
「ぐぅ……!」
「え……?」
しかし、黄金の鬣は回避することなく真正面からキリエの拳を胸に受け止める。
後ろへ飛ばされようとする黄金の鬣の体だったが、まるで何かに止められたように動かなくなる。
原因に思い当ったキリエが足元を見れば、金色の髪が杭のように地面へ突き刺さっているのが見えた。
「こういう使い方をしたのは初めてだな」
腹筋に力を入れ、左手でキリエの右腕をしっかりと掴む。
自分が捕まったことに驚くキリエ。一瞬の隙を狙って黄金の鬣が拳をキリエの顔を狙って突き出す。
ローブの強靭さは分かった。だが、正面が開いたローブは全身を守ることができておらず、首から上は無防備に晒されている。
狙いはローブに守られていない頭部。
拳が叩き付けられたことで衝撃が発生する。
「狙いは良かったと思ったんだけどな」
「そんな弱点を晒しておく訳がないだろ」
ローブの一部が伸びて帯のようになると拳の前に立ちはだかって受け止めていた。キリエにまで届いていない。
「わたしが意識していない瞬間を狙おうとしても無駄だぞ」
「……」
「このローブはわたしの意思で動かすことができる。けど、女神セレスの力で作ったローブは彼女の力でも動かすことができるんだよ」
迷宮にいても女神セレスはキリエの事を見守っている。
たとえキリエの死角を狙って拳を繰り出したとしても全体を見ている女神セレスがローブを変形させて防御する。
自分の拳が届く距離。それはキリエの拳が届く距離でもあることを意味している。
咄嗟に後ろへ跳ぶとキリエの攻撃が放たれる前に離れる。
だが、キリエに追撃する意思はなく動いていない。
慢心とも違う絶対の自信がある。
拳を握り締めるとキリエを鋭く睨み付ける。
「まだ諦めていないのか」
「当然だ。俺は迷宮の魔物だ」
黄金の鬣が不敵に笑う。
「迷宮の魔物は、迷宮に入ってきた侵入者を排除するのが役割だ。まあ、上層にいる連中は自分がやられることも含めて持て成すのが仕事なんだろうが、俺は排除を絶対の目的としてここにいる」
それぐらい迷宮眷属であるキリエは知っていた。
「だから――相手が強いぐらいで負けを認める訳にはいかないんだ」
責任感の強い黄金の鬣だったからこそ諦められなかった。
その姿は【人化】していることもあって魔物とは思えない、本当に人間臭い仕草だった。
そのせいで思わずキリエから笑い声が漏れてしまう。
「……そんな魔物もいるんだ」
「俺が特別なだけだ」
「そっか。なら、わたしが倒してきた魔物の中にも特別な魔物はいるのかな?」
巫女であるキリエだったが、普通の巫女とは違い少々特別な立場にいる巫女だった。
戦巫女。魔物や盗賊に襲われている力なき人々を自らの武力を以て救うことを生業としている巫女。
神としての格を女神セレスが失ったことでキリエの戦巫女としての役割も消滅することになった。それでも、戦巫女以外の在り方を知らないキリエは困惑し、再び女神セレスを祀られる機会を待っていた。
そして、その瞬間は訪れた。
「わたしがここにいるのは恩返し。ゼオンが迷宮の最下層まで行くことを目的にしている」
最下層へ行ってどうするのか。
具体的な事まで知らされていないが、恩に報いろうとしているキリエは愚直に助けようとしている。
「ま、わたしにできることなんて強い奴を倒すことぐらいだけどな」
迷宮の中でも最強格の魔物が倒れればマルスの敗北は決定的になる。
だからこそキリエが黄金の鬣の相手を受け持った。
「わたしは5人の中なら一番サシの勝負が強いよ」
「だろうな」
それぐらい黄金の鬣も一目見た時に分かっていた。
だからこそキリエと同様に自分が引き受けた。
「本気か? このまま戦えば確実に死ぬぞ」
「そうはならないから安心しろ」
ステータスはキリエの方が上、おまけに打ち抜くことのできないローブを装備中という絶体絶命な状況。