第10話 海蛇の支配する世界-前-
地下38階をシーサーペントに掴まって悠々と進むゼオンたち。
人間に触れた状態なら巨大な魔物が随伴していても転移魔法陣を利用することができる。これは、魔物を伴った調教師を考えた措置。迷宮主でも変えることのできないルールの一つであるためシーサーペントも地下39階へと移動する。
『これは……』
地下39階は大きな島のある階層。島の端から反対側にある転移魔法陣まで移動することで攻略が完了となる。
島の内部には海の近くでしか自生することのできない植物が生えており、冒険者の行く手を阻む。
しかし、今の地下39階は全ての木が薙ぎ倒されており、水に流された木片が漂っていた。
まるで子供が邪魔になる物を吹き飛ばしたかのような光景。
実際、邪魔に思った海蛇によって吹き飛ばされていた。
「ようこそ」
水没した地面の上に立って手を振る美女が手を振っていた。しかも、ゼオンたちに声が届くよう調整されている。
水中であっても全く気にしていない女性。見た目は人間だが、本来は全く違うであろうことは一瞬で分かった。
海蛇の方も隠すつもりはない。
『イルカイトの迷宮にもいたな』
「何を考えているのか私には分かりませんが、先ほどは随分と硬い魔物を用意してくれましたね」
相性がいいとは言えない相手との戦い。それでも張り切っていた海蛇は魔力を使い果たしてしまうぐらいの気持ちで戦いに臨んでいた。
今となっては、そこまで張り切ったのを後悔していた。
「こっちに来るのなら残しておくべきでしたね」
そうすれば、現在想定しているよりも活躍することができたはず。
「私は無駄な事をしたくありません。勝てないと分かっている相手に無謀な戦いを挑むつもりはありません」
海蛇が持っている扇子をタクトのように振るう。すると、扇子の動きに合わせて海流が渦巻いてシーサーペントが流される。当然、シーサーペントに掴まっているゼオンたちも流される。
流される程度なら問題ない。目の前の景色がグルグルと上下左右の区別もなく動き回っているものの耐えられる。
「うっぷ……」
いや、一人だけ耐えられなかったのがシャルルだ。めまぐるしく変わる視界に耐え切れなくなってシーサーペントに掴まっていた手を放して口を押さえてしまい、ついには放り出されてしまう。
「これは予想外」
チャンスとばかりに捻じられた水が槍となってシャルルへ襲い掛かる。
「チィ……!」
道具箱から出された鎖がシャルルの体を絡め取って、シーサーペントの鱗に引っ掛けられる。
このような状況ではシャルルは役に立たない。
どうにかして海蛇を倒すべく視界に捉える。
妖艶な笑みを浮かべた海蛇が上へ巻き上げられた自分たちを見ていることに気付いた。
『違う……』
海蛇はどうにかしなければならない存在。
だが、奇妙な違和感を海蛇の表情から覚えて身構えてしまう。
「ぐわ!」
腹や背中、足といったように体の至る所に走る痛みに顔を歪める。
「いったぁ!」
「これって……」
見れば仲間たちも同様の攻撃に晒されていることに気付いた。
『これは……』
意識を研ぎ澄まして手を伸ばす。
掴み取られていたのは尾びれが刃のように鋭く発達した魚型の魔物。
ブレードフィッシュ。水中を高速で泳ぎ回り、鋭い尾びれで敵を斬り裂くことができる。本来なら自分から人間を攻撃することがない臆病な性格の魔物。けれども、群れで行動するため群れの仲間が襲われた時や統率者からの命令があれば凶暴性を発揮することがある。
『群れ、か』
掴み取ったのは1体だけ。しかし、ブレードフィッシュが群れで行動するのを思い出して囲まれていることに気付いた。
『いったい、何匹いるんだ?』
海流の渦に乗ってグルグル回っている。
その状況でも常に囲まれているのが変わらない。
数十体なんていうレベルの数ではない。数十万体のブレードフィッシュに囲まれている。
「迷宮には元からいた数の多い魔物です。頼めばこのようにして階層を移動して集めることができます」
上の階層には魔物が全くいなかった。
それは、隠れていたのではなく海蛇がマルスに頼んで移動してもらっていた。
「貴方たちが相手では半端に強い魔物では倒されるだけです」
斬られた時に痛みを感じるものの蚊に刺された程度の痛みでしかない。
とてもではないが、命に関わるような傷ではない。だからと言って完全に無視してしまえるような攻撃でもない。
『テュアル、なにかデカい攻撃はないのか?』
『水中で使える広範囲の殲滅魔法はありませんよ』
シーサーペントの鱗を掴んだまま本を持った方の手を外へ向けると、テュアルの手から衝撃波が放たれる。直径20メートルの衝撃による壁が叩き付けられたことでブレードフィッシュが潰される。
この攻撃によって数百体のブレードフィッシュが倒された。
「くぅ……」
それでも、ブレードフィッシュの攻撃が止むことはない。
数百体を倒したところで全体の1パーセントにも満たない。
『いったい、何体いるっていうんですか……!』
再度、衝撃波を放とうと手を向ける。
しかし、本へ目を落とした一瞬の間に肘から先が消失する。
「……っ!」
苦痛に顔を歪ませたテュアルが思わずシーサーペントから手を放してしまう。
『お前もか』
どうにか気付いたゼオンによって鎖が巻き付けられて助かる。
水流の上には額から杭のように尖った角を生やした鮫がいた。
スパイクヘッドシャーク。海を猛スピードで泳いで額の杭で海を突き進むと泳いでいる獲物を突き刺して喰らう。
今も水流をものともせず杭で真っ直ぐ突き進むとテュアルの腕を食い尽くしていた。
「さて、第2段階です。その厄介な蛇には退場してもらうことにしましょう」
扇子を持った左手を掲げる海蛇。
「あら……?」
その手にシーサーペントの尾が絡み付いていた。
『よくやった!』
水流に逆らうことができずに流されていたシーサーペントだったが、意地を貫いて尾を必死に海蛇の方へ伸ばしていた。
そして、彼女が手を掲げたことで尾が届いた。
人化したことで自身の腕よりも何倍も太い尾に絡み付かれる。
『笑っている』
そんな状況にあっても妖艶な笑みを止めていなかった。
「そういえば、貴方たちは私の正体を知りませんでしたね」
『放せ』
「放しませんよ」
絡め取った尾を放そうとするシーサーペント。
しかし、海蛇の方が逆に右手でシーサーペントの尾を掴んでしまうと水流の勢いを利用して地面に叩き付けた。
「少しはしゃぎすぎてしまいましたね」
叩き付けた衝撃によって島が割れ、一部が流されていく。
「このまま、しばらくは付き合ってもらいましょうか……がぁ!」
倒れて無防備になったところを水流でズタズタにして攻撃しようとしたところを正面から飛んできた攻撃に胸を貫かれて吹き飛ばされる。
『まったく……こんなところで使わされるなんてな』
島に叩き付けられた瞬間、ゼオンが切り札とも言える道具をシーサーペントに突き入れていた。
『ここでは全く役に立っていないシャルルの作り出した「進化の宝玉」だ。膨大な魔力を秘めた魔石を使い捨てにするし、与えた魔物にも時間の経過で致命的なダメージがある道具。それでも、ある程度の段階をすっ飛ばして魔物を進化させることができる』
全身にあった鱗には手を引っ掛けられる隙間が僅かながらあった。それが、進化したことによって隙間なく鎧のように変わり、防具のようになっていた。
そして、防具であると同時に武器にもなっていた。
鞭のように水中を縦横無尽に動き回る体が周囲にいたブレードフィッシュを薙ぎ倒していく。さらに様子見をしていたスパイクヘッドシャークの体を尾が貫く。攻撃力はあっても耐久力の低さがネックなのがスパイクヘッドシャークだ。
『あらあら、乗り物としての価値を捨ててしまったのですね』
胸に大きな穴を開けられた海蛇が立ち上がる。
ゆっくりと上げられた顔からは妖艶さが失われ、蛇のように細められた目が鋭く開く。
『ここは私の世界。全てを飲み込むことにしましょう』
人の姿を止めて蛇となった海蛇が立ちはだかる。
絶対者のいなかった海フィールドにおいて海蛇は、海に生きる他の魔物を支配する絶対者となった。おかげでブレードフィッシュは命令に逆らうことができず、使い捨ての攻撃もしなくてはならない。