第9話 水没世界
「よし、上手くいった!」
最下層から地下37階の様子を確認しながら拳を握る。
水中の移動を余儀なくされたゼオンたちの侵攻が遅くなった。地上や空中なら普通では信じられないような加速が可能になるが、水中ではどうしても水に邪魔されて動きが遅くなってしまう。
今も水面を泳いで転移魔法陣がある場所の上まで移動すると潜水している。
これで、かなりの時間を稼げるはずだ。
「そっちはどうだ?」
「どんなに頑張っても丸1日は必要」
イリスには別の作業を頼んである。
その作業が間に合うかでゼオンたちをどうするのか決まる。
「空気は魔法でどうにでもなるだろうけど、水没した階層を移動するならどうしても時間は掛かる」
「それは、どうかな?」
「どういう意味だ」
イリスは作業の傍ら地下37階の様子を確認している。
彼らの侵攻は確実に遅くなっていた。それというのもシャルルが泳げないらしく自力では潜水することができないため仲間の手を借りて転移魔法陣のある場所まで向かっていた。泳げないことが分かっていたから水面を移動している。
「泳げない奴がいるんだから確実に遅くなるだろ。まさか、一人だけ置いて先へ進むとも思えないしな」
迷宮主と迷宮眷属の場合は、【召喚】があるから迷宮主が先へ進めばシャルルを喚び戻すことができる。
ただ、その場合は泳げないシャルルを一人にしてしまうか、彼女を守る為に誰かを残す必要がある。
それはそれで俺たちに有利となる。ゼオンを倒してしまうのが最も効果的な対処方法だ。護衛が少なくなれば戦力の投入もアリだ。
「もし、私たちがあの状況になればどうする?」
「それは……」
「ま、あたしたちも似たような状況にいたわよね」
「あそこは水没していなかっただろ」
「けど、水中を移動しましたよ」
アイラやシルビアに言われて自分たちがイルカイト迷宮にある海でどのような事をしたのか思い出した。
あの時は、安全に水中を移動する為に潜水艇を出して移動した。
「こっちにできる事は、向こうにもできると思っておいた方がいい」
「いや、それなら最初から出しているだろ」
「だから――完全に水没させるのはやり過ぎ」
追い詰められた人間ほど先の事を考えずに行動する。
☆ ☆ ☆
ほぼ水没した階層で、本来なら地上にあたるはずの場所にある転移魔法陣までキリエとリュゼがシャルルの手を引いて潜る。
彼らの顔の周りは泡が覆っている。魔法で作り出した泡の中では新鮮な空気が生成されるようになっており、水中でも空気に困ることはない。
『やっぱりな……』
移動した先の地下38階。
そこも完全に水没させられていた。いや、地下37階には体を出せるだけの空間が上の方に残されていたが、地下38階は完全に水没している。空気を確保できる場所すら残されていない。
普通の冒険者なら溺死するのを待つだけの階層。
『やってくれるじゃないか』
マルスが足止めの為にこのような階層を用意したのは明白。
だから、もう付き合うのを止めることにする。
『おい、シャルル。いつまでそうしているつもりだ』
『だって……』
水中にいることでグッタリしているシャルル。そんな彼女を両側からキリエとリュゼの二人が支えて倒れないようにしていた。
錬金術師で体を動かすのが苦手なシャルル。泳ぐ必要性などなかったため、水の中でふわふわと漂っていた。
『さっさと攻略するぞ』
ゼオンの傍に魔法陣が出現する。
その魔法陣は【召喚】の為のもの。眷属の全員が近くにいる状況で使うのだから喚び出すのは迷宮にいる魔物。
魔法陣から飛び出して来たのは蛇のような姿をした魔物。青い鱗を持ち、水中でも自在に動き回ることができている。
回遊してからゼオンの前で止まる。
『行くぞ。こんな場所に長くいられるか』
鱗に手を掛けて掴まる。
青い鱗を持つ魔物――シーサーペントも主たちが自分に掴まったことを確認すると教えられた転移魔法陣のある場所へ向かって進む。
本来は島にある木などの植物も障害物になっていた。けれども、水没したことで木のずっと上を通って移動することができるようになったことで攻略に掛ける時間を短縮させることができた。
☆ ☆ ☆
「ふざけるなぁ!」
地下38階での出来事を見て思わず床を殴ってしまった。
「水没させるのにどれだけ苦労したと思っているんだ!」
迷宮の機能で水を生成することはできる。しかし、水没させてしまうほどの水を用意するとなれば膨大な量の魔力を消費することになる。
そこで、迷宮の外にある海から水を移動させる方法を思い付いた。
まず海に道具箱を落として収納してしまう、と同時に階層に設置した別の道具箱から出す。
階層を満たすぐらいの水なら海にある水の総量から考えれば微々たるもの。
「苦労したのは私です」
真っ白なテーブルの前に置いた椅子に座ってティーカップを口へ運ぶメリッサが呟いた。
今回、海まで移動する必要があったためメリッサの【空間魔法】で近くの海まで運んでもらった。
「本当に感謝しているから……って、酒くさっ!」
てっきり紅茶でも飲んでいるのかと思ったらアルコールだった。
「私は私で神殿の改装に忙しいのです。こんな簡単に突破されるような仕掛けの為に付き合わされたのですから感謝してください」
「感謝はしているって」
俺だけだったら海まで行くのが間に合わなかった。
思い付いた時は本当に妙案だと思ったから協力してもらった。
まさか、海中での活動が可能な魔物を喚び出して協力してもらうとは思っていなかった。
メリッサが担当している部分の作業を中断させてまで協力してもらったためストレスを溜め込んでしまったのだろう。ただ、酒に頼るのはどうかと思う。
「だから言った」
イリスが言うように考えが足りなかった。
こちらができることは、向こうもできると考えた方がいい。
俺たちは海中の移動をする為に潜水艇を出したが、向こうはシーサーペントに運んでもらうことで海中の移動速度を上げた。
「仕方ない。当初のプラン通りに行こう」
強力な魔物による襲撃。
シーサーペントを喚び出したとしてもゼオンたち自身の動きは鈍いままだ。特にシャルルは泳ぐことができないみたいなので戦力にならないと考えてもいい。
「それに、どういう訳なのか凄く怒っているぞ」
普段から叱る時は静かに怒る。見た目が美人なので、静かに怒られると恐怖が凄まじい。
『少し許し難いですね』
念話が飛んでくる。
「お前の待機場所は地下39階だぞ」
海フィールドの中で最も広大な地下39階。
迎撃を担当することになった魔物からの要望で地下39階を戦闘フィールドとして定めることになった。
元々は、地下39階だけを水没させるよう要請があった。
それを俺が全ての階層に適応させたのが今回の作戦。失敗してしまったが、けっこういい作戦だと思ったんだけどな……
『問題ありません。こちらは準備完了です』
「そんなはずないだろ。イルカイト迷宮で使った魔力は戻ってないだろ」
『はい。半分ほどしか回復していません』
海フィールドで待機しているボスは海蛇。
イルカイト迷宮の最後で活躍してもらったため魔力は万全ではない。
『それでも、あのような存在を認める訳にはいきません』
「あのようなって……」
海蛇の怒りはシーサーペントへ向けられていた。
『海中を自在に泳ぐ蛇など私と完全に立場が被っているではありませんか』
「おい」
相手は間違っている。
それでも、海蛇がいつになくやる気になっているのは間違いない。
次回、海蛇VSシーサーペント