第73話 老いた雪精
迷宮を奥へ進めば進むほど吹雪が強くなる。
もう、十数メートル先を見るのが難しくなるほど荒れており、この状況なら地図を頼りに歩いていた方が安全なぐらいだ。
だからこそ、目の前に人影が現れた時には足を止めて驚いた。
「……反応なかったよな」
「はい」
シルビアも気付いていなかった気配。
目の前にいるのは、長く白い顎鬚を蓄えた年老いた男性で、薄い緑色のローブを纏っているだけで、とても雪の吹き荒れる場所で平然としていられるはずがない。
「ほっほっ、まさかこんな場所まで来る輩がいるとはのう」
ただの老人にしか見えない。
けれども、地図に表示されないということは一つの可能性が浮上する。
「迷宮と一体化した魔物か」
迷宮の砂漠と一体化したヘルアントと同じだ。
「ほう……上にも儂と同じ場所まで至った者がいるらしいの」
老人は知性を持ち、現状を正確に理解している。
「俺たちは先へ進みたいんだ。悪いけど、通してもらうことはできないかな?」
「そういう訳にもいかないのう。お主たちの目的は、迷宮を消滅させることじゃろう。迷宮を取り込んで力を得た儂たちみたいな魔物にとっては、迷宮を消滅させられるのは最も困るんじゃ。お主たちを先へ進ませる訳にはいかないのじゃ」
老人の両手に魔力が集中する。
「なによりも、お主たちのような極上の餌を前にして黙っていられる訳がないじゃろう!」
突き出された老人の手から蒼い光が放たれる。
固まっていた俺たちへ向けて放たれた光を回避する。途中にあった吹き荒れる雪が光を浴びることで氷に覆われる。さらに光の落ちた場所で弾けると、巨大な氷が生まれる。
「さすがにこんな場所まで辿り着けるだけはあるわい」
老人の周囲に蒼い光の矢が何本も生まれる。
とにかく、あの光に触れるのはマズい。
「【鑑定】――!」
老人の正体が分からないことには対処のしようがない。
「は……?」
得られた名前の回答に戸惑わずにはいられない。
だが、すぐにハッとさせられて跳ぶと立っていた場所から氷が生まれる。
「勘の良い奴じゃな」
明らかに老人の仕業。
けれども、蒼い光が飛ばされるところは見ていない。
「足を止めるな。光にばかり注目しているとやられることになるぞ!」
仲間に激を飛ばす。
走り回っている仲間たちの足元から氷が発生し、凍て付かせようとしている。
「狙いが荒いのが救いかな?」
近くを走るノエルが老人を見ながら呟いた。
「逆だ。狙いをつける必要があるから当たらないんだ」
よく見てみると老人は何も飛ばしていない訳ではない。
凍らせる場所を強く睨み、魔力を含んだ眼光を飛ばすことで『睨んだ空間』を凍らせている。
狙いを定め、魔力が届くまでに僅かな時間が必要になる。
俺たちだからこそ、その僅かな時間の間に回避することができる。
「雪の上で走り難いだろうけど、足を止めるなよ」
「でも、あの老人の正体って本当なの……? だって、『雪精』って……」
雪精。
雪に含まれる魔力に命が宿ることによって生まれる魔物。周囲の気温を下げる程度の力しか持たないため、無害な魔物として知られている。
それに人型になれるような力も有していない。
魔物、というよりも精霊に近い存在なはずだ。
「上にいたヘルアントと同じだ」
弱い魔物でも進化を繰り返した結果、異常なまでの力を有することになる。
一瞬で凍らせてしまう魔法を繰り出している雪精も、進化を繰り返したことにより強い力を手に入れ、力を行使するのに効果的な体を手に入れた。
「ふむ。これだけ撃っても厄介じゃな」
「なっ!?」
空に巨大な氷の塊が作られる。
氷の塊に向かって伸ばされた雪精の手が強く握られるとバラバラに砕けて四方へ散りながら落ちて来る。
各々が武器や魔法で迎撃している。その間も足は止めていなかったが、確実に歩みは遅くなっていた。
ヒュン――!
蒼い光の矢が飛んでくる。空から降って来る氷の破片を落とす為に神剣を使っていたところに飛んできたため神剣で受け止めてしまう。
一瞬で肩まで上ってくる冷気。このままでは全身が氷に覆われてしまう。
「チッ……!」
舌打ちしながら炎を纏った左手を右腕に押し当てる。自分へのダメージも顧みない魔法を行使したおかげで、氷の進行を押し留められる。
ホッと安心して息を吐く。
そこへ氷で作られたハンマーを携えた雪精が氷の上を滑るように雪原の上を移動しながら近付いて来る。
唯一凍らせることのできた俺へ振られる氷のハンマー。
「ほう」
近くにいたノエルが錫杖で受け止めてくれたおかげでハンマーに襲われることはない。
「よし……!」
完全に解氷することに成功すると神剣で斬り掛かる。
しかし、俺の行動を読んでいたのか斬り掛かった瞬間にはヒョイと後ろへ移動していた。
「本当に達人を相手にしているみたいだな」
こちらの動きが全て読まれてしまう。
達人だと思い込んでしまうような仕草だが、雪精が自我を獲得したのは数日前。それまでは迷宮内にある冷気の一部、自我なんて持っていなかった。
「分かっておらんな。儂は迷宮の一部であり、同時に迷宮そのものである。こんな姿を選んだのは偶然じゃが、数多の冒険者たちとの戦闘経験が儂の中にもあるんじゃ。この程度の事はできるぞい」
先ほどの氷の矢も、俺だけでなくシルビアへも向けられていた。【壁抜け】で咄嗟に回避することができたから凍らされることはなかったが、絶対的な回避スキルがなければ当たっていた攻撃。
吹雪の中で最も動けるのが俺とシルビアだと判断できる能力もある。
「とっとと倒して先へ進むぞ」
「うん!」
雪精は強い敵意と同時に食欲を向けていた。
俺たちを喰らうことで進化が可能だと判断している。そんな相手が、ちょっと隙を衝いたぐらいで逃がしてくれるはずがなかった。
次々と雪精の周囲に浮かぶ光の矢。それを掻い潜りながら接近する。
「くぅ」
雪精は中心に立ったまま動かない。
単調な攻撃だが、時間が経てば経つほどに数が多くなっている。今の雪精は、自我と経験を得たばかりの子供みたいなもの。見た目は老人だが、自身の経験を得るほどに強くなっていく。
だが、俺たちが辿り着く方が早かった。
「はぁ――!」
アイラが剣を振り下ろす。
両断する勢いで振り下ろされた剣だったが、雪精の前に出現した氷の盾によって防がれる。
「残念じゃったな」
「そうでもないわよ!」
氷の盾を認識した。
今度は、氷の盾ごと両断するつもりで剣を振り下ろす。全力で斬ることに集中しているアイラに斬れない物はない。
いや、待てよ……これまでの俺たちの攻略に関する情報も持っているなら、アイラに対して盾が意味を成さないことも知っていてもおかしくないはずだ。
それでも子供のような笑みを浮かべている理由……
「罠だ!」
注意するが一歩遅かった。
アイラの剣が盾を両断し、刃が届く距離にいた雪精もまとめて斬られる。
『そう、罠だ』
両断された氷の盾から冷気がブワッと放たれる。
濃い霧のような冷気に包まれるアイラ。数秒して霧が晴れると氷の中に閉じ込められたアイラがいた。
「残念じゃったな」
一方、斬られたはずの雪精はピンピンしていた。
それどころかアイラの隣にどこからともなく姿を現す。
「そうか。奴が雪精だっていうことを忘れていた」
あの肉体も進化の過程で作られた物。再度、形作るのも不可能ではない。
「確実に一人を仕留めることにしよう」
鋭くした手を蒼い光で覆う。
アイラの心臓を貫くように突き出される雪精の手。
「ほう……?」
残念ながら雪精の手がアイラへ届くことはない。
「し、死ぬかと思った……」
氷の内側から斬撃を発生させて自らを閉じ込める氷を斬り裂いたアイラ。
解放された直後に聖剣で、すぐ傍にいた雪精を斬り捨てるとバラバラに斬り刻む。
「それよりも気を付けろ。奴は諦めていないぞ」
斬り刻まれる苦しみは雪精にも伝わっていたはずだ。
それでも、周囲から伝わってくる雪精の感情は――歓喜。極上の餌を前にできたことを心の底から喜んでいた。
『ああ、こんな体ではダメだ。もっと、彼らと戦うに相応しい体にならなくてはならない……』
再び、体を構成して姿を現す雪精。
ただし、それまでの白髪の老人とは異なり、鍛え上げられた若々しい体をした白髪の男性だ。
「面白くなってきたじゃないか」
新しい体を得た雪精がニヤリと哂う。
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