第71話 雪精の水-前-
凍てついた風の吹く雪原。
砂漠にあった転移魔法陣を利用して移動した先の階層は、そんな世界だった。
「さむっ……!」
自然とそんな言葉が漏れ出してくる。
隣を見ればシルビアたちも寒そうにしている。熱気から身を守ってくれるマントを羽織っているような状況ではない。
すぐに【宝箱】から『白のコート』を取り出す。凍て付いた雪原にいても冷気を和らげてくれる魔法道具のコート。
「……うん、少しは和らいだかな」
暖かい毛皮のコートに包まれて一安心できた。
「で、どっちへ行けばいいんだ?」
攻略情報で雪原が広がっているのは聞いて知っていた。
だが、実際に砂漠から雪原へ移動すると環境の変化に体が戸惑ってしまっていた。
「ここも5階層を繋げた階層になっていて、奥へ向かう必要がある」
砂漠の場合は、中心がスタート地点になっていた。
ところが、雪原の場合は右から左へ進むように作られていた。
「ということは……」
背後にある空間を叩いてみる。目に見える光景としては、何もないはずの場所に触れて空を切るはずなのだが、壁に触れているように手が当たっていた。
「そっちは迷宮の壁に景色が投映されている。先へ進むならこっち」
イリスに案内されて雪原を先へ進む。
雪原の先は正面に森があり、森の左右が雪原になっている。森のような目印があるおかげで地図がない人間でも迷うことがない。
とりあえずの目的地は目の前にある森だ。
「先へ進むなら森の向こう側まで行く必要がある。森を突っ切るのが最も早く抜けられる方法。けど、森の中を進む人は少ない」
「そうなのか?」
「森の中はアイスベアの住処になっているらしい」
アイスベア。氷の魔法を使用することができ、人間を狩ることを純粋に楽しめる魔物。
その実力は、複数のAランク冒険者を必要とするほどで、彼らにしても誘き寄せて孤立させたところを仕留めることで倒すことができるほど危険な魔物。できれば遭遇を避けたい魔物だが、討伐すれば高値で売ることのできる素材が手に入る上、実力を誰からも認めてもらえることができる。
ただし、俺たちにはあまり関係のない話だ。
「アイスベアが相手なら問題ないな?」
「大丈夫でしょ」
寒さに耐えながらアイラが答えてくれる。
アイスベアならアリスター迷宮にもいる。油断をするのは禁物だが、訓練で戦ったことのある相手であるため必要以上に警戒する必要もない。
☆ ☆ ☆
森の中は等間隔に同じ針のような樹が植えられている。人を惑わせるような構造になっており、設計した人物の性格が滲み出ている。
天然の迷路に惑わされることなく森の中を真っ直ぐに進む。地図がなければ真っ直ぐに進んでいるつもりでも、変な方向に進んでいたかもしれない。しかし、地図がある俺たちは間違った方向へ進みそうになったら修正すればいい。
「ですが、本当に寄り道するのですか?」
「せっかく有名な代物があるんだから手に入れていこうぜ」
雪原の森の中にはイルカイトで有名な水があった。
雪精の水、という名前で知られている水で、森の中にある泉でのみ得ることができる。
甘さを含んだ水は、一口飲むだけで体の毒素を吹き飛ばすと言われている。
地上があのような状況であるため今後は手に入れることができない代物だ。
「けど、その水を手に入れるならアイスベアをどうにかする必要があるんだよね」
泉は、雪原の中で水が得られる貴重な場所。
そんな場所へ近付こうとしている人間を魔物が警戒しないはずがない。
「ほら、出てきた」
目の前にいるのは、体長3メートルは軽くある真っ白な毛をした熊型の魔物。
四本の脚で歩きながら近付いて来たアイスベアが俺たちの正面で立ち止まると2本の脚で立ち、前脚を突き立てて向けてくる。
武器を構えたアイスベアが笑みを浮かべる。
「残念だけど、お前たちの狩りに付き合うつもりはないんだ」
浮かべられていた笑みが驚愕に歪む。
獲物だと思っていた人間がいきなり鼻先に移動していれば驚かずにはいられない。
「斬られていろ」
滑り込むような動きで神剣を用いてアイスベアの首を切断する。
血をまき散らしながらアイスベアの頭部が宙を舞って地面へ落ちる。
「こいつはけっこう美味しいみたいだからな。後で調理を頼むよ」
「仕方ないですね」
シルビアが呆れながらアイスベアを回収してくれる。
こんな寒い状況で解体作業を行うのは至難なためアイスベアを倒すことができた冒険者がいたとしても持ち帰れる少量の部位だけを持ち帰っている。少量だけだったとしても独特の味を堪能すれば、一口でアイスベアだと分かる。
俺たちの場合は全身を持ち帰っても余裕があるため後で解体作業ができる。
頭部の肉は使わないみたいなので放置されていた。
「これはこれで、使い道はある」
血の滴る頭部を持ち上げる。
すると、しばらくして血の臭いに釣られたアイスベアが何体も近付いて来た。
「アイスベアの群れが泉の近くにいるのは分かっていたからな。普通の冒険者がやるのとは違うけど、誘き寄せさせてもらった」
集まったアイスベアの群れ。
普通の冒険者は誘き寄せるにしても1体だけを群れから孤立させることを目的にしている。
だが、俺たちの目的は一網打尽にする為だ。
「数は問題ないな」
「これぐらいなら大丈夫」
ノエルが樹を利用して森の中を跳ね回るとアイスベアの1体の頭上へ躍り出る。
アイスベアたちは群れの中へ突っ込んで来た敵に反応することができない。そのまま頭へ錫杖を叩き付けられると、潰されたように地面へ体を叩き付けられる。
たった1撃で戦闘不能にされたアイスベアの上に立つノエル。
仲間を倒されたことに気付いた2体のアイスベアがノエルの左右から爪を立てて攻撃する。
爪の動きを見切って回避すると、錫杖で片方の頭を殴りつける。
アイスベアの巨体が錫杖の一撃によって倒される。あり得ない攻撃を見て残ったアイスベアが硬直する。
その停止は致命的となる。地面に着地したノエルがバネのように跳ねて、呆然としていたアイスベアの腹に錫杖を叩き込む。
肉にめり込んだ錫杖。急所を貫いてしまっていたようで、錫杖の一撃を受けただけでアイスベアが倒れる。
「おお、けっこうやるな」
以前にアリスターの迷宮でアイスベアを相手に狩った時もシルビアに頼んで調理してもらった。
その時、アイスベアの肉が気に入ってしまったのかノエルのやる気が満ちていた。
もちろん、ノエルだけではない。アイラもアイスベアの部位を斬り飛ばしながら戦闘力を奪い取っているし、シルビアは的確に急所を突いてアイスベアを行動不能にしている。
真っ白だった雪の地面がアイスベアの血で染まっていく。
血の臭いに釣られて集まるアイスベア。
「全滅するのも、そう遠くない話だぞ」
倒されるアイスベアの奥にいる存在に向かって告げる。
そこにいるのは、他のアイスベアよりも遥かに大きなアイスベア。今、この場には複数の群れが集まっている。それぞれの群れには統率者であるボスがいるが、その複数のボスをまとめているのが奥にいる大きなアイスベアだ。
「そんなに不思議か?」
【鑑定】を使わなくても戸惑っているのが手に取るように分かる。
アイスベアにとって人間は狩る対象だ。決して自分たちの方が圧倒的に数は多いのに一方的に狩られるようなことがあってはならない。
「イリス、お前はここにいる魔物と相性が最悪だ。サポートに回れ」
「そのつもり」
氷の魔法を得意としているイリスは、アイスベアと同じ属性であるため効果的にダメージを与えることができない。もちろん剣士として戦えば問題ないが、魔法を併用した時ほどの効力は得られない。
「ちょっと、あのデカい熊を狩ってくるよ」
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