第29話 黒姫-前-
リュゼやオネットと対峙してしまった現状で優先させなければならないのは、彼女たち二人を倒すことではない。一人でも多くの兵士をこの場から逃がすこと。
魔物の襲撃から守るために構築された土壁は、簡単には壊れないようになっている。壊す為には作業に数分ほど集中する必要があるが、そんな事をすればリュゼの妨害に遭うのは目に見えていた。だから、誰も土壁に穴を開けるような行動に出ることはなかった。
俺にしても同様だ。どこかを破壊しようと思えば必ず妨害があったはず。
だから、外壁の全てを消す為の魔法を準備していることを悟られないよう動いていた。
「将軍。今の状況でやるべき事は?」
「……ッ!! 撤退だ! 各部隊長の指示に従って散開しろ!!」
リュゼを前にして固まって移動すれば全滅させられる可能性が高くなる。今は誰かが囮になってでも多くの人間を逃がすべき。
非情な判断を下したホランド将軍は部隊長に指示を出す。
問題は……
「壁がなくなったぞ!」
「に、逃げろッ!」
恐慌状態に陥っている兵士たちがどれだけ従うのか、ということ。
周囲の状況など気にせず駈け出している。近くにいる同僚を突き飛ばすなどして危険に晒すことは考えられるが、そこまでは面倒を見切れない。
俺の役目はリュゼの追撃を少しでも遅らせること。
「オネットッ!」
「手伝いませんよ。都市の前から離れた瞬間に破壊しようと攻撃されるかもしれませんわ」
オネットへ助力を求めるリュゼだったが、軽くあしらわれてしまった。
都市への攻撃。誰も考えていなかった方法だが、オネットに対しては有効な手段であるのは間違いない。ただし、そんな手段に出た瞬間、オネットも率先して戦闘に参加するようになってしまう。
「もう、仕方ないな」
子供のような仕草でレジャーナへ背を向ける。
「へぇ」
その前を6人で塞ぐ。
「さすがにアタシもアナタたちを全員相手にするのは難しいかな」
撤退を考えるリュゼ。いや、一時的に退くだけで俺たちの前から姿を消したなら追撃へ移行するのは、逃げる兵士をチラチラ見る姿から目に見えている。
逃がすにしても、もう少し時間を稼ぐ必要がある。
ただ、その役目に適した人物が俺たち以外にいる。
「『黒姫』リュゼ」
ホランド将軍だ。
名前を呼ばれたリュゼがビクッと体を震わせる。明らかに知っている名前に対する反応だ。
「今の時代でも覚えている人がいたんだ」
「建国時の記録は全て読みました。陛下が帝国を建国された際の話は、とても人気があって女将軍として助けていた貴女の話は有名です」
『黒姫』リュゼ。
ガルディス帝国が建国される前、これから向かうはずだったケルディックという都市を中心に農業で栄えていた国があった。
「ケルディックは高い生産力で諸外国へも輸出を行っていた国です。それ故、ケルディックが戦禍に遇うと周辺国も食糧不足に陥ってしまいます」
暗黙の了解としてケルディックの農地へは手を出さないよう決められていた。
だから、農地ではない土地でケルディック王国は防衛線を行っていた。そこで、当時に目ざましい活躍をしていたのが『黒姫』という異名で呼ばれる黒髪黒目の美しい女性だった。
女将軍として有名だったリュゼは戦場を駆け、いくつもの功績を挙げた。
「ですが、ガルディス王国が栄えるまでの話です」
周辺国すら味方につけて攻め込んできたガルディス王国。
窮地に立たされたリュゼが奮闘するものの降参せざるを得なくなる。
「その時、大将同士で一騎討ちを行い、皇帝陛下に敗北された貴女は彼の強さに心酔して従うようになった、というのは有名な話ですよ」
「ほんっっっとうに、ムカツクでっちあげられた話!!」
怒りに任せて魔剣を地面に叩き付けるリュゼ。彼女の周囲だけ陥没してしまっている。
「でっちあげ?」
「そう。遠くから見ていた事実が伝承されているだけで、実際に何があったのかは一切触れられていない!」
敵の女将軍だったリュゼが敗北したことでガルディス帝国に仕えるようになったのは間違いない。
しかし、その動機が全く違った。
「アナタたちだって奴がどんなスキルを持っていたのか知ったんじゃない!?」
「【掌握】……」
「そのとおり。ちゃんと聞いていたんだね」
「まさか、リュゼ殿も……」
「うん。自分の意思なんてなくなって従わざるを得なくされたの。どうして、アタシが祖国の麦畑を平気で焼けるような奴に従わないといけないの」
アムシャス王子がケルディックに対して行ったのは麦畑への急襲。
暗黙の了解により、どこか気が抜けていた畑で働く人々は抵抗する間もなく畑を焼かれてしまった。
「将軍だったアタシが駆け付けた時には、何もかも焼け落ちていた」
農作物を輸出することができなくなれば周辺国への影響力がなくなってしまう。
どうにかする必要があったが、健闘も虚しく降伏せざるを得ない状況になってしまった。
「せめて畑を焼いたガルディス王国には一矢報いたい。その時、アムシャス王子が一騎討を申し出てきたの」
一騎討に勝利した暁には、過去の遺恨を捨てて帝国建国に協力してほしい。逆にアムシャス王子が負けた場合には被った損失を賠償し、独立を約束された。
窮地に立たされていたケルディックは一騎討を受けるしかなかった。
「結果は敗北。しかも、単純な敗北なんかじゃなかった。ケルディックを代表して一騎討を受けたアタシはアムシャスへの恨みも忘れさせられて従わせられた。せめて、戦場で華々しく散るなら武人として納得もできた。操り人形のように従っていないといけなかったアタシの気持ちが理解できる!?」
「……理解できます。私も、ガルディス帝国の将軍でありながら、グレンヴァルガ軍と共に祖国で戦っています。敵だった者たちと協力して、祖国を取り戻す為に戦う――これほど悔しいことはありません」
「全ッ然、分かっていない! アタシは悔しいと思うことすら禁止されていたの。アンタとは比べようがないの。死にかけたことで、かつての自分を取り戻したアタシがどれだけ悔しい想いをしたのか全然分からないじゃない!」
アムシャス王子の【掌握】は彼の死後も有効だった。
だから、彼が亡くなってから何十年も経過した今でも大きな混乱もなく、帝国を運営することができている。もしも、正気を取り戻すことができたなら大きな混乱を見舞われていたことになる。
「死にかけ……記録では、反乱の鎮圧に赴いた戦いで亡くなった、と聞いておりました」
「ああ、そういう扱いになっていたんだ。たしかにアタシは部下を連れて反乱の鎮圧に向かったよ。けど、そこに反乱なんてなかった。帝国を建国した後でなにが起こったと思う? 笑っちゃうことに【掌握】されていない連中が権力の奪い合いを始めちゃったの」
多くの兵力を保有していた国の王子がいた。彼の目には女でありながら、将軍として活躍するリュゼの事が許せなかった。
そこで、罠に嵌めて誘き出したところでリュゼの信頼する部下とまとめて葬る計画を立てた。
「【掌握】の影響下にあるアタシは仲間を問答無用で信じるようになっていた。【掌握】されていない連中だって同じガルディス帝国の人間であることには変わりない。だから、罠の可能性なんて微塵も考えないで鎮圧に向かったの」
敵からの罠は警戒できた。しかし、味方の用意した罠だからこそ引っ掛かってしまった。
「そこで斬られて死んだことになっているみたいだけど、死の淵を彷徨いながら生き延びたの」
生き残ることには成功した。だが、重傷を負ってしまったせいで日常生活を送るのが精一杯で軍人のように動くなど不可能な体になってしまった。
少なくとも復讐を実行に移すような力は残されていない。
「もう一つ」
「なに?」
「姿絵を見たことがあります。そこに描かれていたのは、20代も後半の美しい女性でした。今みたいな少女の姿ではなかったはずです。その姿は、いったい……」
「ああ、この姿? これもアタシであることには変わりない」
女将軍リュゼが活躍していたのは100年近く前。
その頃の人物なら、重傷を負って生き延びることができたとしても、とっくに寿命を全うしていなければならない。
「数年前――ゼオンと会うまでヨボヨボのおばあちゃんだったアタシにゼオンが与えてくれた奇跡――若返りよ」
若返り。
かつて俺たちを脅迫して素材を揃え、作った薬で若返ろうと考えていたレンゲン一族の族長が思い出される。今は永遠に死ぬことのないアンデッドとなって迷宮で飼っているが、彼のおかげで若返り薬が使えるようになった。とはいえ、自分たちで使うつもりはない。全員で普通に老いて、普通に寿命で死ぬ。その摂理に反するつもりはない。
「ああ、若返り薬を使ったわけじゃないよ」
「じゃあ……」
「これもゼオンの持っている【自在】の効果」
対象の年齢にすら効果を及ばせて肉体を自由自在に操ることができる。
「若返らせると相応に寿命を消耗しちゃうみたいだから普通はこんな風に使用することはできない。けど、ガルディス帝国が亡びるところを夢見て、自分の目で見るまでは死ねなかったアタシは様々な方法で寿命を延ばしていたの」
不老長寿を齎すような薬草があれば取り寄せて食べ、伝承でしか語られないような貴重な肉であっても手に入れて食べることで寿命を延ばすことを試みていた。その甲斐あって見た目は老けてしまったものの生命力溢れる老婆になっていた。
「延ばしていた寿命のほとんどを使い切っちゃったけど、こうして若くなることができたんだから無理をしてまで生き延びていた甲斐があったよ」
☆書籍報告☆
発売まで、あと2日。
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