第1話 乙女の喧嘩
パーティメンバーが4人揃ってから3カ月。
メリッサもアリスターに来てから冒険者登録をして活動を始めてからそれなりの時間が経過していた。
その間にミッシェルさんが留守番のためアリスターに残り、ガエリオさんを王都まで送り届けるなど冒険者らしい仕事をした。他にも4人で迷宮に潜り、地下36階まで行くなどした。これで海産物を大量に持って帰って来ても不審に思われることはない。
ベッドから起き上がると部屋の窓を開けて朝陽を浴びる。
「さぶっ……」
しかし、部屋の中に入って来た冷風に思わず窓を閉めてしまう。
アーカナム地方は気候の変化が乏しい地域だ。
その理由は、土地から噴き出す魔力に原因がある。魔力が一種の壁のような役割を果たし、外からの影響を受けにくくしていた。潤沢な魔力があるからこそ可能になった環境だ。
それでも全く変化がないというわけではない。
夏には蒸し暑くなるし、冬には風が冷たくなる。
とはいえ、これ以上寒くなるようなことはない。
「もう、冬になるんだよな」
俺がデイトン村を出てきたのが春になってしばらく経ってからのことだ。
その間、色々なことがあった。
「と、こんなことをしている場合じゃなかったな」
さっき窓を開けた時に刃を打ち合わせる音が聞こえてきた。
この屋敷でそんな音を出す理由は1つしかない。
「おまえたち、また喧嘩をしていたのか」
庭に出るとシルビアとアイラがお互いの武器を構えていた。
戦い始めてからまだそれほど時間が経過していないのか汗が流れているぐらいで息は落ち着いていた。
「邪魔しないで下さい。アイラには今日こそ制裁を加えます」
普段は俺に対して丁寧に対応するシルビアだが、アイラと喧嘩している時だけは冷たくなる。
「よく言うわ。今まで1度もまともに勝てたことがないくせに」
それはアイラも同じだ。
これまで何度も喧嘩してきたシルビアとアイラだが、2回目以降はお互いの実力が拮抗してきたおかげで体力が尽きて疲れ果てたことで喧嘩が終わる。
「あなたのご主人様に対する態度は最初から気に入らなかったわ」
「あたしは、マルスと一緒にいる方が面白いことが起こりそうだから一緒にいるだけだから主とか眷属とか気にするつもりがないのよね」
「この……!」
短剣と長剣が再び衝突する。
何度も喧嘩している2人だったが、喧嘩の発端となった理由は些細なものばかりだ。それが、ある程度時間が経つとシルビアが俺への態度がなっていないと言い、アイラは気にした風も挑発を行う。
今は、最初の口論が終わったところなのだろう。
「で、今日の喧嘩は何が原因なんだ?」
少し離れた場所で呆れたように喧嘩を見ていたメリッサに尋ねる。
たしか前回は夕食の献立で意見が衝突して喧嘩を始めていた。いや、夕食を作るのはシルビアとオリビアさんの仕事なんだから食べるだけのアイラには意見を言うぐらいの権限しかないんだけど。
他には依頼のない日に庭で素振りをしていたところ洗濯物を干すシルビアから邪魔だと言われて喧嘩になったっていうこともあった。
「今日は余っていたプリンをアイラさんが食べてしまったのが原因です」
「は?」
そんな理由で?
「あたしはオリビアさんから人数分のプリンが作ってあるって聞いたから自分の分を食べたら1つ余っていたからちょっと頂いただけよ」
「あれは、ただのプリンではありません。材料が余ったのでご主人様に食べてもらおうとわたしが作ったプリンです」
「それはアイラが悪いだろ」
食べてしまったプリンは余っていたわけではなく、俺の為にシルビアが作ってくれておいたプリンだった。つまり、アイラが食べたのは俺のプリンだ。
無性にシルビアを応援したくなってきた。
「とにかくアイラは謝れよ」
事情を説明している間も喧嘩を止めずに自分の武器を打ち合っているシルビアとアイラ。
よく、そんな器用なことができるな。
「もう謝ったわよ」
「そうなのか?」
「たしかに謝罪は受けました。ですが、普段の態度が態度なので制裁は必要です」
ああ、もう喧嘩が始まってしまったので原因の究明や解決方法を模索することに意味はない。
疲れ果てて止まるのを待つしかない。
今日はギルドに行くのは中止だな。
しかし、家の中に妹たちが学校に行っていて屋敷にいない時間帯でよかった。
家の中では母のミレーヌとシルビアの母であるオリビアさんが楽しそうに談笑していた。
ああ、家の中は平和そうだ……。
「あの本当にこのままでいいのでしょうか、主」
「ま、たまにあるガス抜きだと思えばかわいいものだろ」
人間生きていれば好きになれる人間もいれば、嫌いにしかなれない人間もいる。
そういう意味で健全なのは好きにも嫌いにもなれる人間だ。
だから普段は連携も取れるぐらいに信頼関係があり、時には喧嘩してしまうぐらいの人間関係はちょうどいいと考えていた。ただ、口喧嘩程度なら全く問題ないのだが、刃物を持ち出すのは危険なので止めてほしい。
「だいたい普段の態度が気に入らないっていうなら、その先輩面した態度も気に入らないのよ」
「先輩は先輩でしょ」
「たった1週間の話じゃない!」
「1週間でも先輩よ」
口喧嘩をしながらも武器を振るう。
「この際だからどっちが上かいい加減に白黒付けることにしましょ」
「そうね」
俺としては序列を付けるつもりはないんだが……。
「よろしいのですか?」
「そんなに気になるならお前が止めてもいいぞ」
「行ってきます」
後から考えれば面倒くさがらずに俺も全力で止めるべきだった。
「2人ともいい加減にしなさい」
「「黙りなさい最下位!」」
「最下位!?」
予想外な言葉にメリッサが狼狽えている。
「今、あたしはどっちが1位か2位かで揉めているの! だったら戦ってすらいないあんたは3位――最下位になるでしょ」
「たしかにそうかもしれませんが、その言い方はちょっと……」
「というわけで淫乱魔法使いは引っ込んでいなさい」
「淫乱……!?」
シルビアが普段は使わないような言葉を使っている。
「わたしたちは、あなたがご主人様とのキスで必要以上に長くしていたのを忘れていたわけじゃないからね」
ああ、眷属契約の時のことを言っているのか。
眷属契約に必要なお互いの体液交換においてメリッサともディープキスをしたわけだが、初めてのキスに興奮してしまったメリッサは数秒で十分なところを十数秒もしてしまった。
それに比べてシルビアとアイラには必要な数秒で終わらせている。
「ふふ、ふふふっ……」
メリッサの肩が震えている。
あれは、マズいような気がする。
「先ほどから聞いていれば2人とも下らないことを喧嘩して、それでよく先輩面していられますね。私がパーティに参加したのは最後ですし、今までは遠慮していましたが、2人の先輩面した態度には私もうんざりしていました」
「あたしは1週間差だけど、あんたは確実に最後でしょ」
「というわけであなたが最下位です」
「最下位、ね……2人とも私よりも長くいる割に最初のキス以降、主から手を出されていませんね」
その言葉に2人だけでなく俺までもビクッと反応してしまう。
いや、ね……さすがに眷属が相手だからと言って手を出してしまうのはどうかと思うんだよ。
「そういう意味では主と一番長い時間、そういうことをしていたのは私ということになりますね」
「ここでそれを持ち出す!?」
ああ、性的なことをしていた時間という意味でならメリッサが一番だな。
「というわけで実力でも1番であることを示せば私が正真正銘1番の眷属だということになりますね」
それは、どうだろう……。
「いいわ。この際だから3人で誰が最強なのか決めることにしましょう」
「あたしも反対しない」
シルビアが短剣を構え、アイラも剣を構える。メリッサはいつでも魔法を使えるように体内で魔力を練り、杖を準備する。
いや、それだけは絶対に阻止しなくてはならない。
「待て待て……! お前まで本気で戦ったら街が大変なことになる」
砦での盗賊団壊滅からレベルも順調に上がったおかげで既に1人で砦を破壊できるだけの火力をメリッサは得ている。
もちろん街中ということで加減してくれるだろうが、ちょっと暴れるだけでも街が壊滅状態になるかもしれない。絶対にメリッサの介入だけは阻止しなくてはならない。
「たしかに私まで普通に戦うわけにはいきませんね」
メリッサが杖を収めてくれる。
ふぅ、助かった――
「あ、迷宮核さんですか。はい、状況は見ていたと思うので分かると思いますが確認したいことが1つだけ……地下57階は私たちでも普通に使うことはできますか? あ、迷宮同調をオフにすれば問題ない。ありがとうございます」
迷宮の最下層にいる迷宮核に何かを確認していた。
「というわけで、主からここでの戦闘は禁止されてしまったので迷宮へ行くことにしましょう」
「なるほど。地下57階ね」
「いいわ。何の問題もない」
3人の姿がスタッと消える。
転移で迷宮のどこかへと消えた。
いや、さっきの会話内容から地下57階へ行ったのだろう。
「あそこはマズいぞ」
どう、マズいかと言うと本気で戦えてしまう。
「母さん、オリビアさん! 俺たちはちょっと出かけてくるから!」
屋敷の中にいる2人に一言告げてから俺も地下57階へと転移する。
すると、臨場感を出す為にいつもの脳内に響き渡る声ではなく、階層全体に迷宮核の朗らかな声が響き渡る。
『1回限りの大勝負! 迷宮主マルスの童貞を賭けた争奪戦の開始だ!』
なんて物を賭けの対象にしているんだ!?