第18話 氷採取
迷宮の地下71階。
氷と雪に鎖された氷雪フィールド。下の方は吹雪によって荒れているものの地下71階なら冷たいだけで荒れている訳ではない。
純粋に氷の採取がしたいだけなら地下71階が最適だ。
準備を終えてから地下71階へ転移する。
『お久しぶりです主、奥方様』
「堅苦しくする必要はないぞ」
転移した俺とイリス、メリッサを出迎えてくれたのは全身が真っ白な毛に覆われた猿に近い姿をした大男――ビッグフット。
大きな体からは想像もつかないほどの俊敏さで雪の上を移動し、体に見合った力で以て相手を叩き潰す。
環境を活かし、力任せな攻撃を得意としているビッグフットだったが、地下71階の管理を任せている彼は非常に紳士的だった。さすがに数百年も同じ場所で管理をしていれば威厳が身に付き、上の立場にいる者へ傅くようになる。迷宮にいる魔物にとって主と眷属は上位存在だ。
「早速だけど、案内してほしい」
『御意』
氷雪フィールドを歩き出す。
本来なら体を震わせてしまうほどの冷気が全身を襲うところだが、迷宮の関係者である俺たちには【迷宮適応】があるおかげで寒さの影響を受けることなく奥へと移動することができる。
奥へ進むと見えてきたのは凍った湖。
『綺麗な氷を手に入れるならここが最適でしょう』
湖の縁に立って触ってみる。
本物の氷だ。
「この氷は最近できた物ですか?」
『その通りです。魔物は水がなくても生きていくことができます。ですが、生物を模した魔物には本能として水を求める欲求が刻み込まれています。この氷に覆われた世界にいる魔物も変わりません。彼らにとって凍ることのない水場は欠かせない物でしょう』
氷雪フィールドにも雪が溶け、暖かい場所が存在する。侵入した冒険者が休息する為の場所だ。氷雪フィールドの大きな目的が侵入した冒険者を阻むことだったとしても継続的に訪れてもらう必要がある。そのため安全な場所を設けることで安堵感を生み出したかった。
もっとも、そんな思惑も誰かが訪れることもなかったため実っていない。
安全地帯で溶けてできた水が流れる川。いくつかの場所へと行き着き、その一つが目の前にある湖だった。
ビッグフットによって以前からある貯水池を消費するよう管理されているため新鮮な湖が生まれる。目の前にある湖も他の場所を吸い尽くした後で消費される予定になっていたはずだ。
「そんな貴重な物を貰って行っても本当にいいのか?」
『何を言っているのですか。迷宮にある物は、我らを含めて全て主の所有物です。主がどのように扱おうと我らに文句を言う資格はありません』
「けど……」
さっきからずっと感じている視線。
綺麗な水が飲めるのを待ち焦がれていた魔物たちからの視線を感じる。
『本当に……厭らしい連中ですね』
足元の雪を拾うと握り固めて遠くへ投げる。
凄まじい速度で飛んで行った雪玉は、遠くにあった木に当たると魔物のものと思われる悲鳴を轟かせる。
すぐに木の影から真っ白な狼が出てきた。
「ホワイトウルフか」
ビッグフットに追い払われて逃げていく。
狼に近い性質を残しているホワイトウルフは新鮮な水を欲していた。
『気にせず持って行ってください』
そう言うビッグフットだが非常に気まずい。
ホワイトウルフが追い払われる瞬間を見ていたこともあって他の魔物たちが近寄って来ることはないが、羨ましそうに見られ続けるのは落ち着かない。
「いえ、私たちは広大な湖の全てを欲している訳ではありません」
メリッサが言うように暑さで苦しんでいる人たちを涼ませられる程度の氷があれば十分だった。
あまりに多くの氷を持ち出しても面倒事が増えるだけだ。
『では、どれほど必要でしょうか?』
「そうですね……」
凍った湖の上に立ったメリッサが足元の氷へ向かって光の線を迸らせる。
光の線によって裁断される氷。
「結構な量を望んだな」
足元にあるせいで大きさが分かり難いが、大きな屋敷一軒分には相当する。
「たしかに、この大きさでは持ち帰り難いですね」
面倒事の中でも大きいのが持ち帰る手段だ。
収納リングや道具箱があるので持ち帰ることはできるが、何もない所からポンと出すような真似をすれば必要以上に注目を集めることになる。
メリッサがシュバババッ、と音が聞こえそうなほどの高速で両手を振り回す。
その動きに合わせて氷が次々と裁断されていく。
「おおっ!」
裁断された氷の大きさは、両手で抱えられるほど。
試しに一つ手にして持ち上げてみると透き通った氷の塊が手の中にある。
「……ただ、冷たさを感じないから残念だな」
そんな文句を言うぐらいなら【迷宮適応】をオフにすればいいだけの話なのだが、【迷宮適応】をオフにした瞬間に凍えて倒れてしまう自信がある。なにせ普段通りの軽装で訪れてしまったため防寒着などない。
「氷については帰ってから確認することにしよう」
持ち上げた氷を道具箱へと収納する。
メリッサが小さく切って、イリスと協力して収納していく。
「こんな簡単に氷が手に入るなんてな」
「これも迷宮の正しい利用方法」
大災害から逃れる為の緊急避難施設だった迷宮。
上層にある草原フィールドでは野菜が育てられ、獣型の魔物が育まれることによって肉が得られる環境が整えられている。鉱山フィールドでは鍛冶に欠かせない鉱石が得られて人々の生活が便利になっている。
そういった資源を生み出して供給するのが迷宮の役割。
こうして氷が得られるのも当然と言えば当然だった。
「問題は、ここまで来られる冒険者がいないことだよな」
「それは諦めるしかない。迷宮の攻略が簡単だったら困る」
どうにか有効利用できないかと考えてみるものの案が浮かばない。
三人で協力して行えば屋敷一つ分の氷を削り出すのも数十分で終わる。
そろそろ昼になる頃なはずだ。今から帰ればちょうどいいはずだ。
『お待ちを……』
帰ろうとした俺たちの前にビッグフットが立ち塞がる。
邪魔をしようとしている訳ではなく、俺たちを守ろうとしての行動だ。
『どういうつもりだ?』
明確な敵意が湖の奥へと向けられる。
ゆっくりとした足取りで現れたのは真っ白な毛で覆われた狼型の魔物。先ほど逃げた狼型の魔物と同じだが、体は人よりも大きくなっており、纏う威圧感が増している。
明らかに別の個体だ。
『ここの氷を持って行かれるのが気に入らない』
『迷宮へ侵入した冒険者を相手にその言葉を吐くなら同意できましたが、彼らは主ですよ』
『残念だが、我はその者を主だと認めるつもりはない』
大きな白い狼――ブリザードウルフの後ろには何体もの狼型の魔物がいた。いや、狼だけでなく他の獣型の魔物の姿も見える。
ブリザードウルフは、地下71階にいる獣型魔物の統括者でもあった。
『今の主がどれだけの強さを持っているのか我らは知らない』
敵意が向けられる。
以前に雪山を訪れた時に想定以上に苦戦させられたことから氷雪フィールドでの訓練を決意したものの色々とあったせいで本格的な訓練は後回しになっており、簡単に雪道を歩く練習ぐらいしかしていなかった。
それがブリザードウルフは遊んでいるように見えたらしい。
「俺が気に入らないのは仕方ない。だけど、敵意を向けるっていうのがどういうことなのか理解した上での行動なんだよな」
『当然だ!』
ブリザードウルフの目が蒼く輝く。
直後、氷の混じった雪が吹き荒れる。天候を操る能力を持つ魔物。神獣と同じ力だが、その範囲は限定的で吹雪を起こすことができる時間も短い。
それでも全力でスキルを使用している。
耐えられるかテストしているのだろう。
「力を見たいなら十分に見せてやるよ」
手の中に炎の塊が生まれ、次第に回転して加速していく。
熱が周囲へと振り撒かれて吹き荒れる雪を溶かす。
『ぐぅ……!』
しばらくすると力尽きたブリザードウルフが倒れる。
『このように反抗的な姿を見せる者など始末してしまいましょう』
「待て」
どうにもブリザードウルフに対しては好戦的なビッグフッドを止める。
「こいつも後ろにいる魔物たちが見ていることもあって氷を持って行かれるのを黙って見ている訳にもいかなかったんだろ」
『ですが……』
「ま、俺も勝手に持って行く訳だからな。補填はさせてもらうさ」
イリスやメリッサと協力して削れた湖に真水を魔法で生み出して注いでいく。
魔法で人が飲める水を生成すると普段以上に魔力を消費してしまうものの、消費しているのは俺たちの魔力だ。しばらく休息すれば元に戻る。
『おおっ!』
氷雪フィールドでは滅多に見ることのできない溢れんばかりの水に魔物たちが興奮している。
「氷が足りなくなるようならまた採りにくる。ちゃんと採った分は水にして戻させてもらうから安心してくれ」
『あ、ありがとうございます!』
平伏す魔物たち。
いくら生きていく為に不必要だったとしても生物として水は欠かせない物で、得られたことに興奮していた。




