第96話 悲しみに暮れて
*第96話 悲しみに暮れて*
薄暗い妖艶なランプと立ち込める硝煙とアロマが混ざり合う空気に包まれながら、足立綾斗は妻とは別の女を愛でていた。いわゆる愛人というやつだ。
若くして社長の座まで上り詰め、政略結婚だったが妻を迎え、元々素っ気ない妻とは完全に愛想を尽かしてしまった。そして数年前、美人だった秘書を愛人として迎えた。
妻は彼女の存在を知っている。
そもそも、互いの望結ばれ方ではなかったため互いを視界になど入れていなかった。
妻の方も、与えられる充分すぎる小遣いで高価なバッグや化粧品などを買いあさり、ホステスに通いつめなのだからお互い様だ。
1度も抱かぬ妻の事を考えたせいか気分が悪くなり、愛人を押し倒し欲を満たすように生肌に舌を這わせる。
そんな時だ…
突然、部屋の窓ガラスが全て割れた。
何事かと2人は窓の方を見る。
粉々に砕け散った窓ガラスの破片は床に散らばり、カーテンは夜風に吹かれてたなびいてる。
その向こうに人影があった。
ここは25階建てビルの屋上のはず。
そんなはずはない。
しかし、実際にその人影は視界の先にある。
すると、その人影はゆっくりと割れた窓に足をかけ、散らばるガラス片の上に立った。
「だ、誰だ!!」
綾斗は愛人を背中で庇い、近くにあったワインの空き瓶を掴んだ。
「お前が足立綾斗か。」
男の声だ。その声は若い。自分よりも若い声に聞こえる。
しかし、この張り詰める異様な殺気は年相応のものでは無い。
「お前が足立綾斗かと聞いている。」
少し怒ったように男は言った。
「そ、そうだ、私が足立綾斗だ。」
「そうか…お前がか……お前が中谷蒼を殺したのか…。」
「な、何の話だ!!私はそんな事…」
「数年前、お前は中谷健介の喫茶店の土地が欲しかったらしいな。」
「っ!?」
どうしてその事を!?と言うまもなく、男は続けた。
「今日の午後。中谷健介の妻真子、娘蒼が何者かによって殺された。それをやったのはお前だろう?」
「ば、バカな事を。私はずっとこの会社に居たぞ!!」
焦るように綾斗は否定する。
背中に庇われていた愛人は耳を疑った。
男は言った。
「そうだな。確かに実際にやったのはお前じゃない。お前が指示をしたんだろ?大好きなお父様、足利組次期総長、足立零弦に。」
「っ!?!?」
「足利組…?………足利組ってあの!?それに時期総長って!?」
「ち、違う!!デタラメだ!!」
「真実だ。もう一度聞く何故蒼を殺した。」
「俺は殺してなんかいない!!!!俺はただ…親父に相談を…」
「そうか。」と男は短くため息混じりに言うと。
その瞬間、手に持っていた空瓶が破裂し、破片が綾斗の左目を突き刺す。
「うぁ!?目、目がぁあ!!」
視界を奪われ慌てふためく綾斗を横目に見ながら男は言った。
「そこの女。お前は帰れ。そして今見た事を忘れろ。そうすれば命は助けてやる。」
女は慌ててシーツを掴んで体を隠しカバンと衣服を掴んで部屋を出ていった。
未だもがき続ける綾斗は女の名前らしきものを叫んでいた。
男は……いや、新は綾斗の頭を掴み上げると体を引き釣りながら窓の方へと歩んだ。
綾斗は周りの音による自分と部屋の位置関係を察して抵抗しながら、掴まれる頭の痛みに耐えていた。
そしてついに、綾斗の足先までも床から離れ、浮遊感を得た。
そして次の瞬間。綾斗の体は空中に放り出された。
ただ放り出されたのではない。
勢いをつけてだ。
それはジェットコースターに乗っている感覚に近い。
しかし、現在自分を守る安全バーなどは存在せず紐なしバンジーをしているようなものである。
いや、実際、その紐なしバンジーをしているのである。
身体にかかる浮遊感と速度が自分の心臓を潰してくるように襲いかかり、頭の中でかつての記憶が蘇る。
後悔と恐怖が1:5の割合で混ざり合い吐き気がする。
ヤダ死にたくない!!
死にたくない!!
死ぬ!!
死ぬ死ぬ!!
地面が!!ぁああ!!
地面が近づい…!!!!
地上から約50cm。
そこで健介は気を失った。
それは健介が謎の力によって重力に逆らい持ち上げられる瞬間でもあった。
新は健介の首の根っこを掴みながら地面に降り立つと、とある方向に目がけて回転しながら手荒に健介を放り投げる。
それはビルの上空を遥かに超え、ロケットのように打ち上げられた。
因みに、新の投げた方向には足利組の本拠地があった…
* * *
「何を手こずってやがる!!相手は小娘たった一人だぞ!?」
「ですが総長!!あの娘は見たことも無い兵器を使っております!!!!」
「マグナムも機関銃も歯が立たん!!!!」
「本当にどうなってやがる!?」
「こんなに銃声を響かせたらサツにも…」
「それはまずいだろ…!!!!」
「いいから床が薬莢しか見えなくなるまで打って打って打ちまくれ!!!!」
屋敷の中は騒然としていた。
耳に入るのは銃声と僅かな叫び声。しかし、その叫び声も殆ど銃声でかき消されている。
銃声との間に血相を変えて斬りかかってくる男達は涙目の若いものから鼻息を荒らげて眉間にシワを寄せるもの、厳つい傷だらけの顔の大男など様々。
しかし、それらは鉄の装甲に弾かれ、巨大な鋼のナックルの餌食となり、障子や壁に穴を開ける。酷いものは床に首から下が埋まる者もいた。
嘆息付きながら嵐は目的の人物を横目で見ながら、雨のように降り注ぐ銃弾を背中から生える4本のロボットアームで弾き、斬り掛かるものにはカウンターで屋敷をより廃墟に近づける。
そんな風に捌き続け、ようやく目的の人物、気絶した足立零弦を4つのアームの内1本でつまみ上げる。
「これで目的は果たした。あとはマスターをお迎えするだけ。」
目的は達成したが、未だ銃声は鳴り止まず、正直、鬱陶しくなってきていた。
いっその事この屋敷ごと潰してしまおうかと考えたが、それではマスターの意志から背くことになる。
なので、溜息混じりに銃弾を薙ぎ払い、斬り掛かるヤクザ達で穴を増やす単純作業を進める。
その時だ。
一瞬にして銃声の音が消えた。
それと同時に、機関銃を構えていたヤクザ達や、薙刀を構えていたヤクザ達、全員が白目を向き口から泡を吹きながらイトでも切れたかのようにバタバタと倒れた。
そして次の瞬間、付近の窓ガラスを青い炎がぶち破ると同時に一人の男が着陸した。
「お疲れ様です。マスター。此方の目的の人物は確保しました。」
「こっちも終わった。あとは吐かせるだけだ。」
新は片手に掴んだ足立健介を嵐に見せると、嵐も同様に新に零弦を見せた。
そして、すぐさま新達は窓から外へ飛び出すと、次なる目的地へ飛んだ。
* * *
「……で、失神した犯人をここまでお届けしに来ってか。」
半分呆れながら中年の警官が頭をかいた。
彼の名は、山田優。新の古くからの付き合いで、新の正体までは知らないが、政府から雇われている事は知っている。
日本で犯人を確保する度に世話になっている人物である。
新の仕事は16年以前からのもので、この時間の少し前からの知り合いであるため、山田は新を知っている事になる。
「ああ、どっちにしろアンタらが裁いた方がいいだろ?」
「私達は裁かんよ。裁くのは裁判官だ。」
「取り調べは俺達も見せてもらう。構わないな。」
「ああ、勿論だとも。君には何時も助けられてるからね。今の世界から大きな犯罪が減ったのは紛れもない君のおかげだからね。」
この時間の山田は人間の中でも新を慕っていた人物であった。
人柄が良く、お人好しなのが彼の良い部分であり、悪い癖である。
新に対しての評価が高評なのもそのせいだろう。
「俺はそんな事してない。頼まれた奴は直ちに捕まえる。偶然見つけたやつも捕まえる、それだけだ。」
「けっ、カッコイイこと言っちゃって。惚れちまうぞ。」
ぶっきらぼうに吐き捨てたのだが、それがかっこ付けと捉えたらしく山田は機嫌良さそうにニヤリと笑う。
「40代後半のオッサンが何言ってやがる。気色悪いから冗談でもやめろ。」
「ははは、彼女さんの前でそんな事するかよ。」
「か、彼女!?」
「嵐は彼女じゃない。血は繋がってないが、家族だ。俺の妹みたいなもんだ。」
新がそう答えると、若干しょげる嵐を見て山田はジト目で新を見つめるが、ノーコメントで対応した。
「…そろそろ始まる頃だな。」
新が時計を見ながらボソリとつぶやく。
「ああ、何が理由で罪を犯したのか、これでハッキリするといいんだが…」
「してもらわなければ困る。」
「おう?やけに張り切ってるな。」
「知り合いが殺られたんだ。巫山戯た理由だったらただじゃおかねぇ…」
「…誤ってお縄をかけられるなよ?俺はお前を逮捕するのなんか真っ平御免だよ。」
「ああ、分かってる。」
マジックミラーの向こうに座る足立零弦を横目で見ながら、山田に対応する。
ガチャりと音を立てて、資料を持った警官が部屋に入った。
資料を乱暴に机に放ると、事情聴取が始まった。
その時だった…
警官が座ったとほぼ同時に此方の部屋の扉も開いた。
扉の向こうからやや小太りの警官が息を荒らげながら入ってきた。
「おい、松川どうした、そんなに慌てて。」
松川と呼ばれた男は、息を整えながら「急用がありまして」と答えた。
すぅっと深呼吸をした後、キリッと真っ直ぐと俺、神藤新の方を向いた。
「貴方が神藤新さんですね?」
「ああ、そうだ。」
「おいおい、言ったそばから何かやらかしたのかよ?」
冗談交じりに山田が言う。
そんな訳あるかと心の中でツッコミを入れる。
しかし、松川の顔はやけに真剣で山田はそれに直ぐに気がついた。
そして、松川が次に口にした言葉は新の予想すらしていない言葉だった…
「“神藤時子”さんは貴方のお姉さんで間違いありませんね?」
ピクリと新と嵐はその名前に反応した。
何故この警官からその名前が出るのか。
嫌な予感がした。
松川が「落ち着いて聞いてください」と言うと、自分も上下する肩と気を落ち着けるように深呼吸する。
「今日午後3時11分頃…車の衝突事故により“お亡くなりになった”と病院から連絡があった…。」
その言葉が最初理解ができなかった。
しかし、後々喉の奥の方で冷たい何かが溢れ出し顔から熱が奪われていくのを感じた。
恐らく、嵐の目には新の顔が青ざめて見えただろう。
時姉が死んだ?まさかそんな…
信じたくなかった。
「直ぐに病院へ来るように伝えてくれと連絡が…。」
「嘘…ですよね…?」
「マジかよ…」
午後3時11分という時刻。
それは、丁度中谷蒼が死んだ時刻と一致する時間帯であった。
新は慌てて懐から死亡予知記録を取り出すが、手が震えているせいか取り落としてしまう。
慌てて広い小声で神藤時子の名を検索をする。
すると、一瞬にしてページが開きその日時を示した。
その時刻は、2031年5月5日
紛れもない、今日を書き示していた。
* * *
冷たい空間の中、部屋の中央には顔に白い布の被った遺体が3体陳列していた。
2つの遺体は大きく大人のもの。
しかし、もう1つは小さく幼い子供のものだった。
「とても状態が酷くお顔は見ない方が…」
新は医者が言い終わる前にその内の一体の遺体の布を退けた。
「っ!!」
布の下にあったのは顔…のはずである。
しかし、医者が言いかけたように状態は極めて酷い。それが顔と認識できるのがやっとで、その事が恐ろしく悲しかった。
外側から圧迫されたように潰れた顔は何とかそのパーツの位置がわかる程度でしかなく、しかし、朧げに見覚えのあるパーツで、頭部に生える僅かに血の滲んだ真っ白な髪は紛れもなく新の姉、時子のものであった。
その肌にそっと触れると、覚えのある感触が伝わりそれが時子のものである事が確信に変わる。
どうしようもない悲しみが後から後から溢れ出しそれは目から零れ落ち、止めようと思っても止められない。拭っても拭っても白い布に染みを作り、床を濡らし、膝から崩れ落ちた。
なんでこうなった。
何を恨み、誰が望んでこんな事をした。なんで気づけなかった。なんで救えなかった。それに、時姉だけではない…“彼女”も…
ギリッと歯を食いしばり床を殴る。
内心で自分を責め続ける新を見る嵐は声をかけたくてもかけられなかった。
どんな言葉をかければいいのかも分からなかった。
自分の知らない人物だったとしても誰かが死ぬのは悲しい。
だけれども悲しんでいる新を見るのはもっと悲しい。
その時だ
背後にあった扉が開いた。
医者だろうか?それとも警察?
それは既にこの部屋にいる。
他には?他人はここには入れない。
じゃあ…
「……____様、此方です…」
看護師が連れてきたのは一人の女性であった。
その姿はこの場に場違いな程鮮やか且つ淑やかな和服を着た女性だった。
歩幅の短い足音を部屋に響かせながら、新の背後を通り過ぎ、隣の遺体の前に立った。
それを冷たい眼差しで見下ろすと誰にも聞こえない程小さな声で何かを呟いた。
しかし、場所が悪かった。
女性のその角度と位置は、新の位置から十分に口元を見ることが可能な位置であった。
その動きを見た瞬間、目を見開き、背筋に稲妻のような衝撃が走った。
そして、ふつふつと何かが湧き出した。
そんな事も知らない女性は数秒後、再び扉へと歩き出し、何やら医者と話しながら扉の閉まる音が聞こえた。
元々静かだった部屋がより深い静寂に包まれた。
しかし、嵐だけには伝わった。
途轍もない程の“怒り”と極寒の“殺気”を。
しばらくすると、再び扉が開いた。
山田だった。
「死神とんでもない事が分かった!!足利組の奴らは…」
新は山田が言い終わる前にその先を答えた。
「足立綾斗、及び足立零弦は“殺人は犯していない”、“未遂”だった。」
「…その通りだ。」
「マスターそれはどういう…」
「山田続けろ。」
山田は頷くと手に入った情報を話した。
その内容をまとめるとこうだ。
足立綾斗は彼の発言どうり中谷健介の営む喫茶店の土地を狙っていた。それを零弦に相談したのは事実。
しかし、そこで計画されたのは妻の真子と娘の蒼の“拉致監禁”。
そもそも殺人自体は計画されてはいなかった。
更に、それは“未遂”に終わっている。
事故現場の付近を調べると、少し離れた路地裏でタイヤに複数個穴の開けられた黒塗りのワゴン車と数人の足利組の者と思われる5体の射殺体が見つかった。
それは零弦の向かわせた拉致班だということが判明した。
つまり、中谷蒼、真子、時姉一家の殺害に関して足利組は“直接手が出せていなかった”。
しかし、足利組は普段から警察の警戒対象だった為、この際に徹底的に調べあげられることになったそうだ。
その話を聞いた新はゆっくりと立ち上がると、山田の耳元でとある事を伝えた。
それを聞いた山田は一瞬ビクッと飛び上がり冷や汗を流した。
「……いくら何でも相手が悪過ぎる。ソレは本当の話か?」
「間違いない。それを決定づける証拠は事故を起こした車に乗っていた奴らの素性特定と奴を調べれば浮き上がってくる。
奴は間違いなく隠蔽工作をしている。
徹底的に調べ上げろ。
後はお前に全て任せる。」
「それは想像がつく…でも本当に私がやってもいいのかい?本当は君が…」
「俺は他にやるべき事が出来た。」
山田は心を覗くようにその顔に似合わぬ透き通った瞳で新の目を見た。
「…………くれぐれも間違いだけは犯さないでくれよ。君のその顔はいかにも犯罪を犯す顔だ。」
「それくらい分かってる。」
「本当に分かっているのかね…。くれぐれも頼むよ。」
山田は諦めたようにため息をついた。
「お前も、絶対に奴の証拠を掴んで見せろ。」
「ああ、もちろんだとも。私だってダテに“日本のホームズ”と謳われて無いよ。あまり舐めてもらっては困るよ。」
「頼んだ。」
「ああ、任せたまえ。」
会話を終えた後、新はすぐさま病院へ出るとリーラーを呼び戻しロボカブトで再びタイムスリップを時間を巻き戻した。
新はロボカブトに乗る前から、あの言葉を読み解いた時からずっと頭の中でその言葉が繰り返されていた。
あの時、あの女の口から零れた言葉。口の動き。
それは…
“約立たずには消えて貰うって言ったでしょ”
それが、あの女性。神藤時子の夫、その“母親”の言葉だった。