劣等生のたたかい
拳立て200回、一見すると厳しく見えるが、こんなのでへこたてるほど柔な男はここにはいないだろう。むしろ、ここでダメージを貯めないことが大事だ。
「1!2!」
7人の男たちの野太い声で数を刻み始める。一見すると異様だが、この声がまた自分たちの士気を高めてくれると長年の訓練で気づかされている。まあこの声出しは息が上がってしまう要因でもあるんだけど。
100回を越えるとさすがに汗が流れ始め、拳が痛んでくるが、まだ余裕はある。
ここでは脱落しない。
「200! やめ! 腕立ての姿勢! 腕立て200だ!」
師範からの声。さすがにまだ腕立て系がくるだろうと思ってはいたが、実際言われると心にくるものがある。しかし今までもこのパターンは数多くある。数こそ多いし少しは辛いが十分耐えられるレベルだ。
小西は少しくの字にして休むところが出ている、大丈夫か?あまり今日は調子よくないように見えると考えているうちに200回をこなし終えた。
「次は3本腕立て 50回、はじめ!」
ここで3本指の腕立てだ、決して俺自身これは得意ではない、だがこんなところでへこたてるわけにもいかないだろう。段々と腕にも来る。表情を変える者も多くなってきた。
「はぁ…あぁ…」
俺も息が上がってきた、周りから見ると辛く見えるだろうが、自分で言うのもなんだが辛くなってからが本番なタイプだ。根性は自信がある。
なんとかこなし終えるが、終わった後の疲労感が段々と濃くなってきている。
「2本腕立ての姿勢を取れ!」
少し心が折れそうになった、この腕で2本指の腕立ては正直辛い。
「50本、はじめ!」
ここも50本か!と思ってしまった。二本指の腕立ては思った以上に腕力を消耗してしまう。50回はいつもなら何とかこなすことができる、ただここまででかなり腕力を消耗している、腕も胸もなかなか辛い状況だ。
「11、12!」
声が少しずつ小さくなって、代わりに大きく息を吐くようになってくる。
小西はかなり腕がプルプルして潰れそうだし、山下もかなり苦しそうな顔をしている。
俺も正直結構キツくなってきた。二本の指にかなりの負荷がかかって、腕が震えてくる。
「29、30!」
まだあと20回残っている。正直かなりキツい。声も全体的に出なくなってきている。
そしてついに小西は態勢をキープできなくなり、そこから山下や、福田も立て続けに潰れた。
4人しか残っていない、みんな声も出ず、腕を震わせなんとかこなす。
「49… 50!」
なんとかこなし終え、指の力が思うように入らず、腕が勝手に震えてしまう。
「きつい…」そんな言葉が自然に出てくる。
しかし師範は鬼のような表情で倒れこむ俺たちのことを見ている。
「こんなところでもう倒れてんのか!声にも気合が入ってない!」
怒られるのは想定内だ、むしろまだまだ甘いぐらいに見える、これ以上に厳しい師範の姿も何度となく見ている。
「二本腕立て、もう一回50本!」
師範から厳しい声が飛ぶ。俺自身もこれは覚悟していたが、正直、50回できる腕力は残っているかというと微妙なところだ。もちろんこなせなくても即脱落ということはないが、こなせれば師範の心象は良くなるし、何より師範よ心象が悪ければ途中でも強制的に脱落させられることもある。最悪の場合昇段審査全てを打ち切られることもある。
それに、この程度の鍛錬で心を折っているようでは黒帯にふさわしい男にはなれない。それであればこなしていくしかない。
山下はもはや腕に力が入らず、指立ての姿勢も取れなくなっている。
そんな彼を無視して、師範は指立てを始めるように言う。
「1、2、3…」
全員息遣いは荒く、もはや7人全員腕が震える、山下が態勢を取れなくなり、福田が態勢を取れなくなり、小西も潰れ、そして、谷口も潰れた。俺も腕が震えて、正直体を持ち上げるのもかなり辛い。
「28、29、30…」
うぅっといううめき声も混ざる、これは酒井の声だ、酒井が明らかに限界が来てるときに漏らすうめき声、こうなるとあと5回も耐えきれないだろう、俺もあと5回も持たない、そして野田先輩ももう潰れてしまう。全員潰れると恐らく師範のことだからもっとハードになるだろう。
何としても耐えなければ…そう思っているうちに、酒井が潰れているところか見えた。
その瞬間俺の緊張の糸も完全に切れた。気力だけで持っていた俺の腕は既に悲鳴をあげていた。
1回目と2回目で同じ指を使ったのも失敗だった。そしてそのまま潰れた。酒井が潰れて一回後のことだった。
そしてその二回あとで、野田も潰れてしまった。みんな倒れこみ、とても腕立てができる状況ではなかった。
「何やってんだ!お前ら!黒帯になりたいって言ったやつがな、始まって1時間も経たずに倒れるなんてな。そんな奴らにやれる黒帯なんてねえんだ!」
師範から厳しい言葉が飛ぶ。そりゃあそうだ、こんなすぐに潰れるような体力、精神力では黒帯なんて夢のまた夢だろう。そうは分かっていても、腕は力が思うように入らない。やはり高校生になりたての自分にとって、黒帯は夢のまた夢だったのだろうか?
「いいか、お前らは劣等集団だ、今までで一番の劣等生だ!」
師範の厳しい口調での説教が続く。劣等生…そう言われると、その中でも黒帯を取れるというところを見せつけたくなる。劣等生という言葉が俺の中で響き続けた。
「お前らの腐った根性をたたき直す!正座しろ!」
俺たちはその言葉を聞いて正座する。終わりのない、延々とした正座だ。
普段はこの正座はものすごく辛いし、長いときは8時間ある、少しでも油断すれば、背中を蹴られてしまうものだ。以前は竹刀を持っていたが、師範には師範なりの苦労があって武器は持たないことにしたらしい。
そして正座は今だけは少しありがたかった。恐らく、まだまだ腕力系の練習がある、少しでも腕力を回復させたかった。
「1時間だ、止め!」
隣で蹴られたような音やうめき声が聞こえたりもしたが、正座の時間は終わったようだ。思ったより早かったし、俺も無意識に集中していてあっという間だった。先輩からも、酒井からもよく俺の特技は正座だとからかわれたものだが、正座だけは取り分け得意だった。
「お前らは一人崩れるとみんなが崩れていく、この昇段審査はみんな仲良く、手を取り合ってなんて甘ったれたもんじゃないんだ!」
厳しい言葉が飛ぶ…が、俺は正直集中していて、そんなことがあったも知らなかった。この集中力が他の局面にも欲しいぐらいだ。
「劣等生のお前らには、競う心が必要なようだ、今からロープ登りだ。ここからは徹底的に競争してもらう。」
ロープ登りで競争、またしても握力地獄の予感しかしないが、競争するとなれば、1番を取る。その心意気だけは捨てないようにしようと思った。
続く