後者 -前者の舞-
「最低ですね。私、本当に最低ですね……」
一つの席を奪い合うのは人生において珍しいものではありませんが、今回は人として最低の行いです。もしかしたら、中身が私ではなかったら色よい返事が聞けたものかしれません。その時泣くのは私だったのかもしれません。
今さら〞もし〟の話をしたところで私の罪が深くなる一方でなんの意味もありませんが、そんなことでも考えないと自分が自分を許せなくなりそうで怖いです。陰鬱な息を吐く私は足の赴くまま実家へと進んでいました。そこはまさに祭りの盛況を示す通り心を亡くすほどに足音が入り乱れていました。一応、自分の家ですが身体は清水君のため入るのが憚られ、外で待機していると期せずして清水君の姿を確認しました。
声を掛けると死角からにも関わらず驚きもせず優しげな声で話し返します。限られた時間のため、最小限の会話しかできませんでしたが、何かやってくれるようなそんな気配を感じました。清水君と別れ私は神楽殿を囲む観衆に紛れました。天候不順で集客は落ちると予想しましたが入りは上々、例年よりも多いくらいです。史上最高の月下祭。その偉業を達成する舞台は整いました。少々、天空に不安が残りましたがそこは天命、あとは人事、演者の質です。
観衆の期待が最高値に達した頃、三管を代表し釣太鼓が声を上げました。演舞の始まりです。篝火に囲まれた舞台に八人の乙女が舞い降りました。閑雅な本装束と静謐な空気を身にまとった演者は持ち場へと移動します。一番の好位置につけたのは、もちろん私こと清水君。その華やかさといったら……言葉という表現手段では余るものがあります。自分を賞賛しているようでなんですが、去年までの私とは〞もの〟が違いました。
会場も同じ感想を覚えたのか、神域はさらにその静謐さを高めます。八人の乙女を除いた人々は表現することを忘れ、この光景全てを受信することに努めたのです。
それは何も人類だけの衝動ではありませんでした。自然も意思を持っていると言わんばかりにあのこびり付いていた叢雲は月から剥がされ、その皓々とした命顔を見せようとしたのです。この現象にいち早く反応したのは宮司の父でした。月夜であればこの神聖な光景にさらに高めることができるからです。父は関係者に数箇所を除いた篝火を消すよう指示しました。これの意味するところは語るより見る方が早いと思います。百聞は一見にしかず、なのです。
観衆は目の感覚を奪われたように、瞬きを惜しみながら神楽殿に瞠目しています。その水面下、次々と篝火が消されます。気づく者はいません。そして、最後の篝火が消えたと同時に叢雲は完全に風下へと流れていました。夜の世界を統べる神が光臨なさった瞬間です。
「…………美しい」
口元はあまりにも素直にその情景を評します。周りの皆さんも耳で感知できないほどの声で同じ事を呟いたのでしょう。一様に小さく口を開けています。観衆の心を強く打った光景、それは神楽殿に備え付けられた意匠の成す業でした。先日、清水君に聞かれた時は濁して語らず仕舞いだった屋根の細工は、月夜の明かりを取り入れるための先人の知恵だったのです。
つまり、秋は白道が冬についで高くなりますから、あの位置にある八箇所の穴を通り、月光がスポットライトの役割を果たし八乙女を照らすということです。近年の月下祭は月相の関係でうまく機能したことは少なかったのですが、今日日はものの見事に嵌っていました。
この幻想的な光景に悠久の刻を渡って来た神楽舞が『豊栄の舞』『悠久の舞』『浦安の舞』の順序で踊りぬかれ、ついに前半の部は終わりを見せました。琴線を弾かれた観衆は、我に返りその溢れる感動を表そうと、静かながら深見のある拍手で表現するのでした。
「──大成功だ。午後は扇舞から鈴舞に変わるがこの調子で頑張ってくれ。このままなら至上最高の月下祭と名乗れるやもしれんな……」
宮司である父がここまで褒めることは前例がありません。しかし、それほどまでに良きものだったのです。私は清水君に労いの言葉を掛けに舞台裏へ向かいました。
「いやー、素晴らしかったです。なんといっても悠久の舞の──」
「桔梗行くぞっ!」
「へっ? ちょっと──」
あそこまでの演舞を見せたのです。その小さな身体は疲れているはずでしたが、清水君は装束を脱ぎ適当に羽織ると、私の手を取り鎮守の森へと掛けます。その顔は真に迫っていました。
「この機会を逃したら後がない。なんとしても元の身体に戻るぞ」
「そんな、清水君……いいんですよ。私は、覚悟は疾うに決まっていますから」
「そんなの僕が許さない。僕は、僕の身体で死ぬって決めたんだっ!」
鎮守の森は阻むことを止めたように私たちを受け入れます。走ること数十秒という驚異的な速さでもうまほろばの入り口『二十地蔵』の元へたどり着いていました。二人は目を合わせるだけで流れるように拍手へと移行します。そこには待ちくたびれた様子の方が佇んでいました。
「……来たか。来るとは思っていたが,我が先祖ながら妙なところで愚直だな」
兎の面を被ったその方は朽木に腰を下ろし、私たちを出向かいました。清水君はその方を無視するように桟橋を通り泉の中央へと向かいます。私は清水君に従いました。
「本当に戻るんだろうな。あと、ちゃんと助けてくれるんだろうな」
「そんなことその時になってみんとわからんだろう。だが、決意が本物ならやぶさかではない。……最後に問うぞ。いいのか、戻ったらあと三年を待たずにお主は死ぬぞ」
「──決まっているだろう。僕の代でこの呪いを止める。そう、決めたんだ……」
「決めたのか、ならば仕方あるまい。だが、月下の巫女。そなたはいいのか?」
話の主軸は私へ切り替わります。清水君の決意を聞いた後に私の気持ちを聞くなんて、清水君の先祖もイジワルです。そうしたら私の意見なんか我侭にしか聞こえないじゃないですか。
「…………私は、私は戻りたくありません!」
「どうしてだ桔梗! 元の身体に戻るのが一番良いに決まっているだろう! 死にたいのか!」
「だって……だって、元に戻ったら、清水君が私といる理由なんてないじゃないですかっ!」
私にとって死ぬことは怖くありません。──いえ、嘘をつきました。死ぬのは怖いです。でも、清水君といられなくなる方がもっと怖いです。元々私は、身代わりのために生かされた人間です。清水君に捨てられた人間です。そして、自分を見捨てた人間です。そんな駄目な人間がなんの因果か、最上の幸せを一ヶ月もの間、享受することができたのです。
たとえそれが、『吊り橋効果』の類だと分かっていても……私は生まれてよかったと胸を張っていえるのです。しかし、清水君と疎遠になってしまったら、私は死ぬ際に大きな声でそれをいうことが叶わなくなってしまいそうで、それが途轍もなく怖いのです。
……こんな臆病な人間見損ないましたよね。
自分でも我侭をいっているのは承知です。ただ目を背けたいのです。この発言に清水君は私の目を見ることはありません。代わりに私の手を強く握ります。
「元に戻ったら僕は冬が見たい。それと春、夏。一周して秋も。桔梗も一緒に見てくれるかな」
「……………………ズルイんですよ、清水君はいつも──」
この言葉を最後に私たちは神水に交えました。
「……まったく、キザなのは血筋かの」
──水。秋の気候に揉まれたそれは日本刀のように澄んでいて、日本刀のように鋭く肌を舐めます。水面間近は月明かりの恩恵で絶好の視界でしたが、徐々にその恩恵が乏しくなり一面は闇に覆われました。しかし、怖くはありません。繋いだ手の温もりがある限り……。




