前者-むかしむかしの話-
「最後は腑に落ちなかったが、祭り参加が決まったことだし、良しとするか」
「──そうですよっ! 頑張りましょうね!」
死角から奇襲の如く聞きなれた声が僕を襲った。いきなりのことに肝をつぶした僕は吃驚に目を見開くが、その視界の先には見慣れた青年が片手を高らかに上げていた。
「急に出てこないでくれないかな。心臓に悪い」
「すみません、つい熱くなって」
どうやら今の話を聞いていたらしい。涼やかな目元に微量ながら水滴が見えるのが何よりの証拠だ。
「まあ、心配するな。僕が桔梗の代わりに最高の祭りにしてあげるって」
「清水君ならやってくれると信じていますよ。──実は私、月下祭が楽しみなのはこれが初めてなのです」
「そうなのか」
「はい、祭りでは私はいつも神楽舞を踊っていて、それが結構苦痛だったんですよね。でも、今回はすごく楽しみなんです。ほんと、踊れないのが残念なくらいに」
秋葉さんの話を聞いていた僕は、てっきり桔梗は祭りを楽しんでいたのだと思っていた。
だがそれは両親を欺くための、見かけだけ取り繕った姿だったというのか。そのことを僕しかしらないのか。……なんだが祭りの前に無駄な感情を背負ってしまったようだ。
「桔梗の分も僕が楽しませてもらうよ。今回の祭りの華は僕だからね」
「では、私は写真をいーっぱい撮らせてもらいますよ」
「思い出は多い方がいいが写真は苦手だから止めてくれ。──ところで、最後の話聞いてた?」
「最後のって、なんの話でしょうか。恥ずかしながらお父さんの話を聞いて私──号泣した次第でして…………最後までお話聞けなかったのですよね」
「そうか、聞いていないならいいんだ。……他愛無い話しだからね」
聞かれていても構わないが聞かれていないならそれに越したこともない。
この話は祭りが終わるまで保留とすることにした。僕らが力を注ぐべきは月下祭に他ならないからだ。さて、あと二週間もないが最善を尽くしますか。
「祭りまで日がないですもんね。今日は十月十七日ですから──と、清水君十七日ですよ!」
意気込み新たに前を見る僕に桔梗は、何かを思い出したように声を荒げた。僕は耳を貸す。
「今日はなんと……新月の日ですよ! 気持ち新たにするには相応しい日ですね」
「なんだそんなことか。祭りに関わる重大な日かと思ったじゃないか」
会話にタメを作る桔梗の話に耳を傾けてみたもの、とんだ肩透かしを食らった。
「……それが関係あるのですよ。うちの神社の主祭神は知っていますよね」
「月読命だろ。作法講座の時に嫌というほど聞かされた」
「正解ですが少し余計ではないですか。月読命はその名が示すとおり、月を司る神様です。皇祖神の天照大御神が太陽ですから、その対照的に描かれることが多いとても命い神様なのです」
「で、その天照大御神と喧嘩して顔も見たくないということで、太陽がなく暗い夜に飛ばされたんだっけ」
「概略はそうですが、いい方に棘がありますよ。……とある事件以降、仲違いをした二人は顔を見合わせぬよう天照が昼を、月読が夜を治めることとなりました。爾来、表に登場することもなく仲直りせぬままに現在に至るわけです」
「月読の記述少ないからね。てか、ほぼ皆無」
「……罰が当たってもしらないですからね」
──大丈夫。僕、神様なんか信じていないから。
真剣な瞳で幸せそうに神話をなぞる桔梗。それを茶化すように合いの手を挟む僕。
この妙なテンポを保ちながら話はさらに進んでいく。
「どこまで話しましたっけ……そうそう、出雲大社では毎年旧暦の十月を『神在月』と称し、他の地域を神無月と呼びます。これはこの時期に日本の神様が出雲大社にて一同に会し、縁組についての会談を執り行うことに由来し、万葉集にも『神無月しぐれにあへるもみぢばの吹かば散りなむ風のまにまに』と、記されています。この会談にはもちろんあの天照大御神も参加しますから、その際月読命は居場所がないですよね」
「末席で安酒をあおるくらいだな」
「月下神社の宮司はそれではいけないと明治の折、さまざま改革が起こる中で例祭についても手を入れました。それが〞新暦の神無月〟と呼ばれるこの地域特有の祭りです。月読がこの地から伊勢に旅立つのを新暦の十月に行うという意味ですね。旧暦と新暦では一ヶ月弱から一ヶ月強のズレが生じます。現代では十月のこの時期、昔の暦では八月から九月なのです。ですから今、月読命が出雲大社に行っても神々はいないということになりますね」
「一人きりの出雲参りってこと?」
「その通りです。天照は神々を代表する方ですので、そう簡単に自分の発言を覆せません。そのため月読は争いを避けるために本来の神無月ではなく、新しい神無月に出雲へと向かいます」
「それじゃあ、意味がないじゃないか」
「意味がないとかそういう問題ではなく、意地の問題なのでしょうね。自らも三貴子の一角ですから、ただ天照のいうとおりにしていられません。そこで月を見てください。十月一日は満月でしたよね。しかし、今日は新月で真っ暗です。これはこの地から月読がもっとも離れていることを意味します。そして、祭りの日は三十一日、満月です。この地に月読命が帰参するということですね。その帰参を祝うのが月下祭なのです」
「なるほど、ちゃんと意味があったんだな」
この説明を聞いて過去最高の祭りにする、といった自分の言動に重みが帯びた。室町から四百年、少しの変更があってから百年の計五百年の歴史を持つ祭りが僕の踊りにかかっている。
今さら大口を後悔する僕だったが、これだけでは足らずと桔梗はさらなる重荷を背負わせた。
「──そうでした! 神楽舞を一緒に踊る七人を決めなくてはいけないのでした!」
「……決めなくてはって、まだ決まってないのか!?」
「はい、いつもは知り合いの方にお願いしているのですが、今回は色々あって忘れていました。今からではいつものメンバーには頼めません。予定が入っているでしょうし……」
「じゃあ、初心者八人でこの舞台を踊れというのか」
「いえ、モモちゃんと宮村部長にはあらかじめ頼んでいました。この二人は経験者です」
「あと五人か。僕の交友関係ではリンと……リンぐらいしか頼めるような奴いないな」
僕は携帯のアドレス帳を開き、目を閉じる。こういう時になって友達の少なさが自分の首を絞めた。その時に気がついたのだが、登録されていないメアドからメールが送られていた。
内容はこうであった。
『どもどもー、スイセン様のファンクラブに掛け合ったら三人は都合がつくらしいよー』
まさに救いだった。会話を聞いていたかのような文章でなんだが気味悪いが、あと二人くらいならなんとかなりそうだ。どこの誰だがしらないが、お礼の返信をしようとメールに再び目を向けると、文の最後に恐ろしい一文が添えられていた。
『……………by、あなたのいつもすぐそばに〞momo〞』
「……なんでお前が俺のメアドを知っている」
メール嫌いの僕は、家族しかメアドを教えていない。頼仁とリンと桔梗には電話番号を教えているが、やはりメアドを知っている奴はいない。……まさか、あの時に──ッ! 思い出されるは携帯紛失事件。バックから消え、少し時間を置くとバックに入っていたあの事件。
「清水君、どうしたのですか?」
「…………朗報だ。あと二人になったぞ」
「全然朗報をしらせる顔ではありませんよ!」
心配する桔梗のいうとおり、蒼白に座った瞳は正常の喜びのそれではない。そういえばあの時、お茶の量が減ってたな、なんて考えようものなら変な汗が背中を伝うのだ。朗報の対価は底しれぬ闇。だが、過ぎたことに頭を裂く余裕はない、故に闇へ葬った。
「リンの説得は桔梗に任すぞ。あともう一人心辺りがあるからそいつにも当たってくれ」
桔梗はどっちも気乗りしなさそうだったが、入れ替わっている以上僕の貧相な交友関係は桔梗の担当だ。行動は休み明けの月曜日。
神社に立ち並ぶ秋の木々は静かにその本領を現し始めていた。
次話掲載
4/26 19:00頃




