前者-雨道-
「あの私が傘を持ちましょうか。このままでは清水君が風邪をひいてしまいます」
桔梗のいうとおり本来であれば相傘は身長の高い方が持つと相場が決まっている。実際僕の長身を傘に収めるためには、この入れ替わった桔梗の小柄な身体ではつらいものがあった。精一杯腕をのばす僕は桔梗のことばかりを気にかけ、自分のことは濡れそぼつほどになおざりだった。だがそんな桔梗の心配は無用だった。
「心配はいらないよ。その綺麗な貌が熱にうなされるところなんて僕はみたくないからね。それに比べればこの身体は安いものだよ」
「喜んでよいのでしょうか。いえ悲しむべきですよね」
「なんで!? 君のためを思っての自己犠牲だよ。ほら見てよ、僕なんて桔梗を守るために下着が透けるほどびしょ濡れだよ」
「そういうところですよ! 誰かにみられたらどうするつもりですか!」
強引に取り上げられ傘は僕らの中間に置かれた。心配せずともこの雨の下出歩く物好きなど僕らくらいなものだ。それにしても僕の深すぎる愛情は桔梗からすれば空回りに映るようだ。
この出来事以降、序盤の沈黙が嘘のように僕らの会話は傘の上の雨粒のように弾んだ。両者とも片側の肩が濡れる距離感。その中で交わした何気ない会話のひとつに僕は一抹の疑問を覚えた。
「雨の下出歩くのはいつ振りだろ。水も滴るいい男といっても濡れるのは気持ちいいものではないからな」
「もし中学高校と出歩いていないのであれば小学校以来になるのではないでしょうか」
「そんな昔になるのか…………うん?」
何気ない追憶。答えを求めていない類の呟きに返答が返された。僕はその疑問の正体をもどかしいほどにうまく掴むことができなかった。
「あっ、月下神社が見えました。ペースを上げましょう」
一抹の疑問の存在は脆く洗濯物の取り込みの前に消失した。石段は慎重に上り、開けた境内は少し駆け足で洗濯物を取り込みに急いだ。十分に急いだつもりだったが洗濯物は無残なほどに濡れており、取り込むと同時に乾燥機にかけた。
ひと通りの作業を終えた僕はタオルで水気を拭いながら、縁側から雨を眺める桔梗のとなりへ腰かける。
「十月にこれほど荒れるとは珍しいですよね。旧暦ですと十月は雷無月と異名があるくらい安定した気候ですのに。あっ、もちろん新暦と旧暦ではズレがありますので、現代に当てはめるのは多少無理があるのでしょうが」
「神無月以外にも雷無月って異称があるのか。でも秋に雷がないと米が食べられなくなる。僕はパン派だけど」
「稲妻の語源ですね。科学的にいってもあながち間違いではないようですけど」
空模様も落ち着きを取り戻してきたようで落雷の心配はなくなった。おかげで桔梗の様子もいつもどおりの穏やかなものへと戻った。僕はこの機会を逃すまいと食事に阻まれた好奇心に満ちたメガネの話へ移行する。
「で、桔梗はどのメガネがいいと思う。僕だけじゃ決めきれないって」
「まだその話続いていたのですか……楽しそうで何よりですね」
この話題になると桔梗は明らかに冷めてしまう。散財がよほど利いたのだろうか。
「当たり前だろ。だって僕ファッションとか、着飾る必要ないぐらい美しいし、逆に装飾品は蛇足になるもん」
「確かにそうですね。そういい切れるのが清水君らしいです」
「だから僕のような生まれた時から芸術品という境遇では己を磨きようがないわけで、その点桔梗の身体は磨けばいくらでも綺麗になるだろ。……目覚めちゃったんだ。自分を磨くことに」
「そういうこと、さらっというところが清水君らしくてズルイです……」
桔梗はそういうと下を向いて両頬を膨らませた。ズルイ……それは妬みの感情、つまり僕の芸術的な美貌に嫉妬したということか。
だというのに、なぜか先程より機嫌は良くなったように見受けられた。人って奴はわからん。
「だから桔梗からもアドバイスが欲しいんだ。どれが良いと思うかな」
「どれも捨てがたいですが、なぜ全部赤色のフレームなのですか? いえ、赤は私も好きなのですよ」
「綺麗な黒髪の桔梗には、コントラスト的に赤が似合うなあっ、て」
「…………清水君は相当なイジワルですよね」
「なんでっ!?」
桔梗は次の瞬間そそくさと荷物をまとめ、顔を見せぬように縁側から走り出した。褒めたというのにイジワルと言われ逃げられる……女心って奴はわからん。
「どういうこと? わけを教えてくれ!」
「私が悪いのですが、清水君も悪いのですよ──ッ!」
「どういうことっ!?」
「落ち着いたら私から謝りますから、放っておいてくださいっ!」
神社を囲む雫に濡れた楓の葉。まだ目には見えないが秋色に染まる兆しを感じた。
次話掲載
4/25 18:00頃




