後者-反省会?-
「今、お茶いれますから」
これに意気阻喪な清水君は意思表示をしません。しきりに頬をさするところを見るに、余程堪えたと見えます。そんな彼を見るのは私もとてもつらいです。
「傷……残らないよな。残ったらどうしよう……」
そんな心配が通じたのか、清水君はポツリと言葉を漏らします。
意外でした。あの清水君が人の身体のことを心配するとは。
「大丈夫ですよ。その程度、一晩眠れば引きます。私の身体の心配をしてくれてありがとうございますね。……しかし痛そうですね。やはり私が受けるべきでした」
「いや、僕の身体が傷つくのはもっといやだ」
どうやらいつもの清水君のようです。
第一優先事項は常に我が身。それが清水君なのです。ですが、それでいいのです。そこも含めて好きになったのですから。もし、二番目に空きがあるのなら、私がその空席に座ることができたなら、それだけで幸せなのです。──いつかその時が来るのでしょうか?
反省会のような雰囲気で進む二人きりの時間は、やがて終わりがきました。清水君がいつまでもここにいれば、私のお母さんが心配しますからね。
「じゃあ、僕はそろそろ帰るよ」
そういって立ち上がった清水君に私は何か言葉をかけたいと思います。そうでないと、あのか弱き身体に宿ったか弱き心はおかしくなってしまうでしょう。
「あの、清水君っ!」
「何かな」
「──く、悔しくはないのですか!」
「……えーと、何がかな?」
……やってしまいました。元気付けるつもりが何やらよくわからない方向へと、私の口から出た言葉は事態を誘導します。
「ですから、悔しくはないのですかっ!」
片眉を上げた清水君が事態の混沌さを表しております。私とて自分が何をいっているのかわかりません。ただ、ここまで熱弁を振るっておいて今更「なんでもないです。忘れてください」とはいえません。もう後には引けないのです。
「私がいってもいいのですが、それでは意味がありません。お茶を入れてくるのでそれまでに考えておいてください」
一方的に話を進めておいて私は鏡の間から一時退場します。お茶を入れてくるという建前ですが、本音はうろたえ右往左往する正直な目を悟られないためです。
いいことを言おうと気張った結果の空回り。慣れないことをするものではありません。
一つ勉強になりましたが、この問題はまだ収拾はついておらず、急須がやけに重く感じました。茶葉に目をやるとお茶の先生の手回り品だけあって、香り高き上物です。しかし、そんな素敵な香りも滅入った心では素直に味わうことができませんでした。
そんなゆとりがない私がいれた深い緑茶のにごりは淀みにすら感じられます。
「……失礼します。私が言わんとしていることは見えましたか」
戸を開けた私は性懲りも無く自分で蒔いた種の収穫を他人に任せるという暴挙の道を進みます。もう退路は断たれたのです。清水君が出した答えにすがり更なる高みから「よく答えを出せましたね」と聖母のように微笑むという選択肢しか、今の私には残されていないのです。
鏡の間に取り残されていた答えの無き問いと睨めっこを強要されたSさんは、渋い表情に苛まれていました。能天気に生きてきた私がしたことも今後することもないでもあろう顔です。
そして、真剣に導き出された答えが、今まさに地上へと流れ出るようです。
「──今まで考え抜いた結果、桔梗がいいたいことを理解した。つまり、桔梗がいいたいことは……僕に立派な巫女になれということだな!」
「──よく答えを出せませたね……んっ?」
私は反射的ににっこりとした表情とともにこの言葉を清水君にかけました。そして、思考が追いつくにつれ疑問符が生まれます。そして、私は思いました。
──なぜ、その答えに至った、と。
「そしてゆくゆくは、立派な大和撫子となって、その輝かしい美貌と釣り合いが取れるようになったら結婚しようということだな。わかった。僕、頑張るよっ!」
そして、その展開の速さは光と並びました。
「ちょっと、お待ちください! 話を整理しましょう。どこから生まれた結論なのですか! 結婚はどこから出てきたのですか! 子供は何人欲しいのですかっ!」
「ええーと、男女一人ずつが理想かな」
「なぜ、その質問だけに答えるんですか! というより私、何ということを聞いているのですかっ!」
無数の鏡に映る私は、さぞ戸惑っているように映ったでしょう。ですが、頭の中はもっと混乱しているのですよ。頭から煙が出るのも時間の問題です。
「だって悔しくないのですかって、あんなに桔梗の父さんに言われて悔しくないのかってことだろう。それを挽回するには、僕が桔梗以上に礼儀を身につけて『わたしが間違っていた礼儀正しき我が娘よ。清水君、後は君に任せたよ』と言われるのが最上。それがハッピーなエンド」
「前半はわかりますが、後半は不明ですよ!」
「じゃあ、何がいいたかったんだ」
「それは……」
言葉に詰まります。そもそもいいたいことなどなかったのですから。
それにしても、とんだ珍回答です。わんこそばを頼んだらにゃんこそばが出てきた時くらいの衝撃です。しかし、よくよく考えるとこの答え……私にメリットしかないような。この回答のとおり事が進めば清水君は礼儀を習得し、入れ替わりの件が漏洩しづらいですし、何より私の最上中の最上の夢が叶うのですから。うまく行き過ぎなくらいです。
ですが、入れ替わったまま結婚となると、私は私の姿の清水君と暮らすのですか、私の姿の清水君と接吻をするのですか、私の姿の清水君を愛すのですか──それは本望なのですか?荒唐無稽な話が急に現実を帯びるものですから、ちょっと回答に迷いが出てしまいました。しかし、迷う余地などありませんでしたね。人は心が重要なのですから。
そう問題は私の心ではありません。あちらの心にあるのです。
「……私なんかでよいのですか? 一生の問題なんですよ?」
「君だからいいんだよ」
真っ直ぐな丸い瞳に嘘という文字は見当たりません。私のみが映っていました。
「しかし、一度は振られたんですよ」
「過去は過去、今は今」
私の疑問を清水君は簡潔に答えをくれます。私の疑問はとうとう一つとなりました。
「なら、もし──」
これが一番大きな疑問。いえ、もしもの話、仮定の話です。私が心から知りたく、耳を塞いででも聞きたくない話。そのためらいが紡ぐことを阻害します。そして、そのためらいが命取りでした。
「──失礼するよ。あら、やっぱりお友達だったのね。それも桔梗ちゃんじゃない」
フミ先生のご登場です。お稽古の時には見せない、とてもとても優しいお婆さんの顔でほころびます。
「いい羊羹があるのよ。今切ってくるわね」
「いえ、もうお時間なのでお暇させていただきます」
「あら残念。仙ちゃん、家まで送って上げなさいね」
「近いので結構です。お邪魔しました」
足早に清水君は部屋を後にします。窓から見る空は暗く、時間の経過に驚かされます。
「本当に礼儀正しい子。仙ちゃんもお目が高いね。あの子ならお祖母ちゃんも賛成だよ」
「……ありがとう、お祖母ちゃん」
このありがとうは、少し複雑な二つの意味でのありがとうです。
もう少しで短い夢から覚めそうでしたから──。
今日は満月です。誰にでも平等に降り注ぐ光。温くなったお茶を飲みながらの月見でしたが、清水君がこのお茶を飲まなくてよかったです。とても迷いのある清涼飲料にあるまじき喉越しの悪さでしたから──。それに比べて月は澄んでいます。清水君も見ているでしょうか。
次話掲載
4/24 18:00頃




