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新渡戸の夜 稲造の朝  作者: 紫水ゆうじ
第4章 のぞんだ世界 ☯ のぞんだ未来
14/36

後者-変身初日-

──いつになったら元に戻れるのでしょう。


 夢のようなでき事から一夜を明け、気がついたら鏡だらけの部屋にいました。朝日が殺人的に獰悪(どうもう)です。


「……眠いです。しっかりと寝ておけばよかった」


 清水君の部屋と思うと、ベッドの上で輾転反側。頭が落ち着いてくれません。清水君の匂いが眠気を妨げます。それに加えて清水君は洋式寝具がお好きなようですが、私は横になる時、少しでも浮いていると思うと寝つけません。


 そんな障害が重なり、よもすがら今後の方策を考えていたら空は白んでしまいました。


「はあ、お腹が空きました。思えば昨日の昼から食事に手をつけていません」


 告白に夢中で食事も手につかず、夜は夜であれでしたし食事を二食も抜いてしまいました。ですが、そのわりにはお腹は強烈というほどには空いていません。なぜでしょう。……あっ、そうでした。この身体は清水君のものでしたね。


 清水君、昨晩は食事に有りつけたのでしょうか。父は不在ですし、母も遅くなるといっていました。冷蔵庫には食材がありましたが、はたして清水君は料理ができるのでしょうか。


 心配事を挙げれば切がありません。早く清水君の元に行って確認しなくては。


 思い立ったら吉日。時計は六時を過ぎた辺りですが、家を出ることとします。


と、その前に食事を取らなくては厳しいものがありますね。人様の家の冷蔵庫を勝手に物色するのは気が引けますが、空腹には勝てず開けてしました。


「仙ちゃん、早いね。お腹が空いたのかい?」


 びくっ、と微弱の電気が身体を走ります。無音で背後を取られました。しかし、この声聞き覚えがあります。私は恐る恐る振り返ると納得しました。その方は顔見知りでした。


「フミ先生、ご無沙汰しておりました」


 腰を引き三十度角のお辞儀で挨拶を交えます。朝だというのに我ながらいいお辞儀をすることができました。


「これはこれは、ご丁寧に。祖母の文です。今度ともよろしくお願いしますね」


 前言撤回。大失敗でした。この身体は清水君のもの、実の祖母を名前でそれも先生をつけて呼ぶなど普通ではありません。


 フミ先生と私の関係は師弟とでもいうのでしょうか。私が所属する茶道部の先生として週一回ぐらいのペースでご指導をしていただいております。それにしてもフミ先生のお辞儀はいつ見ても美しいです。


なんと申せばよいのでしょうか。人を敬う気持ちを前面に出しつつもなお自らは無駄に卑下のない姿勢──やっぱり言葉で表すのは難しいようです。しかし、お辞儀だけで人をここまで清清しい気持ちにさせるのは紛れもない才能ですよね。


「お構いなく。今日は早く出ようと思うので、お先に食事の方を頂こうかと」


「そうなの、大変ね。パンなら戸棚の方に、ジャムならそこの棚だね」


「ありがとうございます。一人で大丈夫ですから、もう結構ですよ」


「そうかい。なんだか今日の仙ちゃんは少しおかしいね。言葉遣いがなんだか余所余所しいよ」


「ははっ、いつもどおりだよ。お祖母さん」


 なんとか誤魔化しフミ先生にご退場いただきました。朝御飯は、贅沢をいえば白米に味噌汁の少なくとも両名がいてくだされば一日の活力が漲るのですが、こちらは下宿させてもらっている身、それはわがままというものです。農家のみなさん、小麦さん、果物さんに感謝をしていただきます。西洋的な朝食も存外悪くないですね。


 食パンを二ついただき、朝御飯を終えます。清水君の輝かしい部屋にて制服に着替え、(もちろん、清水君の身体は最小限にしか見ていません)家を出ます。


 今日は秋晴れのご様子で太陽さんもこの秋一番の笑顔です。それに今日は正真正銘の望月ですから夜も月明かりがやさしく光を与えてくれるのでしょう。素敵な朝に睡眠不足はどこへやら、すっかり目も冴えてきました。私は秋麗な道を進み神社へと向かいます。


 月下神社の石段はご老人からお子さんまで上りやすいように、と緩やかな傾斜が特徴です。そんな心優しい石段さんを踏むことは躊躇われますが、彼もお仕事なのだと涙を飲み踏み進ませていただきます。


 さてこの後、どうすればいいでしょう。我が家の前に来たのはいいのですが、どう呼び出せばよいか考えていませんでした。携帯にかけられれば最善ですが、携帯はバックに入れたまま教室です。とはいえ、もし持ち歩いていたらあの時に水没していましたし、どのみち清水君の番号もしらないので、良かったといえば良かったのでしょう。私は歩きながら清水君を呼び出す作戦を考えますが、そんな心配は無用でした。あちらの方から出向いていただけましたので。


 それからの会話は〞ちぐはぐ〟ながらも、なんとか学校に行くことを説得しました。これが私の勝利の部分です。敗北の方は……私の口からはいえません。回避不能なことだとは思っていましたが、ここまでショックを受けるとは思っていませんでした。


 ともあれ清水君も達者なようでよかったです。神道には『一霊四魂』の考えもありますし、他人の身体に他人の魂が入るなど拒否反応が起こる方が普通です。しかし、私共々なんともないようですし、不思議ですよね。相性が良いということでしょうか。


 それならとても嬉しいです。清水君のお身体をお借りしてにやけてみますが、清水君はどうやら気付いていない模様。私のことより清水君はおにぎりの方に興味があるようです。


 ちょっとおにぎりに嫉妬してみながら、清水君の口角についたお米を指で取り頬張ります。少しはしたないですが、お米一粒でも捨てることは農家の皆さんにも、盛大な恩恵を下さった太陽さんにも申し訳ありません。これより清水君は口をつぐんでしまいましたが、どうしてしまったのでしょう。


 考え込む清水君を傍で見守りながら進む、静かな登校風景は秋の日差しも作用してとても幸せを実感します。形は違えど清水君と登下校を共にするのは、夢の中でも最上級の一品でしたから。


 ──願わくば、いつまでもこの時が終わらないでください。


 清水君には迷惑な願いですが、私にとってはとても切実で、元の身体に戻りたい、という大願をも忘れるほどに充実したひと時でした。


「──はやく到着し過ぎたようですね」


 願いは当然の如く叶わず、学校に飾られた時計を眺め会話の繋ぎにそんなことを話します。


「早いに越したことはないだろう。学校に置き忘れたバックも気になるし」


「清水君もでしたか、私もなんですよ」


「昨日は放課後の用事をちゃちゃっと済ませようとしてたからな──う、ちゃちゃっとではなかった。真摯に済まそうと思っていたからね」


「……はは。お気遣いは不要ですよ」


 ちゃちゃっと……いくらなんでもひど過ぎはしませんか? 私としては真剣でしたのに。


 それでも清水君は私の浮かない顔を見ていい直してくれました。それだけでも、いまは嬉しいのです。所詮片思いですから。


「──さあ行こう。バックが待っているからな!」


 清水君は話の流れを切るように私の短い手を上げ、校内に入っていきます。


「人前ではなるべくお互いの振りをしましょうね。無用な騒ぎは起こさないようにしないといけませんし」


「そうだな。でも人の振りは疲れるから二人きりの時はいつもどおりでいこうな」


 二人きりの時は…………至高の一言ですね。不謹慎ながら清水君と秘密の共有ができたことを喜んでしまいました。私の身体なんぞに閉じ込められた清水君の気持ちも考えないで。


「──すみません」


「ん? どした?」


「はっ! いえ、何でもありませんよ」


 行き場のない罪悪感に思わず謝ってしまいました。変だと思われましたよね。清水君は何もなかったようにまた歩きだしましたが、心の中ではそう思っているに違いありません。はあ、これだから私は……。自己嫌悪は私の得意分野でもあります。褒められた特技ではありませんので他言したことはありませんが。


 だんだん重くなる気分を転換しようと周りを見渡します。高い視点のせいか、学校の景色が違って見えますね。といっても高い位置の埃を見つけることぐらいですが。……それにしてもちんけですね。目の前を歩く本来の私の姿に軽い嫌悪を覚えます。こんなちんちくりんが恐れ多くも、かの清水君に告白したかと思うと、振られるのも当然でしょう。困ったものです。


 どうやら私の行き着く先は自己嫌悪のようです。性分なので仕方がありませんよね。


 一歩ずつ重くなる足が清水君との差を広げます。彼が教室の扉を開けた頃には、まだ私は隣の教室の前でした。一定の時間を空け教室の空気に触れます。清水君は窓際の席でバックの中を物色していました。私も、廊下側一番後ろの清水君とは遠く離れた私の席に向かい、バックの中から携帯を取り出しました。


「六件ですか。どれもモモちゃんからのようですね。返信しないから心配したのでしょうか」


 モモちゃんとは私の親友です。本名『四月一日桃』といいます。四文字の苗字なんて珍しいですよね。読み方も珍しく初対面の時に大恥をかいてしまいました。しかし、その一件のおかげで仲良くなれたので必要な恥だったと自分を納得させます。彼女とは同じ部活でなんでも打ち明けられると自負しております。


 今回のことも……やっぱり自重します。清水君に変身してしまったなんて、信じられる話ではありません。こんな幻想チックなことをいって困らすわけにもいかないですし、何よりこの話題は彼女の逆鱗に触れます。さてメールの内容の方は、


『今日は桔梗ちゃん、部活こないのー? 何か用事でもあるのかなー? ……校舎裏とかで』


ひえーッ! しられていたのですか。どうやら彼女に隠し事はできないようです。さすがは将来の夢は〞お嫁さん〟次点で〞探偵さん〟といっていただけはあります。しかし、これは大変なことになりました。次のメールが恐くて開けません。


 やけにホラーチックメールな尻込みながら、恐る恐る次のメールを開きます。


『仕方ないよねー、うん。スイセン様は美しいもんねー。でも残念だったよねー』

 メールから読み取るに──私が振られた瞬間見られていましたね。はあー、恥ずかしいところを見られてしまいました。私は前文を読み下へスクロールします。長い改行の矢印を追っていくと、やっと『ところで……』から始まる後半を見つけました。


『ところで…………〞償い〟って言葉知ってるー?』


 ひえええーッ! もう一度いいます。 ひえええええええーッ!


 お冠を通り越して短い文から殺意すら禍々しく感じられます。指の一本や二本では収まらないと、モモちゃんの目が濃い影に染まった映像が、とても鮮明な解像度で映り出されます。


 驚いたあまり画面を三度連続で押してしまい、三つのメールが表示されました。

『返信はどうしたのー。待ってるよー』


『返信はー? モモ怒ってないから早く桔梗ちゃんのメール欲しいなー」


『ねえ返信。返信だよ、返信。短くても良いよー。…………ねえ返信。モモのこと嫌いになっちゃたのー? 返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信。返信──────』


「ひええええええええええええええええええええええええええええええええええええーッ!」


 私は、一生分の返信という熟語を見る機会と一生分の叫びをする機会に恵まれました。


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