99.旅立ち
さて、出発に良い時間を占い、夜明け前から出立のための支度を始めるので、大変に騒がしいことです。
故大納言の北の方は、帰らなければならないことを悲しく思って、四の君をとらえて泣いていたのですが、そこに黄金色の衣箱の大きさに作った透箱が贈られてきました。
その中には朽葉色の薄い絹織物に包まれたものが入っているようです。四の君が、
「これはどちらからの贈り物でしょうか」と尋ねると、
「ただ、『ご覧頂けばご自分でお気付かれることでしょう。これは帥殿の北の方(四の君)がご覧になるべきものです』と申して、使いの者は帰りました」と言います。
四の君はどういう事かしらといぶかりながら見てみると、薄い絹織物を海の色に染めて、敷物として敷いてあります。そして黄金の州浜が中に入っていました。
そこに沈香で作った船を何艘も浮かべて、島には木が多く植えられ、海に突き出た洲を表す様子は、大変情緒にあふれています。
何か書かれていると思って見てみると、白い色紙にとても小さな字で、海にこぎ出そうとする舟の所に押し付けられています。はがして読んでみると、
「 今はとて島漕ぎ離れ行く舟に
領布振る袖を見るぞ悲しき
(今は別れの時と、島を漕ぎ離れて行く舟に領布袖を振る人を見ると、男女の立場は逆ですが、あなたとのお別れが偲ばれて悲しく思えます)
こんな言葉は人聞きが悪いことですね。ええ、ええ、何も言いますまい」
と書かれていました。
これは「面白の駒」の筆跡です。思いがけない事に驚いてしまいました。誰がした事なのだろうと四の君の母上の北の方も、見て驚くと共に、不思議がっています。
四の君も「面白の駒」とは普通の夫婦のようにしみじみと言葉を交わして契りを結ぶようなことは無かったので、別れて後は思いだす事さえなかったのですが、これを見てはさすがに思いださずにはいられませんでした。
これを見て、「面白の駒」の筆跡など知らない少将は事情も分からずに、
「これを左大臣殿の姫君に差し上げたらどうでしょう」
と言うので、母上の北の方は贈り主の事は口にせずにさりげなく、
「素晴らしい品ですね。やはり四の君がお持ちになっていなさい」と言いました。
けれども四の君はやはり左大臣と北の方には色々と良くしていただいたのだからと思い、
「これは左大臣の姫君に差し上げましょう」と言います。
少将は「ぜひぜひ」と言い「私が差し上げてきます」と持って行ってしまいました。
実はこの贈り物は、「面白の駒」自身は思いつかなかった事なのですが、妹たちが配慮の出来る人だったので、子供もいる仲だったのだから、何もしない訳にもいかないだろうと思って贈ったものでした。
そして夜が更けると、母上の北の方はお帰りになられました。
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意外な人から四の君に贈り物が届きました。あの、もとの夫の「面白の駒」が、四の君の旅立ちを表す、ジオラマ(情景模型)を精巧に作って届けてきました。
入れられた「透箱」とは、四方に透かし彫りを施した、繊細な細工の美しい箱のことです。それが黄金色に塗られているんですね。さぞや美しい、凝った作りの箱なのでしょう。
そして中には薄い絹を海の色に染めた敷物に、黄金の砂浜が作られています。その浜も、所々が海に突き出た、精巧な作りで、海に浮かぶ小島には多くの木々が植えられていると言う素晴らしい、情緒あふれる情景が美しく表現されていました。もちろんこれはこれから新たなる船出をする四の君を、祝う意味が込められています。
香りのよい沈香で作られた船には、四の君を表す漕ぎだそうとする舟に「面白の駒」からの手紙が張りつけられていました。書かれている和歌は万葉集にある姫君が、任那に船出する恋人に襟にかけた長い布を振って、別れを惜しんだという伝承を表しています。別れを悲しんではいますが、人聞きの悪いことをこれ以上言わないと言うのですから「別れた仲ではあるけれど、もう恨みや不服などありません。何も言わずにあなたのお幸せを影から見守っています」と言う意味なのでしょう。
四の君はこれにとても驚いたようです。ずっと音信不通だったので、まさか今頃こんな贈り物や手紙が来るとは夢にも思っていなかったのでしょう。そもそも「面白の駒」はこういう人への気遣いができる人ではありませんでした。だから母北の方も驚き、不審がっています。
けれど「面白の駒」の筆跡など知らない少将は、この見事な出来栄えの模型をお世話になった左大臣の姫君に贈られたらどうだろうと言って来ました。それほどこの品は豪華で出来のよい物なのでしょう。
でも母北の方はこれは「面白の駒」の最後の四の君への誠意かも知れないので、自分で手元に置くようにと四の君に勧めてみましたが、四の君に過去を振り返る気持ちはないようです。
「面白の駒」には不快感しかないのか、それとも贈り物の誠意は伝わったのか、作者は四の君の心に一切触れていません。ただ、これを見ると四の君はどうしても前の夫を思い出さずにはいられない事は確かでしょう。たとえ「面白の駒」が誠意でこれを贈ったのだとしても、四の君はそれをしみじみと思うつもりはないようです。母北の方の「面白の駒」が見せた誠意への気遣いを振り払い、少将に同意してこの模型は左大臣の姫君にお礼として贈られていきました。
四の君たちに動揺をもたらした贈り物でしたが、実はこれは「面白の駒」本人の気遣いではなく、その妹たちが気をまわして贈らせたものでした。少なくともこちらに恨み心はありません。安心して旅立たれて下さいと言う事なのでしょう。
本人や父親は気に留めていなかったようですが、この妹たちは兄のしでかした事に長年気まずい思いをしていたのかもしれません。
でも、母となった四の君はすっかり逞しくなっていて、「面白の駒」のことなど忘れていたようですけどね。
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寅の刻になると、皆筑紫に向けて出発しました。行列の車は十輌以上あります。朝廷からは「早く出発するように」と重ねて宣旨が下されたので、山崎で滞在する事もなく急いで船に乗り込み、そのまま筑紫へと旅立っていきました。見送りの人々も皆、帥からの被け物を受け取って、帰されていきました。
四の君のもとに行っていた左大臣の侍女たちは、三条の邸に帰るとこの数日の出来事を話します。故大納言の北の方が四の君との別れを惜しむあまり、
「この結婚は私がした事ではない。左大臣がした事だ」
と八つ当たりをしていたと文句を言いましたが、左大臣は笑いに笑い飛ばしてしまいました。
故大納言の北の方はしばらくは見苦しいまでに四の君たちを恋しがって、泣き暮らしてはいましたが、数日の日が過ぎて行くと、その悲しみも忘れてしまったようでした。
帥は旅の途中で播磨守が待ち受けていて、大変心がこもった接待を受けたのですが、そこまでは書きません。
左大臣は、
「四の君は無事にお幸せになれそうです。後は三の君の身を、立てられるようにしなければ」
とおっしゃっていました。
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とうとう帥と四の君の一行は旅立っていきました。本当なら山崎の地で皆、ゆっくり別れを惜しむつもりだったのでしょう。けれども朝廷からの重ねての宣旨に、慌ただしく出発する事になったようです。宮仕えと言うのは大変ですね。
早く帰りたがっていた左大臣の北の方の侍女たちも、無事に三条の邸に戻ってきました。
戻った早々、口さがが無いと言うか、侍女たちは故大納言の北の方が四の君との別れを左大臣のせいにして八つ当たりをしていたと、さっそく言いつけています。
でも、あの北の方の性格を熟知していて、それでも懲らしめ続けたお詫びにお世話をし続けてきた左大臣なので、そんな事は気にも留めずに、多いに笑い飛ばしてしまいます。おおらかなこの人らしいですね。
時の流れと言うのは、ありがたいと言うか、残酷と言うか、あれほど四の君との別れを悲しんでいた北の方も、時間と共にその悲しみは薄れて行ったようです。年齢が高い事もあって、とうとう悲しみ自体を忘れてしまったようになっています。
勿論自分の娘たちの心配をしない訳ではないのでしょうが、そういつまでも嘆く事は無くなっていくのですね。長い旅路にいて新しい生活に向かっていく四の君は、もっと都の事よりも目の前のことで精いっぱいになっていることでしょう。こうして人は環境に慣れて行くのでしょうね。
ともあれ四の君は無事に旅立っていきました。老いた故大納言の北の方のお世話は最後まで左大臣がするつもりでいるのでしょう。
息子たちも左大臣の力でそれぞれに役職を与えられましたし、娘たちの婿の生活も安定しました。残るは三の君の身の振り方です。左大臣もそれだけを気にかけているようですね。
お話は大詰めです。落窪に登場した人達は、この後どんな人生を送っていったのでしょうか。




