96.帥の邸にて
少将が帥の邸に参ると、帥と同じ所に四の姫もいらっしゃいます。少将は四の君に向かって、
「是非、お話したい事があるのですが」と尋ねます。すると帥は、
「こちらで聞きましょう」と言うと、
「私が聞いても差し支えのない事ならば、早く御簾のうちに入っておっしゃって下さい」
そう言って少将を御簾の中に招き入れます。そこで少将は御簾のうちに入ると、左大臣邸で女君がおっしゃっていたように、母上が四の君に会いたがっている事などをお二人に話してお聞かせします。すると四の君も、
「母上のおっしゃる通りですわ。長いお別れになるのですもの。是非、母上にお会いしたいわ。わたくしも『母上が恋しいので、是非そちらに伺いたい』と、昨日申し上げましたの」
とおっしゃいます。これを聞いて帥は、
「しかしあなたがあちらの邸に移られてしまうと、私は二つの邸に通う事になってしまう。それでは厄介で私としては不便な事になります。あなたの母上にはお手数をおかけしてかたじけないことですが、私の邸に来ていただく事にしましょう。あなた方が気を使うような他の妻でもいるなら御遠慮もあるでしょうが、ここにいるのは私の幼い子供だけです。子供たちが気になるようでしたら、離れた所に子供たちを移しましょう。この京の都に私達がいられるのも、確かに今日、明日ばかりの短い日々です。お母上とお会いせずにいるわけにはいきますまい」
とおっしゃって下さいます。少将は前もって左大臣の北の方のおっしゃっていた通りになったので、促すように、
「その事をあちらの母上も悲しみ、嘆いておいででした」と言います。
「お気の毒な事だ。早くあちらにおいでの母上を、手配を整えてこちらにお連れするように。四の君がそちらに参るのはやはり都合がよくは無いから」
帥がそうおっしゃるので少将は、
「それなら、そのように母に申し伝えます」と言ってその場を立ちあがりました。四の君も、
「必ず、必ず、良く母上にお話しして下さいね」とおっしゃるので少将は、
「分かりました」と請け負って出て行きました。
さて、母上の北の方の所に来た少将ですが、あの母上の事、まだ腹を立てている事だろうと恐れながらも、帥の邸でのやり取りをお伝えし、このような知恵を左大臣の北の方に授けていただいたと説明すると、
「小さなことですが、左大臣の北の方は他の人には無い気配りや、思いやりを持っておられますね。おかげで良い知恵を授けていただきました。ただ今のお幸せな御運も、この御心をお持ちだからこそなのでしょう」と言いました。
四の君の所に会いに行ける事になったので、母の北の方も腹立ちを治め、この上なく喜んで、
「本当に、本当に。良くそのような妙案を思いつかれたもの。三の君も、さあ、お支度を。今夜にも帥殿の邸に参りましょう」とおっしゃります。
「いや、母上。それはいくらなんでも急ぎすぎです。準備もありましょうから、明日お出かけください」浮かれる母上を少将はそう言ってお止しました。
夜が明けると母の北の方はさっそく出かける準備を始めます。
「ああ、きちんとした装束を持っていないのが、ひどく情けないわ」
と、新しくもない衣を見て北の方は嘆きます。三の君も衣装を気にして、
「わたくしはなるべく目立たない所に、隠れようかしら」と言っています。
けれど左大臣の北の方がお母上達が帥の邸を尋ねられると聞き、御装束など新しい物のご用意は無いのではないかと心配して、大変美しく仕立てておいた御装束を一揃えと、また、四の君の御娘の姫君のための御衣装も一揃え御用意し、
「良かったら小さい姫君にもお着せ下さい。出先では思わぬ時に、人目に触れる事もありますから」と言ってお贈りになりました。
日頃何かと左大臣の北の方の事を悪く言ってばかりいる継母の北の方ですが、この心使いにはさすがにこれ以上ないほどの喜びようでした。
「人と言うのは自分が産んだ子供からよりも、継子の真心を感じるようになる物なのですね。私は七人の子を生んだがこのように細やかに私に気をかけてくれる子は他にはいなかった」
と左大臣の北の方の気配りを褒められます。
「今度の対面は、あちらは知らぬ事とはいえ四の君の姫と義理の親子の初めての対面ともなるのに、姫が着萎えた衣で帥殿にお会いになるのかと思っていたから、この心配りはこの上なく嬉しく思いますよ」
などといつになく喜んでおられます。これも左大臣の北の方が帥の邸に行けるように取り計らってくれたのが、限りなく嬉しく思われているからでした。
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女君の事が絡むと、何かと突っかかってしまう継母も、今度ばかりは女君の案を喜びました。
女君の方でも北の方や三の君、孫の姫君にまで新しい装束を贈る気の配りようです。女性はめったに邸から出かけたりしないので、身分のある人はよそに出かける時には必ずと言っていいほど新調した衣装を整えて、身にまとったようですね。そう言えば左大臣は侍女がどこかに移動するたびに新しい装束を与えています。まして人を使う身分であれば、新しい衣装を用意するのは当然の事だったのでしょう。衣装はその価値のみならず、貴人としてのシンボルでもあったようですね。
会話に出て来る「今日、明日」と言う言葉は、本当に二日しかないという意味ではなく、そのくらい日が迫って時間がないと言う意味です。慌ただしくなってきたという事なんでしょう。
やっぱりこの人も人の親です。娘たちの中でも一番に可愛がっていた四の君とその孫の幸せのために、女君が骨を折ってくれた事に素直に感謝しています。北の方もそれだけこの四の君の行く末には気を揉んでいたのでしょう。特に複雑な立場に追い込まれてしまった孫姫には強い同情も感じていたに違いありません。こういう「日陰の子」となってしまっては、世間はもちろん、身内にもかばってもらえる保証は無かったのでしょう。
そんな孫姫を心配する所など、この人もプライドと女の意地さえ捨ててしまえば、本来、身内への情の厚い、家族を大切にする女らしい心の持ち主だったのかもしれません。
身分の高い出の女君の母親と張りあったり、自分より先にどんどん年老いてしまった、頼りなかった故大納言を支えなければならなかったりしなければ、もっと穏やかな人生を歩んだ人なのかもしれませんね。この時代特有の社会背景の犠牲になった、憐れな人だったと言えるのかもしれません。
貴族社会では身内でさえも冷たくあしらわれる「うかつに愚かな男性を近づかせた女君」のレッテルを張られてしまった四の君や、なんの罪もなく「日陰の子」にされてしまった孫姫に救いの手を差し伸ばしてくれたのは、かつて自分が心から憎んだ女君でした。
この女君も昔は彼女にとって「夫の日陰の子」でした。しかも憎い自分のライバルだった女の娘でした。そして日陰の存在でありながらも故大納言の心ひとつで自分達親子の命運を変える、常に恐れをもたらす存在だったのです。だから女君は徹底的に虐待され、その反面、北の方は女君の自分を憎んでいるであろう心を恐れていました。
ところがいざ自分の大事な娘たちが貴族社会のつまはじきにされた時に、心からの理解を示してくれたのは、お腹を痛めた我が子ではなく、同じ体験をしてきた女君でした。きっとこれで北の方も目が覚めたのでしょう。
四の君や、孫姫の現状を目の前で見るうちに、世間や貴族社会がなんと言おうとも、あの頃の女君には何の罪もなかった事を思い知ったのかもしれません。
女君は四の君に細やかに世話を焼いてくれただけではなく、きちんと威厳ある仕度を整え、彼女の体面も整えてくれたのです。さらには誰もが隠したがり、存在さえも無にしたがる立場になってしまった孫姫に、決して恥をかかせない様にきちんとした仕度を整えてくれました。
これは女君がただ、余裕があって物を贈り与えただけではなく、細やかに四の君たちの幸せを考えて心を配っている証でした。その真心が継母である北の方にも届いたのです。
男性たちが家の体面や、四の君の先々の生活を心配して奔走する中、女君が心から四の君の幸せを祈り、孫姫もいつかは帥に認められ、幸せになる事ができるようにとの配慮をしてくれている事に北の方は感謝をしているのです。冷たく、時に酷な貴族社会の中で、女君の心がどれほど稀有で素晴らしいか、北の方にもその真心が届いたんですね。
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日が暮れたので、四の君の母上達は二輌の車で帥の邸にお越しになりました。四の君はとても嬉しいと思って、ここでの日頃の出来事をお話します。四の君の娘の姫はこの数日の間にもとても大きくなられたように思え、美しい衣装をまとっているので、四の君は姫がいつも以上にとても可愛らしく思えて、真っ先にその頭を撫でられました。
「私が筑紫に下るのに、この子をどうやって連れて行こうかと、思い悩んでいるのです。私の子だと知れてしまうのは、私にもこの子にも恥ずかしいことですし」
四の君は不安そうにそう言いますが、北の方は、
「そのことですけれど、左大臣の北の方がこの子は私があなたを心配して、代わりに付き添わせる子だと言う事にしたらいいとおっしゃったそうです。私もとてもいい案だと思います。私が着ている装束も、この子の衣装も、あの方から新しいものを贈っていただいたのです」
と、四の君にお話ししました。
「このように親切におっしゃって下さる方の事を、どうして昔は疎かに考えて冷たく接したりしたりしたのでしょうか。私を想って下さる御心は、親兄弟にもまさっていらっしゃいます。私には左大臣殿が使っていた立派な食器を一揃え下さいました。侍女たちの装束も、几帳や屏風をはじめとして他にもどれほどの物をわたくしに下されたか。御想像がつくでしょう。これらの品が無ければ、こちらの邸の人たちは、わたくし達のことをどんな目で見られた事かと思うと、嬉しく思うのです」と四の君もおっしゃるので、北の方も、
「ますます、継子の真心を感じることですね。あなたも見習われると良いでしょう。こちらにいらっしゃる帥殿のお子様を、決して憎んだりしてはいけませんよ。自分の産んだ子よりも、可愛いと思って差し上げなさい」と、四の君を戒めます。
「私も昔、継子だからとあの方を憎んだりしなければ、しばしの間とはいえ、左大臣殿に懲らしめられて恥かしい目を見たり、痛い目にあったりする事は無かったはず」
そう、北の方は悔やんでいました。四の君も、
「まことに。その通りですね」と頷かれました。
北の方が帥をご覧になると、帥は大変に威厳があって、貫禄がある方なので、四の君を遠くに連れて行ってしまう方とはいえ、やはり、とても高貴な身分の方が勧める縁談と言うのは、大変素晴らしいものだと喜ばれました。
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時の流れと人々の盛衰は、緩やかに人の心を変え、そして人の真心に感謝出来るようになっていきました。
四の君にとっても最大の関心事は自分の娘といかに離れずに暮らせるかでした。不安定な立場のまま、左大臣の情けだけにすがって「日陰の子」のまま都に残す悲しさと心細さ。それは世間はもちろん、身内の男兄弟でさえも「左大臣殿におすがりしていればよい。日陰の子が家の命運の足手まといになって欲しくない」と言う本音が見えていました。
そんな中で娘と何年も離れて暮らさなければならないかもしれない。四の君はどれほど悩んだことでしょう。この再婚に前向きになれなかったのも仕方がありません。
そんな悩みに女君が解決策を示してくれた事に、四の君も感謝が絶えない様子です。『などて(どうして)昔、疎かに思ひ(おろそかに思ったり)聞こえけむ(言ったりしたのだろう)』と反省し、女君が気配りをしてくれたおかげで、反感一色だった帥の邸の人々にあれこれ言われずに済んだ事を、ありがたく思っているのでした。
それに対して北の方までもが、これからは継母の立場になる娘に、女君の生き方を見習うようにと諭しています。自分と同じ過ちを犯さぬよう、こんな時代だからこそ人を虐げても何の利も得る事は無く、むしろ立場の弱い女の身同士で賢く生きる事が肝要なのだろうと、自分の体験から我が娘に伝え教えているのです。穏やかな幸せと言うのは、人の心を変える魔法のような力があるのでしょう。
北の方は四の君の婿となった帥にも、大いに満足したようです。自分の娘たちを遠くに連れて行ってしまうのは悲しい事ではありますが、やはり娘たちの先々の幸せを考えると、身分も生活力もしっかりした大人で、四の君を守ってくれる力量のある帥に、安心感を憶えたのでしょう。
身分の高い人が世話をする縁談と言うのは、やはり信頼が置けるものだと、喜んでいます。
自分の寂しさよりも、可愛い娘の幸せを祈る。北の方もずいぶん丸くなってきました。




