94.四の君の再婚
左大臣邸では婚儀までの三、四日の間、四の君を大切にお世話することこの上ありませんでした。ついに七日を迎えたので、西の対に左大臣の北の方もろとも御移りになります。
四の君のお供の人々の装束が着古された感じなのを見て、左大臣は装束を一揃えづつ用意してお与えになります。お付きの人も少ないだろうと、北の方に仕えている侍女の中から、女童を一人、大人の女房を三人、下仕えの下女を二人お連れになります。
与えられた装束はもちろん、部屋をしつらえている装飾のご様子など、大変感じよく整えられています。四の君の母上の北の方や、女君の腹違いの御姉妹たちも直ちにこの西の対に移ってこられます。
日が暮れて来ると左大臣も、忙しく部屋を出たり入ったりして、準備に余念がないようです。四の君の御兄弟の少将は、恐縮しながらも嬉しい事だと思っていました。
夜も更けて来て、太宰帥が左大臣家においでになりました。少将は案内役になって、太宰帥を西の対にご案内します。四の君は帥の人柄もあれこれと言うようなところもなく、左大臣も見守りお世話をして下さっているので、嫌がってもどうする事も出来ないのだとあきらめて、帥のもとへとおいでになりました。
暗闇の中ではありますが、手探りで触れた四の君のご様子や、その気配などが好もしく感じられたので、帥は嬉しく思っています。
四の君が帥からどのようなお言葉をかけられたのかは聞いていませんので、それは書かずにおきましょう。
夜明けとともに帥はお帰りになりました。
左大臣の北の方は帥は四の君をどのように思われただろうと気になって、不安そうにしていらっしゃいます。それを見て左大臣は、
「文を贈り合った仲ではなくても、末長く添い遂げる愛情と言う物もあるのです。帥殿のような方がよもや四の君を疎かに扱うとは思えません。四の君の方こそ気難しげに、心を合わせようとなさらずにいるのは、賢い事とは思えませんね」
と、むしろ結婚に乗り気にならない四の姫の態度の方を心配しています。
「私の時もあなたを良くある恋の始まりのように、心が煎られて苦しむと言う事は無かったですよ。文こそ頻繁に差し上げたり、時には思い出したように差し上げたりはしましたが、あの後あなたに初めてお会いした後、あの程度の文だけではなおざりで、私の心は伝わらずに終わってしまったかもしれないととても悔やんだものです。こんなことを思い出すとは、おかしなものですね」
お二人はこんなことを語り合って、起きたまま西の対にいらっしゃいました。
左大臣と左大臣の北の方が四の君の所にいらっしゃった時、四の君はまだ御帳台の中でお休みになっていられました。左大臣の北の方が、
「起きて下さい」と起こされている間に、使いの者が帥のお文を持ってきました。
左大臣がお文を受け取り、
「先に見たいところですが、まだ御隠しになっておきたいと思う事が書かれているかもしれません。ですが後で必ず私にもお見せ下さい」
と言って、四の君と北の方がいる几帳の内に、文を差し入れました。それを北の方が受け取ると、四の君にお渡ししようとするのですが、四の君はすぐに受取ろうとはなさいません。
仕方が無いので北の方が、
「それでは読み聞かせて差し上げましょう」と言って、お文を開きます。
四の君はあの、初めて面白の駒が贈った後朝の文を思い出して、またあのような事が書かれているのではないかと、胸のつぶれるような思いで、北の方が読みあげているのを聞くと、
「 逢ふことのありその浜の真砂子をば
今日君思ふ数にこそ取れ
いつの間に恋の
(あなたに逢ったので、荒い磯の浜の真砂子を、今日あなたを想う数だけ取ろうとするのですが、想いがあり過ぎて取りきれずにいます。
いつの間に、あなたにこれほど恋してしまったのでしょう)」
と書かれています。
「お返事を早く、差し上げませんと」
と北の方はおっしゃいますが、四の君はお返事すらしません。左大臣は、
「その文を、ちょっと」と言ってせがまれるので、北の方は、
「どうしてそうも、御覧になりたがるのですか」
と言いながらもお文を几帳の外に差し出します。左大臣は文を見ると、
「何とも、短めに書きはぶかれているお文ですね」
と、四の君をかばうようなことをおっしゃって、
「お返事を書いて下さい」
とまた几帳の中へと差し戻されます。北の方も、
「早く、早く」とおっしゃって、硯や紙を用意して促されます。
四の君は自分の書いた返事も左大臣が御覧になるのではないかと思うと、とても恥ずかしくてすぐにはお返事が書けません。北の方も、
「いつまでもみっともないことですわ。早く早く」
とおっしゃるものですから、四の君は気もそぞろのままにお返事を書きました。
「 我ならぬ恋のもおぼえありそ海の
浜の真砂子は取り尽きにけむ
(私と以外の方との恋も知っていらっしゃるあなたですから、荒磯の海とはいえ、浜の真砂子も取りつくしてしまわれたのでしょう)」
と書いたお文を、結び文にして差し出されます。左大臣の、
「ああ、残念なことだ。今日のお返事を見る事ができないのは、惜しまれる」
などと悔しそうに座っていらっしゃる姿も、とても面白いものです。そして左大臣は使いの者に被け物をお与えになりました。
帥は今月の二十八日が舟に乗るのに良い日だと調べたので、旅立ちの日は、さらに、とても近くに迫っていました。
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いよいよ四の君の結婚が始まりました。婚儀は三日がかり。しかも今回の縁談は急な事だったので、準備ができるのは僅かな時間しかありません。
それでも左大臣は細やかに、華やかに、四の君の婚儀の準備を進めたようです。そしてお身内の母上や御姉妹の方々も同じ西の対にお移しになられました。
結婚と言っても三日目まで身内は婿君の姿を見る事が出来ません。それでもやはり気になるだろうと同じ建物の内にその身を移したのでしょう。細やかな心配りが伺えます。
でも肝心の四の君は気が進まないままの婚儀となってしまいました。自分の娘とも引き離されてしまっています。それでも左大臣はこの上なく結婚のためのお世話をしています。これまでの生活を支えてくれて、親兄弟の面倒をすべて見て来てくれた人が、こうして世話を焼いてくれているのです。
しかもおそらくは御簾と几帳越しなのでしょうが、太宰帥の姿や話しぶりなどを見ると、人柄も悪くは無いように思えます。今更わがままな事は言えないと、四の君もここで覚悟を決めたようです。とうとう帥との初夜を迎えました。
初夜は滞りなく済んだものの、女君は気が気ではないようです。それはそうです。左大臣は太宰帥の人柄を知っていますから、「あの人なら大丈夫だろう」と構えていられるでしょうが、四の君や女君はそんなこと分からないんですから。
でも左大臣はのんびりと、自分の独身時代の気持ちを思い出しているようです。女君にあこがれて、文こそせっせと贈ってはいたが、いつもの軽い恋のやり取りを楽しんでいたのに、結ばれてしまえばこんなにも愛おしい存在に代わるものなのだと、懐かしんでいます。
太宰帥は前の妻も亡くなるまで添い遂げているのだから、決して実の無い男ではないと自信があるのかもしれません。左大臣は本当にこの結婚が良い物になると信じて勧めたようです。
けれど以前にこの左大臣が仕掛けた「すり替え結婚」のせいで、四の君には大きなトラウマが出来ていました。帥からの後朝の文に、記憶があの残酷な後朝の文を受け取った時に戻っていったようです。それほど初夜を終えた四の姫を貶める言葉をつづったあの文は、四の君を深く傷つけていたんです。とても自分では受取る事ができないほどに。
あの時も文を読んだショックのあまり、彼女は体が硬直して、動けなくなったほどでした。
怖くてとても文を受け取る事ができないのも当然でしょう。本当なら耳もふさいでしまいたかったくらいかもしれません。本当に彼女は気の毒です。
けれどやはり文の内容は気になるのでしょう。懸命に女君が読みあげる言葉を聞いたようです。思いもかけず、優しく情熱的な和歌に、ホッと胸をなでおろしたことでしょう。
きっといろいろな感情が湧きあがっていた事と思います。でも、後朝の文のやり取りは、あまり遅れてはいけません。どのくらいの時間の内に文が届くかで相手の心を推し量るものだったのですから。女君も急いで返事をするように促します。
でも四の君自身は心の整理がつかないのか、そうすぐには返事か書けずにいると言うのに、その元凶だった左大臣は、帥のお文も、四の君のお返事も気になって仕方ない様子。確かに左大臣は今度の縁談の仲人役ですから経過を知る権利はあるんですが、正直ここでは野次馬根性が表に出ているように感じます。おかげで四の君は余計に筆が進みません。
それでもどうにかお返事を書いて、左大臣に渡しました。さすがにそれを覗き見するほど左大臣も礼儀知らずな訳ではなく、でも、見る事ができずに残念がっています。
左大臣は帥の人柄によほどの自信があるようです。四の君が多少戸惑っても、ずっと年上の帥が上手く引っ張って何とかするだろうと言う気でいるのかもしれません。
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こうして左大臣は三日目の夜の宴を、まるで四の君が初婚であるかのように、盛大に御準備に奔走します。左大臣は、
「女の方はこうして誰かに丁寧にお世話を受けていると、夫の心も大切にされている方だと思って、愛おしがってずっと寄り添おうと思う物なのです。あなたも細かく指示をなさってください。この邸で初めての婚儀ですから、何もかもが上手くとはいかないでしょうが、それが悔しく思われますよ」とおっしゃいます。
すると女君は昔、左大臣が御自分のもとに通い始められた頃のことを思い出して、あの頃左大臣は自分の事をどうご覧になっていたのか、「あこぎ」は自分が辛い目にあっていたのを見ていたのにと思われて、
「どうしてわたくしとお会いになったばかりの時に、初めてわたくしをご覧になって愛情深く思われたのでしょうか」とお聞きになりました。
左大臣は大変優しく微笑まれると、
「さて、空言を言うのはどうかと……」とおっしゃると、
「実は本当にあなたを深く愛していると気がついたのは、あなたが『落窪』などと呼ばれて責められなすっていた姿を見た時だったんです。あの時、几帳の陰に隠れて横になりながら『いつかきっと、こうしよう』と決意したことが、今はこうしてみんな叶える事が出来ました。あんなひどい事を言う人達を、これ以上ないほど懲らしめてやって、それでもあなたの大切な御家族でしょうから、反省なさって下さった後には、喜び乱れるほど、精いっぱいのお世話をして差し上げようと思っていたのです」
と、いたずらっぽくおっしゃいます。
「ですからこの、四の君のご婚儀もこうして精いっぱいの事をしているのです。あちらの北の方は嬉しいと思って下さっているのでしょうか。景純などは私の心を知ってくれているようですが」などとおっしゃるので、
「母上も、嬉しいとおっしゃる事が多いようですわ」と言います。
日が暮れると帥がおいでになりました。お供の人々にも被け物を差し上げます。
そして三日夜の所顕しの宴をなさいました。
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左大臣は四の君がいかに周りから大切にされる良い女性であるかを演出するために、細々気を使ってお世話をしています。そもそも派手好き、イベント好きのこの人らしく、再婚とはいえ初婚にも劣らないような華々しい所顕しをしようと思うらしく、人任せにせず自分でもあれこれと指図して、さらに女君にも女性の目で気がつく事があるかもしれないと、気を配るように促しています。
この時代でもやはり再婚は初婚と違って、婚儀や所顕しの宴は簡素にする傾向があったようです。どうしても女性が二度目の結婚をする時は、最初の時程のお相手を望む事は出来なかったのでしょう。周りもやや、軽く考える傾向があったのかもしれません。
けれど今度の結婚は四の君にとっては最初の結婚で受けた不名誉を挽回するためのものです。左大臣は自分がした事の罪滅ぼしとしてこの結婚が重要であることを分かっています。
女君にも『いみじう(これ以上なく)調じ伏せて(懲らしめて)』から『喜び惑ふ(喜び乱れる)ばかり顧みばや(世話をする)』つもりだったと告白しています。
左大臣にとっても四の君は幸せにしなければならない人なんですね。
貴族の女性は周りから大切に扱われていると、相手の男性もそれだけ価値のある人として見てくれる。そんな縁談を目の前で見て、女君は自分の境遇を不思議に感じたようです。
周りのだれからも振り返られる事の無かった自分を、何故左大臣は見染めたのだろうと。
あの時確かに女君は家族のだれからも姫君としては認められず、不遇の中に隠されていました。でも、実は誰にも顧みられなかったわけではありません。「あこぎ」は姫が素晴らしい女性だと気づいていて、幸せになっていただこうと誰よりも大切に思っていましたし、少ないながらも彼女の幸せを願っている人はいました。隠されていた人なので、彼女の素晴らしさを知らなかっただけです。
それでも本当に愛情深く思うには、さらにきっかけが必要だったようです。左大臣も女君を一生添い遂げなければと思いながらも、こうまで女君に一途になるにはきっかけがあったようです。ここで左大臣はそのきっかけを語っています。
このお話のタイトル『落窪物語』落窪とさげすまされてきた姫君が幸せに暮らす物語です。そのタイトル通りに左大臣は、彼女が『落窪』とさげすまされ、苦しむ姿を見て、彼女をこの世の誰よりも幸せにしなければならないと思ったようなのです。
その強い思いがただの恋に終わらない、世間では幾人もの妻を持ち、多くの女性に幸を与える事ができるほどの出世を果たすのが男の甲斐性のように思われていた時代に、一人の女性を誰よりも幸せにすると言う、当時の常識を覆す生きざまを左大臣に選ばせたのです。
左大臣が女君の境遇に気がつかぬままに、二人が結ばれて数ある妻の一人となっていたら、この話は普通のシンデレラストーリーで終わったことでしょう。たとえ「あこぎ」が懸命に二人を取り持ち、「帯刀」が女君に当時の少将に気を向かせたとしても、それが今の二人の深い愛情に繋がったかは判りません。女君の不遇な身の上とその立場がもたらした悲しみ。そしてそれを理解できる左大臣の思いやりと自由闊達な性格。しかもその二人が互いに信じ合って困難を乗り越えたからこそ、このお話は成り立つ事が出来たんです。
「あこぎ」と「帯刀」の活躍と、女君と左大臣の性格。さらに女君の置かれた境遇や、いくつかの偶然があって、普通ならありがちな一時の恋物語で終わるような恋が、こんなにも深い純愛になったのです。ごく普通の貴族の結婚を通して、女君も左大臣も、自分達がどれほど不思議な運命で結ばれた、幸せなカップルであるかを痛感したのかもしれません。




