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92.舞い込んだ縁談

 太政大臣が今年六十歳になられたので、左大臣は六十の賀を催されました。この賀の儀式は大変素晴らしいものでした。とにかく御想像にお任せしましょう。

 童舞の舞人には、左大臣のお子様の太郎君と二郎君が勤められました。お二人ともいずれ劣らぬ御可愛らしさで舞われたので、祖父の太政大臣は、その姿を涙を流し、喜ばれながらご覧になります。

 左大臣はこのように、するべき事は時期を逃すことなく、盛大に催されますが、今や大変な御権勢を誇っておいでなので、それでも財産などますます増えて行くようです。


 そして早くも月日は過ぎ去り、女君は故大納言の喪が明けて、喪服をお脱ぎになります。故大納言の息子たちも皆昇進できたので、服喪明けの法事も立派に尽くされたようです。

 継母も御自分の息子たちのご様子を見て、


「これも左大臣の北の方の御蔭だ」


 と喜ばれたので、左大臣の北の方は大変嬉しい事と思っていらっしゃいます。


 一方、左大臣はどうやって三の君と四の君に良い婿君をお世話しようかと思い、探してはいるのですが満足できるような方が見つけられずにいました。

 すると中納言である人が朝廷に選ばれて、筑紫に太宰帥だざいのそちとして下られることになっていたのですが、その方の妻が急に亡くなられたとお聞きになりました。

 左大臣はこの方の事を「人柄の良い方だ」と思っていましたので、帥が参内なさって左大臣と顔を合わせた時などに、心に留めてお話などなさり、よい折を見て、故大納言の娘の女君との結婚をほのめかしてみます。


 すると帥も、これはよい話だと思われて、


「大変に結構なお話です」とお返事なされました。


 左大臣は早速御自分の北の方(女君)に、御相談します。


「太宰帥に故大納言の女君との結婚をお勧めした所、よい返事がもらえました。この人は上達部でもあり、人柄も大変よろしいとお見受けします。そこで、三の君と結婚させましょうか。それとも四の君がよいでしょうか」


「さあ……」左大臣の北の方は困ったように言います。


「あなたの御心で、決めていただきたいのです」左大臣が重ねてそうおっしゃいました。


「わたくしの心としては、四の君にお勧めしたいと思いますわ。御結婚ではお気の毒な思いをなさっているので、気持ちを取り直していただけるように」


 と女君が答えられたので、左大臣は、


「帥殿は今月末には筑紫に下られるそうです。話しを急ぐ必要があります。故大納言殿の北の方にこの件をお伝えください。あちらがよいと思って下されば、この三条殿にて御結婚の儀をして差し上げましょう」と、おっしゃいます。


「こういう事を手紙で長々と説明するのはいかがなものかと思われますね。でも、子を宿しているわたくしが自らあちらに行くのも、御迷惑をかけそうです」


 女君はそう言ってためらわれますので、左大臣は、


「では、少将(三郎君)や播磨守(太郎君)に詳しくお話になられるとよろしいでしょう」


 とおっしゃいました。


 ****


 いよいよ故大納言の娘たちに縁談話が持ち込まれました。お相手は近々下向が決まっている、筑紫の帥です。筑紫には大宰府があります。つまり筑紫で帥になると言う事は、大宰府の長官を務めると言う事でした。

 大宰府は九州全域、壱岐、対馬と言う広い、しかも国交の入り口と言う重要な役目を追った役所です。広く豊かな国の統括と、外交や国防までつかさどります。この頃には都の外交はほとんど途絶えてはいたのですが、それでも他の国の国司になるのとはわけが違うのです。長官となるそち、次官の大弐だいに少弐しょうにが置かれ、時には帥の下に権帥ごんのそちが置かれる事もありました。非常に重要な機関です。


 ですからここには在京のまま親王が就く場合が多かったようです。この筑紫帥も下向するとはいえ、おそらく親王か、それにとても近い立場の人だろうと思われます。

 高貴な上達部の中でも、特別な人だと思って差し使えないでしょう。位は中納言でも、さらに一目置かれている存在だったと思います。そんな人の妻が下向直前に急死して、このままでは筑紫帥は妻も伴えず、一人身で筑紫まで下らなければなりません。長く都を離れるとなれば、都との繋がりが薄れる不安も感じた事でしょう。

 そこに左大臣は目をつけたようです。筑紫の帥にほのめかすと、色よい返事をもらう事が出来ました。


 左大臣は事実上都を牛耳る権力者です。誰もが出来る事なら彼と縁故を結ぶ事を願っていましたが、肝心の本人が自分の妻に一途なので、皆思うようにいきません。

 そこにその左大臣から、身内の縁談を持ち掛けられたのです。太宰帥としては二つ返事で喜んだことでしょう。本人との縁故でなくても、こうして縁談の世話を焼くような方と縁を結んでおけば、彼にとっても有益な事はたしかですから。


 左大臣は御姉妹である女君に三の君と四の君、どちらに話を持ちかけようかと相談します。独り決めしないで相談されたのは、やはり後ろめたい気持ちが左大臣にもあったのかもしれません。なにしろこの人がまだ少将だった頃に女君の家族に復讐した事が、三の君と四の君を今の状況に追い込んだ原因になっているのですから。そもそもが故大納言一家が女君を虐待しての事とは言え、気が咎める気持ちもあるのでしょう。


 それにたいして女君は四の君にこの話をお勧めしたいと言いました。まさにこの人はずっと気が咎めていたに違いないのです。自分の夫のしたことをあの時とても嘆いていて、後に自分の事を知らせた時も、四の君には直接手紙を送っていたくらいですから。

 本当はあれこれと自分で四の君を説得したいのでしょうが、折り悪く女君は懐妊中でした。仕方なくあの、昔の三郎君、弟君の少将に伝言を頼む事にします。


 ****


 翌朝、左大臣の北の方は、少将を呼び寄せてこっそりと、


「わたくし自らお母上の所に言ってお話ししたいと思っていましたが、事情があってお伺い出来ません。実は左大臣から四の君を太宰帥殿と御結婚させたいとのお話がありました」


 とお話になりました。


「四の君に、太宰帥との縁談話ですか」少将は思いがけない話に驚きます。


「どのように取り計らったらよろしいでしょうか。左大臣は『独身を通されていらっしゃるのは、つつましやかな事とは思われますが、女性が一人で生きていると思いがけない事も起ったりする物です。太宰帥は大変素晴らしい方です。皆さま誰もが良縁だと思って下さるのならば、この三条殿にお迎えしてすべてをお世話して差し上げたい』とおっしゃっているのです」


 それを聞いた少将は、


「実にもったいない仰せです。たとえ悪い話だったとしても左大臣殿の仰せとあればお断りすべきではないのですが、ましてこれほど素晴らしい御縁組。さっそくこの話を帰って伝えてまいりましょう」と言って、御自分の母上のもとに行きました。


 少将は母上に、


「先ほど左大臣の北の方から、このようなお話をうかがって参りました。大変結構な良縁です。たとえお相手がどのような方だとしても、今をときめく左大臣殿がまるで御自分の娘のように四の姫の結婚のお世話をして下さっている。このお気持ちをおろそかに思う事など出来ません」


 と大変喜んで話しました。


「面白の駒の事でこちらの弁明の甲斐もなく、世間に笑われたり、そしられたりしたことをこの良縁にて、挽回して下さろうと言うのでしょう。確かに太宰帥殿の年齢は四十を過ぎていらっしゃいますが、故大納言殿が生きていらっしゃっる時に初めてのご結婚をなさったとしても、これほどの良縁は望む事は出来なかったでしょう。親以上に心に留められて、あれこれ気を使って下さっている。この上なく嬉しいことです。早く四の君を三条殿に参上させましょう」


 と言います。北の方も、


「私も自分が死んだ後に末娘の四の君が一人身でいることを後ろめたい事と思っていた。ただの受領でもよいから良い縁は無いものかと思っていたが、ましてやお相手が上達部とは。それはそれは嬉しい事。こうも細やかに後ろ盾をして下さるとは、大変に感謝をしていると左大臣殿に伝えて欲しい」と喜びます。けれど、


「女君よりは左大臣殿の方が、御心が素晴らしくていらっしゃるようだ」


 と皮肉なことを言うので少将は、


「何をおっしゃいます。あちらで聞いていて思うのですが、左大臣殿があちらの北の方を大切に思っていらっしゃるあまりに、私にまでそのお優しさが及んでいるのでしょう。左大臣の北の方は『わたくしを大切に思って下さるのであれば、わたくしの兄弟の事も、男君も女君も同じように大切に思って下さい』とおっしゃっています。こんな方だから左大臣の北の方は大変な幸運を持っていらっしゃるのでしょう」と、お咎めします。


「数ならぬ身でしかない、この景政かげまさですら、色々な女性を『見てみたい』『知ってみたい』と誘惑に駆られると言うのに、左大臣殿はこの北の方一筋でいらっしゃって、他の女性の影などまったく見えません。内裏に参上した時も、后の宮の知的で上品な美しい女房達でさえ、たわむれにも目に入る事がないのです。真夜中だろうと、暁だろうと、暗い中でも手探りで歩くようにして退出し、北の方のもとへとお帰りになっています。女性が夫に大切にされるお手本とは、この北の方のことでしょう」


 と左大臣の北の方の事を褒められました。そして、


「御縁談の件は、どのようにお返事をしたらよいのか、四の君本人にご相談なさってください」


 と言うので、北の方は、


「四の君、こちらにいらっしゃい」


 と呼ぶので、四の君がこちらにおいでになりました。


 ****


 さっそくこの縁談は故大納言の北の方に知らされました。四の君はこの人にとっても末の娘で娘たちの中では一番可愛らしくも、不憫にも思っていたのでしょう。先々の不安が解消され、汚名を晴らす機会ともなる良縁に、左大臣に感謝の気持ちが湧くようです。

 もっとも左大臣が「婿の入れ替え」なんてひどい事をしなければ、四の君はこうまで辛い目に遭う事は無かったんですが……。


 ところが北の方は、今でも女君には心に引っかかるものがあるのか、復讐をされた左大臣には感謝までしているのに、女君を非難するような余計なひと言をこぼしてしまいます。

 このお話では何があったかは書かれていませんが、北の方は女君やその母親によほど、心晴れぬ思いを抱いているようです。何か確執があったとしても、女君はごく幼い時の事だったでしょうから、おそらくはその母親と何事かがあったのでしょう。


 でもそんな事情など知るはずもなく、自分の母が女君を貶めていた姿を見ていた少将は、母親のこの態度が気に入らないようです。つい、女君をかばう口調になってしまいます。

 こういう部分がなおさら北の方のへそを曲げさせる一因だろうとは思うんですが。


 少将の台詞に出て来る、女性を『見まほし』(見たい)『知らまほし』(知りたい)と言う言葉。これは遠回りな言い回しですが、この頃女性を「見る」と言えば、女性の全身、隅々までを見ると言う事。「知る」と言えば、すべての事を知りつくす。つまり、夜の秘め事の事を指しています。しかも当時は力があるなら妻はいくらでも持てましたし、恋人や愛人を持つのは貴族のたしなみのようなものでした。ただ、力がなければ断られてしまいますが。


 ところが都一の権力者の左大臣が、宮中の后に仕える美貌にも才智にも恵まれた、選りすぐりの女性たちを前にしても、まるで目もくれることなく、一途に自分の妻のもとへと帰っている姿を目にし、左大臣の北の方がどれほど素晴らしい女性なのかを思い知らされているようです。

 男心と言うのは自分でもどうしようもないものだと思っているのに、そんな気持ちを夫に起こさせない左大臣の北の方を、尊敬しているのでしょう。


 ともあれ、縁談は四の姫に伝えられることとなりました。四の姫はどんな返事をするのでしょうか?




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