91.時の権力
こうして左大臣の心のままに行われるようになると、左大臣の父の太政大臣が何かなさろうとする時も、まずは左大臣に相談されるようになりました。そして左大臣が、
「それはよろしくはありませんね。なさらない方がいいと思います」
とおっしゃると、太政大臣は自分の思うようにしたいと心の中では思いながらも、我慢なさいます。逆に自分が「するべきではないだろう」と思われる事でも、左大臣が二度、三度としきりに御進言してくると聞かない訳にはいかなくなってしまいます。
ですから今度の司召しでも、数ならぬ身であるはずの低い身分の人も、左大臣の御進言通りに任官なさいました。
左大臣は帝の御叔父でいらっしゃり、限りなく御信頼を受けている身で、左大臣の職に就いておられるうえに学問に関しても限りなく賢くていらっしゃいます。
押しの強い事をおっしゃって来ても対等な知識で言い交わせる上達部もおりません。
父の太政大臣でさえ、この方は同じお子様の中でも特別可愛がっておられるあまり、もったいなくも、並々でなくお思いになっておられるようで、お子様でありながら、むしろ親のように敬っているように見えました。世間の人もそれを知って、
「太政大臣殿よりも、左大臣殿にお仕えした方がいい。そうすることを太政大臣殿も良いと思っておられるのだから」
と言って、少しでも昇進に色気を持っていて、良い位に染まろうと考えている人であれば、三条殿に参上し、お仕えしたいと皆華やかに着飾り、出入りをしていました。
その左大臣の北の方(女君)は、中の君の夫が美濃守となったので、赴任の餞別のお祝いを色々と盛大になさいました。美濃守は左大臣の家司でもありますので、この上なく御用意をなさったようです。
馬の鞍に『てうつ』を一つ添えて与えられ、
「こうも細かく準備をそろえたのは、我が妻があなたに十分にお世話をして欲しいとおっしゃったからです。これから任国に下っても気を緩めることなく、良く仕事に励むように。任務がおろそかだと聞いたりすれば、もう絶対に世話など出来ぬからな」とおっしゃいました。
美濃守はかしこまりながらも嬉しく思い、妻の御姉妹の方は素晴らしい方だと思いながら、
「左大臣殿からこんな御言葉をかけていただいた」
と、妻の中の君にお話になりました。
「あなたからもぜひ、左大臣の北の方に『精一杯任務に励みます』と伝えてください。私は左大臣殿の恩恵にあずかる身なのですから」
と美濃守が言うので中の君も大変嬉しく思っています。
さらに左大臣は、
「今度、ぜひとも三の君、四の君に良い婿君をお迎えしたいと、人知れず探しているのですが、良いと思われる方が見つからず、残念に思っているのです」
と、故大納言の北の方に良くおっしゃっています。
その北の方や、三の君、四の君に左大臣は、夏冬のお召し物や、お食事などを故大納言殿が御生存だった時以上に、御自分の御位が上がるままに大変豊かに隅々までお世話をなさるので、北の方たちは満ち足りた生活をなさっていました。
そのうちに女君は三郎君を御出産され、お子様方が次々と袴着をなさいましたが、暇がないためそこまでは書きません。
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完全に左大臣は、都での実権を握りました。立場的には上のはずの父親の太政大臣でさえ、彼に意見する事は事実上出来なくなっていました。
はっきり言って独裁状態です。他の上達部達は彼と同じ程度の知識や情報力を備えていないと言うのですから、彼にとっては帝と皇太后を除けば大臣たちもお飾りのような物なのかもしれません。もともと左大臣の父親の太政大臣が、自分の出世の勢いと権勢を使って、左大臣をはじめとする自分の息子たちをこれまで順当に出世させていました。朝廷内でのこの一族の権勢は大きなものであったのでしょう。
ところがさらに今度の除目で左大臣は、自分たちの一族のみならず、昇官を望んでいた故大納言一族を自分の思うように昇官させて、良いポジションに自分の味方をそろえてしまいました。
後は皇族出身の方がたが自分を認めてくれればいい訳ですが、彼は何と言っても今上帝の伯父にあたる人物で、しかも帝から信頼されています。
こういう時には権力者には縁故関係を結ぶべく、自慢の姫君を紹介して婿になってもらおうと各家が躍起になる物ですが、いかんせん、この人は御自分の北の方一筋で他の姫君には目もくれてくれません。縁故関係による出世が見込めるのは左大臣の北の方の縁者の方々だけです。
それが分かってしまったので、後は正攻法しかありません。当時の公達は出世に命をかけているようなものですから、誰もが三条邸に出向いて、左大臣からの憶えをよくしようと懸命に通って来ます。身づくろいを整えた公達たちが盛んに通うのですから、華やかな三条邸は一層華やぎに包まれたことでしょう。
そしてその縁者としての恩恵を受けた中の君の夫は、左大臣の口利きにより美濃守として任地に赴くことになりました。左大臣はこまごまと旅立ちのための準備をそろえて与えたようです。
馬の鞍と共に添えた『てうつ』なる物がどういった物なのかは分かっていません。何か旅に欠かせない物の一つなのでしょう。そう言った実用的な物までぬかりなく用意して与えたと言う事だろうと思います。
さらに左大臣は三の君と四の君の縁談も考えているようです。けれど二人とも再婚になりますし、特に四の姫は例の面白の駒の一件が世間に知れ渡ってしまっている上、その時生まれた幼い姫君もいらっしゃるのでなかなか良い相手が見つからずにいるようです。
今も左大臣は北の方と三の君、四の君をまめやかにお世話しているようですが、やはり若い女君たちの事なので、先々のことを心配しているのでしょう。
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左大臣の御長男は十二歳になられました。とても大きくなられて宮仕えなさっても滞りなくお務め出来そうなほど賢くていらっしゃるので、東宮のもとに童殿上させることになりました。
漢籍を読みこなし、賢く、何をするにももの慣れた風情で、お人柄も大変素晴らしいので、まだ若い帝も管弦のお遊びの時などにこの御長男の太郎君をお呼びになって、可愛らしいと思っていらっしゃいます。笙の笛をお吹きになる時など、この君に自ら教えて差し上げたりするので、父の左大臣は太郎君をとても可愛いと思っています。
祖父の太政大臣の邸でお育ちになっていた左大臣の次男の君は九歳になられていました。兄君が童殿上されたと聞いて、それを大変羨ましがられて御自分も、
「どうしたら内裏に参内できますか」
とお聞きになるので、太政大臣は可愛らしく思われ、
「どうして今まで聞かなかったのか」
と言って急いで童殿上させたものですから父の左大臣は、
「まだこんなに幼い子なのに」
と困ったようにおっしゃいます。ですが祖父の太政大臣は、
「そんな事は無いぞ。二郎君はそなたの所の太郎君にもまさる、賢い子だ。兄より優れた弟、弟まさりとはこの子の事だ」
などと言うものですから父の左大臣は笑ってしまわれました。
太政大臣は内裏に参内しても、
「この子はこの翁にとって、この上なく愛おしく思っている子です。ぜひ、大切に思ってお目にかけてやって下さい。この子の兄同様に思ってやって下さい」
と帝にもおっしゃるし、
「この子は官職を得たとしても兄にまさる子だ」
「すべてにおいてこの子を長男のように扱うように」
と、常日頃からおっしゃるので名も「弟太郎」とおつけになりました。
お二人の妹の姫君は八つになられ、大変可愛らしい御容姿をしていらっしゃるので、今の内から先々の入内を考えて、皆でかしづき、大切に育てられています。
そのさらに妹君も六つになられ、その弟君は四つになられていました。さらに近いうちに北の方はお子様を御出産になる予定です。
このように多くの良いお子様に恵まれるので、左大臣が北の方を大変大切になさっているのも、当たり前の事なのでしょう。
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孫と言うのは目に入れても痛くないものとはよく言ったものです。それは正一位と言う最上の位を手にした太政大臣と言えど同じ事。
しかもこの次郎君は多くの孫の君の中でも、太政大臣が自分の邸で育てた唯一の君です。こうなると我が子よりもずっと可愛い存在になるのでしょう。とうとう本人たちをよそに、太政大臣にとって左大臣の太郎君は二郎君のライバルのように思えているようです。
太郎君が東宮のもとに童殿上したと聞くと、羨ましがる二郎君のために強引に童殿上させてしまいました。でも、宮中の中と言うのは結構子供も多くいるところだったようです。
宮中にいる高貴な方のお子様のお相手をしたり、ちょっとしたお使い事をしたり、大臣の子息たちはこうやって内裏の雰囲気に慣れていき、子供の内から人間関係を築けるようにしたのでしょう。いきなり位の高い人たちの中で英才教育を施されたんですね。
どうもこの頃は『弟まさり』という言葉があったようです。兄よりも弟の方が優れた資質を持っているたとえとして使われたのでしょう。
けれどここでは、二郎君が太郎君よりまさっていると言うよりも、太政大臣の二郎君にかける愛情が、他の孫たちによりもまさっていると言った感じですね。とうとう名前まで「弟太郎」なんてつけてしまいました。しかも身内とはいえ帝に直接「目をかけてやって欲しい」と言うなんて。甘い祖父ぶりがうかがえます。
その下の姫君は八歳、今なら六、七歳になりました。ようやく幼女から少女に成長出来た頃でしょう。この段階で将来、帝のもとに嫁ぐ入内の準備を進めてしまうんですね。
早いようにも思えますが、十二、三歳で入内すると考えると残り時間は四、五年しかありません。一族に勢いのあるうちに進めてしまいたい外威政策や、入内後長く続く姫の後宮生活の事を考えれば、このくらいの頃からしっかりした英才教育を施している事を示すのは、大切な事だったのでしょうね。
この姫は次の帝となる東宮に入内されるでしょうし、姫の兄二人も東宮に童殿上させていますから、この一族は着々と次世代を東宮の近くに仕えさせ、繁栄を長く保つ準備を整えているんですね。どんな政務より人間関係がものを言った時代らしい、地道で周到な戦略ともいえます。
内裏と言う閉ざされた空間で、生涯のほとんどを過ごす帝の心をしっかりとつかんでしまう事は、今の私達が考える以上に重要な事だったのでしょう。
そんな中で都一の権力者の子宝に次々と恵まれる女君。世間の人はさぞかし羨ましがったことでしょうね。




