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9.えみせぬ人

 中納言の一行は、大騒ぎの末に旅立って行きました。邸の中はシンと静まり返っています。

「あこぎ」と姫は北の方に怒鳴られることもなく、仕事を言いつけられることもなく、のんびりとおしゃべりに興じる事が出来ました。

 そこに「帯刀」が使いをよこして、「石山詣でのお供をしなかったそうだけど、本当かい。本当ならそちらに行くから」と言って来ました。

 お供に行かなかった事を「帯刀」は「あこぎ」が自分と仲良く過ごす時間を持つためだろうと勘ぐったようです。姫が残っている事までは知らないのでしょう。

「あこぎ」は「落窪姫」だけが取り残されたなんて、自分の夫と言えども言えません。あちらには少将様もいるのです。だから、


「姫様のお具合が少し悪いのでお留まりになったの。だから私も残ったのよ。でも退屈だわ。何か気晴らしになるものを持って来てくれないかしら。前に少将様が持っていらっしゃると言っていた絵を見せてちょうだい」と返事を書きました。


 以前「帯刀」が、少将の妹君は帝の女御様でいらっしゃるので、少将が「落窪姫」に通うようになれば、妹君が持っていらっしゃる絵を、いずれ「落窪姫」も御覧になれるだろうと言っていたので、それを夫にねだったのです。


 ****


 絵を見るのがそんなに楽しいのかというと、楽しかったんです、この頃は。

 当時の娯楽と言えば、音楽、物語、碁やすごろくと言ったゲームなどでしたが、音楽は今のような録音機器がある訳じゃありませんから、当然、演奏する人が必要です。

 物語も人の手で書き写されていくものです。人から人へつてを頼って手に入れていた事でしょう。絵だって当代の名画家達が高貴な人たちの為に丹精をこめて描き、それを各家々で家宝として大切に取り扱い、それを時々眺めては、物語の世界を思い描いて楽しんでいたのです。

 今のように動く映像が無いわけですから、そう言う想像をする時間が、まるで映画やドラマを見るように楽しかったのです。


 本来お邸のお姫様というのは、外に出られない分そういう事をして楽しんだり、演奏を覚えたり、教養を身につけたりして毎日を過ごす物なのです。

 でも「落窪姫」にはそういう事をするための絵も、道具も、本もありません。このお邸の幼い三郎君という中納言の男の子に教えるために、筝の琴を弾く事だけは許されていますが、他に娯楽らしい娯楽が出来る物など一つもないのです。

 だから「あこぎ」は姫が仕事をさせられずに済むこのチャンスに、少将様から絵を借りて欲しいと頼んだのです。そうすれば姫も喜んで、少将様に心を開くかもしれないと思ったんでしょうね。


 ****


 邸の隙を狙って姫の所に忍び込む手配をするように言われていた「帯刀」は、少将に「あこぎ」からの返事を直接見せました。


「これが惟成これなりの妻の手(筆跡)か。なかなか綺麗な字を書くんだな。これはいい機会だ。さっそく行って手筈を整えてくれ」と、お命じになります。


「絵を一巻お借りしたいのですが」


「それは私が通うようになれば、見られるって言ったんだろう」


「今こそ、その時が来たと思われますが」


「帯刀」がそう言うと、少将は笑って自室に行き、白い色紙に小指を加えて口を曲げ、すねた表情の人の絵を描き、


「絵をご所望とのことですが、


  つれなきを憂しと思へる人はよに

    ゑみせじとこそ思ひ顔なれ


(お返事ももらえないつれないあなたの事を悲しく思っている私は、笑みせない、つまり絵、見せないとこんな顔をしています)


 私は子供ですね」


 と書いて、「帯刀」に持たせます。


 受取った「帯刀」は自分の母親に「見た目の良いお菓子を一袋用意して下さい」と頼み、中納言の邸に向かいました。


 ****


 さて、ようやく「帯刀」の本名が出てきました。実は「帯刀」というのは名前ではありません。彼の仕事の役職名です。何故ここまで名前が出てこなかったのかというと、当時はよっぽど位の高い男性でなければ、名前が通る事ってなかったんです。ほとんどの人が役職名で呼ばれました。それが一般的だったんです。男社会ではなおさら。親しい少将でさえここで初めて名前で呼んだのです。女性にいたっては、誰誰の娘、誰それの妻。そんな呼ばれ方しかしませんでした。中納言家の姫君達も、「一の姫(大君)、二の姫(中の君)、三の姫、四の姫」としか出てきませんね。

 でも「あこぎ」は「帯刀」の妻ですから、「惟成」と名前で呼ぶんですね。名前で呼び合う関係というのは、親や身内、妻や恋人と言った特別な関係の人くらいのものだったのでしょう。


 その惟成と少将にとっては千載一遇のチャンスがやってきました。姫の部屋に忍び込むにはこの機会を置いて他にはありません。「あこぎ」も姫がリラックスしている今のうちに、少将に心を打ち融けて好意を持ってもらおうと思ったことでしょう。家宝とも言える絵を持ってくるのは当然少将ですから、これをきっかけに姫にも逢う気になってもらおうと思ったはずです。


 でも、散々じらされていた男達は、もうそれでは済まなくなっていたようです。

 惟成は「その時が来た」と少将を通わせる気マンマンですし、少将もワクワクした気持ちを抑えきれずに、イラスト入りの手紙を書いてすねて見せたりして(当時の人も、こんなことしたんですね!)姫に甘えています。

 待ちに待って、ようやく邪魔者が居なくなって、あとは「あこぎ」さえ何とかすれば念願の姫との一夜が待っている。問題をクリアしてゴールのご褒美は目前。そんなゲーム感覚に浮かれている姿が現れているシーンです。


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