89.母と息子
越前守は早速故大納言の北の方や、娘の女君方に、
「大将殿が、こう、こうと、おっしゃっていました」
とお伝えします。北の方はこの邸をとても欲しがっていたので「とてもうれしい」とおっしゃりながらも、大将の北の方(女君)が「自分にこの邸はいらない」と言ったから、自分たちに領有する権利が替わったと女君が思っているのかと思うと、とても癪に障るので、
「落窪の君がこのようにして下さったのですか。それはまあ、とても嬉しい事だこと」
と、大変皮肉な言い方をなさいます。
これを聞いた越前守は、大変腹立に、腹ただしく思い、爪弾きをして、
「何と言う情けない御心ですか。以前、母上があちらの北の方にお気の毒な、こちらが恥ずかしくなるようなことをなさったものだから、私は面目が立たず、心の痛む心地でいると言うのに。それが人の心を持った人の言いようでしょうか。私達の立場も少しは考えて下さいませんか。大将殿が母上の事を疎んでいらっしゃった時、私達はどれほどの恥ずかしい思いをし、懲らしめられた事か。それが今ではうって変って、こうも御親切にお気にかけて下さっていると言うのに、その御人徳を見ようともせずに、そのようにおっしゃるとは」
と、あきれ果てています。そして、
「これでは昔など、あちらの北の方にどのような事をなさった事やら。『落窪』だの『何窪』だのとおっしゃって、人聞きも悪ければ、私自身も聞いていて狂おしく思えますよ」
と嘆くものですから、北の方は、
「それがどれほどの徳だと言うのです。亡き大納言にたいしては、実の父親なのだから恩恵を施していたのでしょう。私が口を滑らせて『落窪』と言ったからと言って、それほどの間違いではないでしょう」
と言い返してきます。
「どうしようもないお心持ですね。物の道理が分からなくなっていらっしゃる。『徳を受けていない』とは。母上は受けていないとお思いなのでしょうが、大夫(三郎君)が左衛門佐になったのはどなたの御配慮だと思われますか。この私、景純が大将殿の家司となって、位階を加えていただけたのは、誰のおかげでしょう。良く考えてみてください。それに私達が人並みの身分になるためには、大将殿の御人徳が必要です。大体、母上は父上からこの邸を相続できなかったではありませんか。この邸を大将殿の北の方から譲っていただかなければ、どちらに住まわれるおつもりだったのですか。まず、何よりその事をお考えください」
越前守は自分達が大将から受けている恩恵を、一つ一つ北の方に説明します。
「目の前に起きているこうしたことをご覧になれば、嬉しくもありがたくも思えるはずです。私、景純も任国を治めておりますから財産もないわけではありませんが、まずは妻の方を養おうと思いますから、母上に差し上げるわけにはいきません。今になってさえ母上に差し上げる事ができないのは、子として親への愛情が薄いからなのでしょう。御自分が産んだ子でさえ、このように親を疎略にしがちなものなのです。ですから母上は大将殿の北の方のご厚意を、涙に涙をして喜ばれるべきなのです」
と、とにかく言い聞かせていると、北の方も「本当にそうだ」と思って黙りこみました。
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故大納言の北の方は、自分の住んでいる邸が自分の手に入ると知って、安心しすぎてしまったのか、それとも今でも実母の身分の高い女君を妬ましく思うのか、昔の癖も相まって『落窪の君』の名を使って、ひどく皮肉な物の言い方をしたようです。女君の母親に身分では劣ろうとも、故大納言の第一の正妻だったのは自分だと、虚勢を張り続けて自分を鼓舞し、老いた故大納言を支えながら七人の子を育てた人です。その強い意思は簡単に折れるものではないのでしょう。ライバルだった女性の娘に施しを受けてしまった悔しさのようなものが、口調に出てしまったようです。
しかし、長男の越前守とすればそんな遠い昔話に実感はありません。彼としてはこれからの家族の行く末や、今後の自分の出世と生活の方が、母親の女の意地よりよっぽど切実で大事なことです。一族はこれからも貴族として生きなければならず、生活していかなければならないのですから。貴族というのは社交から外れ、没落してしまったら生きてはいけない人々なのです。
それにこの人は長く任地にいたので、母親の事情も、心情も、この人が女君をどんなふうに見下し、虐待していたかさえ知りません。女君がどれほどみじめな様で、下男下女までもが軽んじて見ていたような姿をしていたかなど知りもしないのです。彼が目にした女君は、すでに大将の北の方として、この上なく立派な扱いを受けている時だったのですから。
そんな大勢の人々にかしづかれている女性を、自分の母親が不遜にも虐待してたと知って、越前守としては穴があったら入りたいほどの日々を、堪えて送っているのでしょう。出来れば大将に近づきたくないのが本音でしょうが、今や世の中を支配しているのは大将の父、右大臣の一族です。その父親も年齢が上がって来ていますから、実質、大将が貴族社会の要になっていると言っても良いでしょう。貴人は貴族社会の中でしか生きるすべを知りませんから、彼に疎まれたら生きて行く事さえできません。
自分の邸の中と、女同士の権勢あらそいしか知らない母親に、なんとか世の中のそういう流れを知ってもらおうと、越前守は懸命に母親に、自分達の今の立場と、男社会にとって大将の存在がどれほど重要で、それが一族のためにどれだけ必要な人であるかを語り聞かせました。
そして今の自分では、自分の妻を貴族らしく養うだけで精いっぱいで、とても親兄弟の面倒を見れるほどの力がない事を言い聞かせます。この人だって仮にも貴族のはしくれ。故大納言の長男です。自分なりのプライドだってあるはずですが、母親に分かってもらうために、恥を忍んで自分の力の限界を伝えたのでしょう。それが結局は母や妹たちの幸せになると信じて。
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「それで、大将殿への御返事はいかがしましょうか」
と越前守が聞くと北の方は、
「さあ……。私が何か言えば『間違っている』とうるさく言われるのだから、返事もしにくい。上手い言い回しを知っていて、物の心と言う物を分かっているお前が、私の事を推し量ってお返事すればいいではないか」
と、おもしろくなさそうに言うので、越前守は、
「他の人のために申しているのではありません。母上御自身のためです。『三、四の君(姫)。母上の事も、いかようにでもお世話いたしましょう』と大将殿がおっしゃって下さるのは、大将殿の北の方の御心に従っての事なのです。同じ母上の腹から生まれた大君や中の君さえ、こんな御心はありませんよ」と言います。
「これでは私の事をあちらの北の方はどのようにおっしゃっているやら。情けない事だ。私が相続出来た丹波の荘園は、一年に米、一斗さえ収穫できない。もう一つの荘園は越中と言う遠いところだから、どのくらいの収穫を得ているかなどと、たやすく知る事ができない。中の君がいただいたところは三百石の収穫があるそうではないですか。こんな風に遠い荘園や、収穫の悪い荘園を私に分けたのは、景純が選んでよこしたのだろう」
北の方はそう言って越前守をひどく責めますが、誰もかれも、故大納言が分けている所を見ていたので、
「越前守が母上にこういうお与え方をするはずはありません。父上です。ただ、これでお分かりでしょう。心を隔てることなく、御世話をして下さるはずの自分の夫でさえ、相続となれば御自分の御心を優先されるのですよ」
と言って、越前守をかばいます。すると北の方はますます不満そうに、
「ああ、やかましい。私達はいつの間にそんなにまで落ちぶれたの。誰もかれも、皆貧しいからそんなことを言うのだろう」
と腹ただしげに言います。そこに、左衛門佐が来合わせて、心にもない事だと思ったので、
「私達は貧しいですが、だからこんな風に言っているのではありません。御立派な方と言うのは他の方とは違い、素晴らしい節操を保っておられる物です。それに、大将殿の北の方が、まだこちらの邸に住まわれていた頃は、母上からのひどい言葉を聞かれても、ほんの少しのご不満も漏らされる事がありませんでした。あんなに聞いていて心苦しくなるような物言いにも、悲しくもお従いになっていて『わたくしは、心穏やかに過ごしていますよ』などと、あこぎなどにも秘かにおっしゃっていたようです」
そう言って母上に御改心いただこうとするのですが、故大納言の北の方は、
「私はどうやって死んでしまおうか。こんな風に憎まれ、悪者のように言われるなんて。親を死なせればお前達には、仏罰が下りますよ」
と頑なになってしまわれます。
「ああ、もう結構です。はいはい。もうこれ以上は申し上げません」
越前守も、左衛門佐も、二人揃ってあきれ果てながら次々と立ち去ろうとするので、北の方もさすがに、
「ちょっと、大将殿へのお返事を申せ」
と呼び寄せようとなさいましたが、お二人とも聞こえないふりをして去ってしまいました。
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年老いると言う事は、経験を重ねて様々な知恵を得る事でもあるのですが、その経験が固定観念を植え付けて、どんどん心を頑なにしてしまうと言う事でもあるようです。
故大納言も最後まで自分の抱いていた物質への価値観と、家長の意地から逃れる事は出来ませんでしたが、この北の方も、女同士の身分差に負けまいとする意地とプライドで持って、生き抜いてきた事への執念から逃れられなくなてしまっているようです。
息子達は母親の幸せのために、女君の優しい心遣いに感謝するよう言い聞かせますが、北の方にとっては、自分の夫と邸の中が世界のすべてです。高貴な身分の正妻とはそう言う物です。彼女にとっては最後には大納言にまで上り詰めた夫の子供たちが、こうまで経済力に乏しいとは思っていなかったのでしょう。
自分の知らなかった現実を細かに突きつけられても、にわかには信じられません。昔、女君を虐待していた後ろめたさもあって、息子達が自分に嫌がらせをしているとでも言いたそうな口ぶりで、長男の越前守の事を責め始めました。
そこに来合わせた左衛門佐が助け船を出すつもりで母親を説得しようとしますが、昔の虐待の事を持ち出されて、北の方はますます意地になってしまったようです。北の方にしてみれば、夫を失い、これからは支えてくれるはずだった息子達が、こうも頼りにならないばかりか、皆、大将夫人の女君に味方しているのです。
この人は恐らく、長い年月に渡って女君の母親の身分に負けまいと、必死になって生きてきたのでしょう。女君を虐待したのも、その執念が凝り固まった末の事なのでしょう。
けれども理由はともかく、人を貶め続けた事は自分の身に跳ね返って来てしまいました。そしてこの人も自分の間違いに今では気付き、悔しいながらも折れに折れて、女君の夫の一族のお世話になっていました。
けれど、まさかこうまで自分の息子達が、自分よりも女君に肩入れするとは、北の方は思っていなかったのでしょう。上級貴族の北の方として生きてきた彼女にしてみれば、見栄を張るのも、矜持を見せつけるのも、権勢を保つための懸命の努力でした。たとえ女君を虐待してでも、我が子たちを目立たせて、立派に、幸せになる事を願って来た筈です。
それが時流が変わって自分がこれまでして来た努力が、何一つ実を結んでいなかったと見せつけられてしまったのです。邸からめったに外に出る事も許されない、男達の世界の事には、耳も口もはさむ事の出来ない女の身としては、自分の努力が足を引っ張る事はあっても、何の役にも立っていなかったとは信じたくないでしょう。北の方だって自分の先行きと子供たちの幸せのために、七人もの子を生んで、育ててきたのですから。
男世界の道理が通じない母親に、とうとう息子二人は説得すら投げ出しました。北の方が貴族の男にとって、時流を読み、権勢におもねり、世を渡っていく事がいかに大事かを理解できないように、息子達には女達が寵を競い、自分と我が子に夫の関心を向けさせ、子供を育てていく事にどれほどの情熱を注いでいるのか、理解できないのでしょう。
こんな母と息子達のありように家族の愛情とは別に、当時の女性が社会に関わる必要のない、その家の財産や、物品と同じ扱いであったことの悲劇が垣間見えます。
北の方の言葉に『そかししつめ』と言う言葉があり、意味、未詳となっていますので、『押し沈め』との誤りという説をとって、前後の言葉から「落ちぶれた」と私は理解しました。
同じように姫の心情が『心やはらかなり』とあるのも、本来は「心素直」と言う意味ですが、ここでは「心穏やかに過ごしている」と訳しました。自分で自分を素直とは、今ではあまり言いませんからね。
私流の解釈ですので、御了承下さい。




