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86.大納言の死

 大将殿の北の方(女君)は、このやり取りをお聞きになっていて、御気の毒にも、憐れにも思われたものですから、


「母上がおっしゃった事は、本当にその通りだと思います。わたくしにはただ、何もかも下さらなくていいのです。他の方々に残さず分けて差し上げて下さい。ましてこの邸は誰もかれもが住み慣れた場所。そう言う邸が思いもよらぬほうに譲られたりするのは、とても見ていて心苦しいものです。やはり、早く母上に差し上げて下さい」


 と、大納言をお責めになるようにおっしゃるのですが、大納言は、


「私から北の方に与える事は出来ない。私が死んだ後に、持ち主のあなたがいいようになさってください」


 と言って、女君の言う事に耳を貸しません。僅かに質の良い帯などがあると、すべて大将殿に差し上げてしまいます。

 越前守などは本当は少し面白くないと思ってはいるのですが、父親のお気に召している人の事をあれこれと言う訳にもいかず、表に気配は出しません。

 大納言は遺産分けに関わることをしっかりと文章にしたためさせて、大将の北の方に、


「色々と嬉しく思っていますよ。あなたの徳のある御心の御蔭で、面目の立つ思いをさせていただいたので」と、繰り返し、繰り返し申し上げて、


「はかばかしいところのない、つまらぬ娘をとても多く持つ身ですので、娘たちの事を、よくよくお気にかけて下さい」


 とおっしゃいます。女君の方でも、


「分かりました。わたくしの身で出来る限りの事ならば、何としてもお世話させていただきます」と言う物ですから大納言は、


「たいへん、嬉しいことです」とおっしゃいました。


「娘たち。この方の御言葉に従うのだぞ。この方を大切に思うようにしなさい」


 などとしっかりとした様子で話していたのですが、やがて大変弱々しい御様子になったので、誰もかれもがひどくお嘆きになりました。


 ****


 親子でこれほど価値観が違うのも、大変ですね。女君としてはようやく分かりあえた父親との時間が大切で、その家族も以前のように冷たいそぶりや態度をする事もなく、自分と言う人間が認められた事に喜びを感じている様なのに、大納言はこれまでの自分の価値観から父親として見栄を張り、女君に考養を尽くしてもらった事に相応しい物を与えて自分を父と認めてもらい、自分亡き後の家族を助ける気持ちになってもらおうと、必死で訴えてきます。


 当然、今の女君にそんな物は必要ありませんし、この人の性格ではどんな状況であったにせよ、保護者として育てられたことに恩を感じずにはいられないでしょう。その家族も今では自分を認めてくれているのだから、疎む気持など毛頭ないことでしょう。その女君にこんな風に必死に財産を譲り、頼ろうとする大納言の姿は何とも切ない物があります。


 そんな切なさを感じながら、女君は自分の気持ちを分かってもらおうと大納言に、この人らしからぬ、少し責めるような口調で「財産など要らない」と言いますが、悲しいかな長年培われてきた価値観は死出の旅立ちの直前となろうとも、変わる事は無いようです。これまで長い人生を人と比べて抜きんでること、そう思わせるだけの物や、地位を手にして人に認めてもらう事でこの人なりに渡って来た、矜持きょうじがあるのでしょう。


 女君もそんな大納言の心が伝わったのか、それ以上の事は言わずに大納言の思うようにする気になったようです。そして残される家族を心配する大納言に、せめてもの思いを込めて何の心配もいらない事を伝えようとしています。

 しかしこのやり取りに、大納言の北の方だけではなく、長男の越前守も本音は面白くありません。これでは長男の自分が不甲斐ないと言われているようなものですから。

 それに自分たち家族の命運が、これでいよいよこの女君と大将に握られてしまう。人の心の頼りなさはこれまでに味わい尽くした一家です。もしも女君の気が変わられたらと、心細くもあるのでしょう。


 ****


 ついに大納言は参内して七日目に、お亡くなりになりました。十一月の事でした。亡くなった事をそれほど惜しむ年齢でもなく、老いた者がこの世を離れる事は道理とは思いながらも、大納言の子供たちが女君も男君も集って、その死を惜しんで泣いていらっしゃる御様子は、大変悲しげに見えました。


 大将は若君達に付き添われて、三条邸にいらっしゃいます。日々大納言邸においでになり、穢れに触れぬように戸外に立ち、大納言の死に涙し、かつ、後の葬儀のための御指図なども自らが邸に入ってなさろうとしました。しかし、大将の父である右大臣が、


「新たな帝が御即位してまだ間がない。長々と休暇をとるのは大変不都合だろう」


 と切におっしゃいます。女君も、


「幼い子供たちをここに迎えるのは、喪に服するというのに憚られることです。かといって、三条邸におきとどめて、殿さえいらっしゃらないとなると、子どもたちの事が気にかかってなりません。こちらにお籠りにはならないでください」とおっしゃいました。


 大将は自分の邸でなれぬ一人暮らしをして、ぼんやりしながら若君達を遊ばせながらも、心寂しく思われています。亡くなった大納言の事も、こんなに早くに亡くなられてしまった事を見ても、よく、自分達の思うような孝養を急いでしておいてよかったと思われていました。


 故大納言邸では葬送の日を御近親者の忌日の無い日として、亡くなられてから三日目と言う事になりました。大将殿がお送りになると言うので、四位、五位の人たちが、大変多く歩いて続いています。人々はそれを見て、


「本当に大納言殿がおっしゃっていた通り、亡くなった後の幸せはこの上ない事だ」


 と、言い合っていました。


 ****


 とうとう大納言が亡くなりました。女君はもちろん、身内の家族は皆悲しみにくれています。

 いくら当時の感覚からは途方もなく長生きだったと言っても、長く自分達の身近にいた人物がこの世を去ったのですから、その悲しみは普通の年齢で亡くなった人と違いがあるはずなどありません。色々あったこの家族ですが、失った家族の命を惜しむ気持は他の人と変わりは無いことでしょう。


 当時、「死」と言う物は「穢れ」としても扱われましたから、新たに即位されたばかりの帝の近くでお仕えしていた大将は、右大臣に注意され、女君にも子どもたちを見ていて欲しいと頼まれてしまい、他の家族と共に喪に服す事が出来ず、さらには穢れに触れぬようにと建物の中にも入れずにいます。それでも毎日大納言邸に通っては、屋外に立ったままの姿で大納言の死を悼んでいました。これが大将に出来る故人への精いっぱいの誠意なのでしょう。


 それでも自分の邸に帰ると、女君がいない寂しさもあって、子どもたちを遊ばせながらも色々と、物思いにふけってしまうようです。

 大納言は大将が思っていたより早く亡くなったようです。それでも「生きているうちに孝行を」と言う願いがかなえられて良かったと、感慨深く思っています。


 現在では亡くなった人を見送る葬送は、友引きなどが避けられていますが、この頃は近親者の忌日を避けるのが習わしでした。以前、女君が「落窪の君」と呼ばれていた頃に、典薬助が女君と強引に結婚しようとした時は、あこぎがとっさに「忌日ですので」と嘘を言って、危うい所を逃れていましたね。こういう時の「忌日」は、時として女性の「月の物の日」を暗示させたりもするのですが、この場合は純粋に「誰かの命日」に行事ごとを行う事を憚る事を意味します。それが今回の場合は参列する近親者すべてのの忌日に当たらない日が、大納言が亡くなって三日目だったということです。


 葬送のお見送りには大将も参列する事が出来ました。大将が見送ると言うので、その大将に好感をもたれたいと思う四位、五位の人たちが、こぞって葬送の列に加わったようです。弔事ですから派手な事は無いのでしょうが、大勢の人々が連なって、大変立派な葬送の列になったのでしょう。本人たちは懸命に「生きているうちに」とさまざまな行事などを行っていましたが、周りはそんな事には気に掛けず「亡くなった後の幸せ」を褒め称えているのは皮肉なことですね。



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