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82.「帯刀」任地へ

 そうしているうち、右大臣が、


「年老いて来てしまったので近衛府大将の職を司っている事が堪えられなくなってしまった。この職は若く、華やかな若い男にこそ、相応しいものだ」


 そうおっしゃると兼任されていた大将を大納言に譲られました。今や右大臣の御心のままになる世の中ですので、誰も妨げるようなことはありません。大納言は大将の職を兼任なさることによって、一層この上なく華やかに時めかれます。舅の老中納言はいよいよ嬉しい事と、御喜びになりました。


 それほどの大ごとではないけれど、老中納言が身体の具合が悪くて起きたり伏せったりを繰り返すようになっていると女君がお聞きになられました。


「法華八講の時はあんなにも喜んでいらしたのだから、今少し親孝行をさせていただきたいわ。もうしばらくはこの世に居ていただけますように」


 と、神仏に念じられます。


 その老中納言が今年七十歳になられると聞いて、大将(大納言)は、


「人生の行く先がまだ長く、またの機会があると思われるような人ならばのんびりともしていられようが、世間は又かと思われるだろうが、中納言殿に七十の賀をして差し上げよう。私は中納言に功労すると決めたのだから、ここは自分の思いを遂げなくては。仕返しする時はあまたのことをしておきながら、嬉しく思っていただけることは法華八講の一度だけで終わってしまっては、親孝行のかいも全くないというものだろう。亡くなってしまってから色々したとしても、そんなもの誰が見てほめそやしたり、嬉しいと思ったりするものか。今回限りの事なのだ。私の力の及ぶ限りのことをして差し上げなくては」と思われてご準備なさいます。


 国々の国守達も、ただ、大将のお心に添うようにとお仕えしていて、「いかがでしょう、いかがでしょう」と、皆が御役に立ちたいと思っているので、七十の賀のための品を一つづつとおっしゃって、とてもよどみなく参列する人々のための準備も割り当てられていきました。


 ****


 右大臣も相応に年齢が上がってきたようです。兼任だったとはいえ、どんな華やかな御席でも帝のおそば近くの、もっとも華やいだ場所で直接帝をお守りする、近衛の大将の座は、華のある大変晴れやかな地位でした。けれどもそこは兵です。身体がついて行かなければとてもこなす事は出来ません。法華八講の時も脚気を病んで出席できないと言っていた右大臣には、もう限界が来たようです。その地位を息子の大納言に譲ることにしました。


 華やかで、人もうらやむような地位を、自分の息子にポンと譲ってしまう。普通だったらとても通用しない事なのでしょうけれど、この人は娘が皇太后、孫が帝と、次の帝の東宮です。長く右大臣の地位も務めているので、もう、怖い物などありません。誰も文句などつける事ができないようです。このお話の中の世の中は、この一族が独裁したも同然になっているようです。まさに世の中思うがまま。怖いような気もしますが、婿がさらなる出世をしたので老中納言はとても喜んでいるようです。


 でも、その老中納言も老いから体が弱って来ているようです。それほど寿命に余裕はないだろうと考えた大将は、生きているうちにさらなる孝行を尽くしたいと、法華八講に引き続き、七十の賀を催す事にしました。仕返しの気が済んだら思う存分、孝行をと、言っていただけのことはあります。あれだけの御八講を開いても、まだ足りないようです。


 世の天下を牛耳る一族の長男が開く催し物に、準備を打診された国司たちも、後れを取るものかと躍起になって準備に参加したのでしょう。準備はよどみなく行われているようです。

 これほどの権力を手にした一族なのですから、好かれたいのはもちろん、間違っても嫌われたりしたくなど無いでしょうから、個人の催し物の枠を超えて、皆必死なんでしょうね。


 ****


 その頃、衛門尉えもんのじょう(かつての帯刀)は、五位の位に叙せられ、三河守みかわのかみになったために、衛門あこぎをたった七日間、いとまをいただいて衛門尉(帯刀)が連れて任国に下るだけにもかかわらず、女君は衛門あこぎに、旅の道具や、白銀のかなまり一揃い、化粧道具をはじめとして、とても細かいものまで用意をしてお下しになりました。


 その三河守(帯刀)のもとにも、大将より、


「中納言の七十の賀の準備をしているので、絹を少し送って欲しい」


 と、使いの者を遣わしたので、急いで三河守(帯刀)は絹を百疋(百反)、妻の衛門あこぎは、女君のもとに茜色に染めた絹を二十疋お贈りしました。


 舞を舞う童達のことなども父親などを呼び寄せてお命じになります。調度品なども色々そろえられるので、黄金がたくさん必要になりました。

 大将の父上の右大臣は、


「どうしてこうも頻繁に盛大な事をするのか」とおっしゃいますが、大将は、


「事によっては中納言殿は、そう、長く生きられないかもしれません」とお答えします。


「では、中納言殿が生きていらっしゃるうちに喜んでいただきなさい。私が預かっている二郎君(大将と女君の次男。老中納言の孫)がすべきことは、力少なくとも私が協力しよう」


 とおっしゃって、大将と共に心を合わせ、準備します。右大臣がそうなさったのは、とても愛しく、かわいがっておられた大将が熱心になさっているからなのでした。


 ****


 久しぶりに「あこぎ」と「帯刀」の消息が知れました。名脇役と言えども、やはり脇役。お話も終わりに近づくとこの二人の出番は無くなってしまうんですね。

「帯刀」は出番がない内にしっかり出世して「良い国に当たると裕福になれる」と言う、国司に任命されていました。三河の国は上国で豊かな国です。これで「帯刀」の羽振りも良くなることでしょう。


 でも、女君付きで、侍女たちの長でもある「あこぎ」とは離れ離れの単身赴任になるんですね。夫が任地に下ると、妻(特に正妻)もついて行く事を望む人も多かったようですが、あの「あこぎ」のことですから、女君を置いて夫に付き添うなんて事は考えなかったことでしょう。それでも任地の生活に心配があるのか、せめてもの見送りなのか、七日間だけお休みをもらって、任地を見に行くことになりました。


 ところが送りだす女君の方が心配症で、旅の道具一式や、化粧道具などこまごまとしたものをどっさりと用意してしまいました。かなまりと言うのは金属製のお椀のことです。旅に豪華な白銀で作られたお椀を一そろい持たせてしまう。女君はどんな旅じたくを「あこぎ」に持たせたのでしょうか?

 旅の経験のない女君ですから、仕方がないのでしょうけど、旅先に多すぎる荷物は有難迷惑だったんじゃないでしょうか?

 感謝しながらも困惑して苦笑いを浮かべる「あこぎ」の顔が目に浮かぶようです。


 その任地に着くと、今度は「七十の賀に使う絹を少し送って欲しい」と、大将からの使者が使わされてきました。まだ「あこぎ」も任地に居る時だったようで、「帯刀」とは別に「あこぎ」も女君あてに絹を贈りました。ただ、こういう世界では「少し」の表現に随分落差がありますね。「帯刀」は絹を百反が少しと言う事のようです。「あこぎ」も控えているとはいえ、美しく染めた絹を二十反が少しなんですね……。


 大きな催し物から間のない内に次の準備をする大将に、右大臣が一声かけてきました。大将は『事はあれば』と少し婉曲な言い回しで、老中納言にあまり時間が残されていないことを伝えます。こういう言い方をするという事は単に年老いているだけではなく、本人や周りには伏せてあっても、何らかの重大な病気でも患っていたのかもしれません。

 女君にとってもたった一人の実の親に孝行できる僅かな日々。時間との競争の中、思い切って続けざまに大きな催しを大将は開こうとしているようです。



大将の職務を動けなくなるまで行うなんて、と思われるかもしれませんが、これは帝にたいする警護の認識の違いです。


帝というのは人の姿をした神様のような存在ですから、誰も神様を襲ったり、狼藉を働こうなんて罰当りな事は考えないと言う事になっていました。

ですから警護というのも現実的な暴漢から帝の身を守る訳ではなく、兵や武士という特殊な剛力や技術を持った人間に宿った、霊力を使って穢れや災いから帝を守るという考え方をしました。


現実に内裏の中に泥棒が入ったり、出くわした女官が襲われかけた事があったようなのですが、警備の人がその場に駆けつけた記録はないのだそうです。

すでに貴族たちが緩んだ状態にあったと言う事なんでしょうが、他に「内裏は聖域」「帝は神」という考えが根底にあった事も影響しているのでしょう。


当時は本当に帝とは特別な存在で、人間の域を超えた人だったんですね。

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