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8.石山詣で

 少将が想いを募らせ「帯刀」が困り果てている頃、中納言家では旅行の準備が始まりました。

 中納言が昔かけた願が叶ったお礼の為に、石山のお寺に詣でることとなったからです。

 お供について行きたいという者は皆連れて行くという事で、普段邸から出たがらないような年寄りの女性までが邸に留まっては恥だと思い、お供をしたがりました。ですから邸に残る人が居なくなるのではないかと思うほどの、大人数になってしまいました。


 ****


 旅行。交通手段が発達した今では、個人でも楽しむ事が出来るレジャーですが、当時は遠出をするという事は大変な事でした。乗り物が少ないですから、庶民が歩くのはもちろんですが、身分のある貴人たちも馬や牛車、舟くらいしか移動する手立てはありません。


 しかもこの牛車が曲者で、今の自動車は勿論、沢山の人や物を急ぎ運んだ馬車などと一緒には出来ません。牛歩という言葉があるくらいに牛の歩みは遅いのです。

 牛車の役割は人を早く移動させることではありません。身分のある人が庶民に姿を見せ、地面に足をつけるというような、品のないことをしないためのものです。


 もっと高貴な方々になると、牛車どころか大勢の人が担いで支える輿に乗ります。お祭りで担ぐ、あの御神輿と同じです。あれは中に神様が乗っていますが、本当に位がとても高い方々は神様も同然に考えられていたので、外出するときは輿を使ったのです。

 そこまでの身分ではない貴族たちは輿など使えませんから、代わりに牛車を使いました。ですから牛車で旅行するというのは大変に時間のかかる事でした。歩いて移動するのと同じです。むしろ通れる場所が限られますから、もっと時間がかかったことでしょう。

 

 旅行と言っても身分のある人の旅は、ただの旅にはとどまりません。ここでも権勢を誇示する必要があります。

 美しく豪華な牛車を何台も連ねて、大勢の人々を伴って行列を作ります。その人々にもそれぞれに晴れ着を着せ、美しさと豪華さを見せつけます。

 女性は姿を見せる事は出来ませんが、車の隙間から自分たちの着ている晴れ着の裾を見せて、どんな豪華な衣装を身にまとっているか知らせるのです。


 でも、そんな豪華な行列を作れば、当然危険も付きまといます。宝の山を見せびらかして歩くのと同じことをするんですから。

 そうなると行列を守る人々が必要になります。それなりに武器も持たせます。そういう人たちにも立派な衣装を用意し、武器の見た目にもこだわります。それがまた一層行列をいかめしく、豪華に見せるのです。それを見せつける事も旅の目的の一つなのです。

 そこまでして出かけるのですから、日帰りなんてありえません。当然、二日、三日かけての泊り旅です。お寺の方でもちゃんと大勢の人を泊める準備をしています。


 そういう旅行をする事はその家の主も名誉なことなのでしょうが、その供を許される人たちにとっても、大変な喜びでした。邸勤めの女性というのは邸の奥まった所に住む女主人達に仕え、そばから離れずに暮らすので、殆んど屋根の下から出る機会が無い生活を送っていました。

 女の身で危険を伴う旅行など、そう簡単に出来るものではありません。安全な旅行というのは生涯のうち何度もないような一大イベントだったのです。分別ある年寄り女までもがついて行きたがったというのも当然のことでしょう。お邸が空になるというのも、大袈裟なことではなかったでしょうね。


 ****


 ところが、北の方は「落窪姫」を連れていく気はありませんでした。召し使われている人々でさえ皆出かけるというのに。これには姫に同情した中の君(二の姫)が、


「落窪の君もお連れになりませんか。一人だけお残りになるのでは可哀想ですわ」

 と北の方に言ってみたけれど、


「旅に縫物がある訳じゃないし。連れて行って余計な癖をつける事はないわ。あれは黙って部屋にこもっていればいいんです」 と、聞き入れてはくれませんでした。


「落窪姫」を連れていく気のない北の方でしたが、見栄えのいい「あこぎ」はこれ以上見た事が無いようなくらい着飾らせて、三の姫のお付きとして供をさせるつもりでした。

 でも「あこぎ」は「落窪姫」を置いて出かけることが耐えられません。そこで、


「申し訳ありませんが、月の物が来てしまいましたので、お供出来ません」といいました。

 

「嘘をおっしゃい。あの落窪を一人にしたくなくて、そんな事を言っているんでしょう」

 北の方は疑いました。


「そんな事はありません。穢れた身でもかまわないとおっしゃって下さるなら私もお供したいです。だって、こんな楽しくて晴れがましい旅行に行きたくない人なんて、いるはずがないでしょう。年寄りでさえ行きたがるのに」


「あこぎ」がそう羨ましそうに言うと、それもそうだと北の方も納得して「あこぎ」に着せるはずだった衣装を下仕えの童に着せて、邸に残る事を許しました。


 ****


 当時はそういう時は身が穢れた時なので、神仏の前にお参りする事は出来ませんでした。そして、神仏をとても崇め奉り、その考えをとても大切にしていました。

 その頃は陰陽道おんみょうどうが大流行で、その占いが生活のすべてを決めていました。今日はこの方向にいてはよくないから、こっちに移動する。ウチのある場所がよくないから、人の家にお邪魔をする。あれをしてはいけない、これをしなければいけない、占いを守らなければ、必ずよくないことが起こる。そんな事をいちいち気にして暮らすのが普通だったんです。


 今だったらノイローゼになりそうですね。この頃のお話には本当にノイローゼのような症状になっている人が描かれたりしていますし。そのくらい真剣に人目を気にしたり、占いを守ったりして暮らしていたんです。

 ですから穢れた身でお参りに行くなんて体裁の悪いバチあたりなこと、北の方も出来なかったんです。


「落窪姫」が、着るものにも事欠く、と言っていたとおり、姫は寒い京都の秋を迎えても古いボロボロの衣一枚しか身につけていません。部屋に暖を取る炭火もないようです。そんな中で凍えながら寝る間も惜しんで針仕事をさせられているのです。これはもう、虐待です。

 幸い父親の中納言が「古着でいいから着せてやれ」と言ったので綿の入った古い衣をもらえましたが、こんな環境で日々虐げられているのですから、姫もノイローゼに近いものがあるのでしょう。

 そんな風に自分の意思を奪われた姫を、「あこぎ」は心配で残しておけないのです。


 でも、こうして邸の中が空も同然になったことで物語は動きます。ここからは「あこぎ」と「帯刀」が大活躍です。

「あこぎ」は自分が「落窪姫」から離されて、三の姫に仕えさせられている事を嘆きましたが、この後それは幸いします。


「落窪姫」は北の方に虐待されてすっかり委縮し、自分の意思を失いかけています。もし「あこぎ」までもが一緒になって姫の部屋に閉じこもっていたら、お話は動きませんでした。

「あこぎ」が三の姫に仕えていた事で、お姫様の世話は本来どんなふうにするのか、外との連絡はどのようにとるのか、姫に求婚者が現れた時はどう取り計らえばいいのか。そう言う事を「あこぎ」は三の姫の傍で学んだことでしょう。


 そして何より、彼女は自分の夫「帯刀」と出会いました。彼女がどんなに機転の利く少女でも夫と出会い、少将に姫の事を知らせられなければこのお話は成り立ちませんでした。

 この二人の出会いとその後の活躍が、この物語を支えているのです。



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