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78.北の方の謝罪

 七月中は宮中の行事が多くあるので、とても忙しく過ぎて行きます。大納言は暇がない中でも老中納言のための法華八講の準備の手を緩めることはありませんでした。日にちも八月二十一日に決定し、三条の邸にて催そうかとも思いましたが老中納言の北の方や女君の御姉妹の方々がお渡りになりにくいだろうと思われて、老中納言の邸に御自分が出向いて行かれることになりました。


 そこで、老中納言の邸を美しく修理させ、庭には砂も敷かせ、新しく御簾や畳も用意させました。老中納言の中の君(二女)の夫、左少弁や、越前守なども皆、大納言の家司を兼ねているので、そのまま担当する責任者として御八講を執り行わせます。


 御八講のために寝殿を片付け、飾り直して大納言殿の北の方(女君)の局を寝殿から北の廂にかけて設けます。老中納言の北の方や女君の御姉妹の方々の局は、塗籠ぬりこめの西の端に用意しました。大納言は、


「明日、御八講を始める」


 とおっしゃって、夜の内に老中納言邸に女君とお渡りになったのですが、その時、


「中納言邸は三条の邸よりは狭いだろうから、侍女達は共に渡らずに、中納言邸まで八講を聞きに通って参るように」


 と言い、侍女たちを三条邸に残されて、六、七輌の車で御移りになられました。


 ****


 七月は、七夕、相撲の節会、盂蘭盆うらぼんと公式の行事の多い月です。しかもこの時は天皇の御世代わりがありましたから、新帝のための即位式などもあったはずで、官職につく貴族たちには忙しい月でした。七夕は織り姫の名前にあやかり、機織りや裁縫はもちろんのこと、音楽、書道などの芸事が上達するようにと願いを込めて行われ、七日の夜に祭壇を設け、薬玉くすだまを飾り、灯火を灯し、供え物をしたうえで願いを込めた七夕歌を短冊に書いて手向けました。相撲の節会はその名の通り、相撲を神事として奉納するためにおこないます。何故相撲が神事かというと、相撲による勝敗は神様が決めた占いだから。相撲の勝ち負けは神様のお言葉のような物なんです。盂蘭盆は今も「お盆」として死者の霊を弔うために行われていますね。


 こうした数々の行事が立て込む中でも、大納言は老中納言のための御八講の準備を、着々と進めていたようです。何でも派手にしたいこの人ですから、本当は広くて立派な三条の邸で執り行いたかったようですが、これはあくまでも老中納言のための法会です。肝心の老中納言に身近な人々が、落ち着いて参加できなければ意味がありません。


 老中納言には北の方だけではなく、沢山の姫君、女君がいるわけですから、その辺に配慮をして老中納言の邸でおこなう事になりました。けれどもそこは派手好きな大納言です。邸を綺麗に修理させ、簾や薄縁などの装飾品もすべて新しい物を用意して、豪華に飾り立てたのでしょう。庭には砂までまいて見栄えを良くしたようです。


 それでも三条にいる侍女たちを泊らせるほどの広さはさすがに無いので、侍女は三条の邸から四日間、毎日老中納言の邸に通わせる事にしました。逆に考えれば、それほど三条の邸と言うのは広くて豪華なのでしょう。老中納言が固執しただけの事はあります。でも、そこからまた、大納言が与えた華やかな装束を着た選りすぐりの侍女達が、美しく衣の裾を出だし車からこぼしながら、優雅に車を連ねて毎日通うのですから、むしろ人々の目に留まって話題をさらった事でしょうね。 


 ****


 このたびは女君も老中納言の北の方や、御姉妹の方々と御対面なさいました。女君は濃い色の綾織りの袿と、女郎花襲おみなえしがさねの細長をお召しになっています。色と言い、衣と言い、とても素晴らしいので、昔、女君が縫物の褒美に貰った、着古された張綿の衣を身に付けていた事を、思い出す人もいることでしょう。


 女君は三の姫、四の姫と、御八講の御準備の最中に昔話などをなさいます。

 昔、この邸で「落窪の君」と呼ばれていた頃も、身をやつれたりすることもなく、御美しい方だと思って見ていましたが、今では大納言殿の北の方として大変立派になられたので、その御様子もまれなる気品にあふれていました。一緒にいる御姉妹方の来ている衣までが、こよなく劣って見えてしまいます。これではどうすることもできないと、老中納言の北の方も思われて、女君とお話をなさいます。


「あなたがまだ幼くして、私のもとに、おいでになったものですから、私もあなたを我が子のように思い、接しようとしたのですが、私の性格が短気ですぐに腹を立てやすいものですから、思いやりの無い物の言い方をしてしまう事もあって、そのような事をもしかして、不愉快な態度だと御覧になられていたのかと思うと、この上なくお可哀そうな事をしたものだと思っています」


 これを聞いた女君は、心の中で少しおかしな事と思いながらも、


「何でしょう。そのように不愉快に思った事などありませんわ。何も御恨みしたことなどありません。ただ、どうやってわたくしを育てていただいた感謝の気持ちを、思うようにお伝えできるのかと、心に引っかかっておりましたの」とおっしゃるので、老中納言の北の方も、


「今の言葉を聞き、嬉しく思います。私の所には大した事の無い人ばかりが多くいると、世間で言われてしまっているところなので、あなたがこのようにご立派になられたことを、家の誰もかれもが喜んでいるのですよ」と、申し上げました。

 

 **** 


 ついにあの北の方と女君が御対面しました。やはり北の方が女君に「たいして顔も美しくない」と、日々言い続けていたのは、女君がどれほどボロを着せて、いじめ貶めても、身がやつれることもなく、美しさに変わりがないために、嫉妬と我が子と比べられることを恐れての事だったようです。あの頃でさえも美しいと思って見ていた女君は、最高の身分の方々の一族となって、立派な身なりをすると、自分の娘たちの着ている物まで見劣りするほどその差は歴然としてしまいました。


 北の方は心の内の悔しさを呑みこんで、とうとう女君に謝罪の言葉を述べました。ただ、この人の短気や腹立ちは「女君には極端に激しくなる、独特の性格」と言う事になりそうな謝り方ですけど。しかもやった事は「思いやりがない言い方」とか「不愉快な態度」を超えているとは思いますけど。 


 でも女君も「少しおかしなこと」と思いながらも、そんな事は一言も漏らさずに、育ててもらった感謝を伝えられなかった事が気にかかっていた、恨みなど無かったと言って北の方を許しています。さすがの女君も北の方のしたことをすべて気にしていなかったという事は無かったでしょう。


 特に、北の方が典薬助をそそのかしている時は、この、人のいい女君が唯一『たぐひなく憎し』と、このお話でたった一度だけ人を憎んでいます。この長いお話の中で女君が人を憎いと思った事は他にありません。それだけにここでの『少しをかしく思ふ』と言うのは実に印象的。本当にこの人は自分の中にある優しさや善の心を大切に生きようとしているんだと実感できます。


 一見、ただただ優しいだけで、人としての感情が表に見えにくい印象の女君ですが、こういう所で彼女なりに苦悩の涙をのみ込んだり、自分の理想の心のために、苦悩を受け入れ、堪える強さがとても強い人なのだと分かります。と、同時に、感情を押し殺すのがうまくなってしまったこの人の心を想うと、悲しい物も見えてしまうのです。

 


相撲の他にも、賭弓のりゆみや、競馬くらべうま等も神事として奉納されていました。やはり勝敗によっての占いを行う行事だったようです。下賀茂神社では流鏑馬神事が今でも行われています。

勿論日ごろの鍛錬を競う発表の場でもあったんでしょうけど、当時は勝敗によって神様にお伺いを立てていたんですね。

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