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76.親交

 老中納言が書いたお返事は、


「昨日はそのままいようとは思ったのですが、日が悪く、片塞がりになって帰れなくなってしまうので、仕方なく失礼しました。けれどこれからは明け暮れにもお伺いすることができるようになりましたので、寿命が延びるような気持です。さて、私に届けて下された地券ですが、『とてもお受け取り出来ません』と言って置いてまいりましたのに、なお、こうしてお届け下さるというのは、まだ許して下さってはいないのではないかと思ってしまい、恐縮するばかりです。いただいた帯も出仕もままならぬ翁の身には、「闇夜」に身に付けて歩くようなもので、何も役立てる事ができないもったいない品ですので、お返しするつもりではおりますが、せっかくの御志を無にするのも申し訳ありませんので、しばらくしてからお返ししようと思います」とお書きになりました。


 四の姫の女君への御返事は、


「長年『杉のしるし』ともいうように、目印になる杉の木も無いように尋ねる宛ても見つからないまま過ごしてしまいました。それでもわたくしの事を気にかけて下さって、とても、とても、嬉しく思っております。ただ、わたくしが憶えていないと思いこまれていた事は、悲しく感じております。


  うち捨てて別れし人をそことだに

    知らで惑ひし恋はまされり


(あなたに見捨てられてお別れしてしまいましたが、そちらにおられることも知らずに途方に暮れていた私こそ、あなた以上に恋しく思っておりました)」と、書かれました。


 ****


 老中納言、平身低頭の御返事を衛門督に書いています。「片塞がり」と言うのは「方違え」の一種で「日が暮れてそのままそこに泊ると、帰る方角が悪い日だったので、邸に戻れなくなって御迷惑をかけると思い、仕方なく日暮れ前に帰ることにした」と、お詫びを言っています。きっと帰ろうとした時に相当衛門督に引き留められたのでしょう。好意は受けたかったが、そういう事情で帰らなくてはならなかったと説明をしています。


 届けられた地券も「もともとこっちに非があった事だから、申し訳なく思って置いてきたのに、こうやってさらに届けられると、御好意と言うよりも、こちらの謝罪の気持ちが伝わっていないのではないか? 心の底では恨みが晴れていないのではないか? と、緊張する」と言ったところでしょう。帯も出仕もできない老人が邸で使うような品物ではないようで、すっかり気後れしながら「一応手元に置いてお気持ちだけ頂き、後でお返しします」と、相手の顔を潰さないように、注意を払いながら返事をしています。


 これまでに女君にして来たことを、あれだけつらつらと言い連ねられたんです。本当に恨まれていないか、まだまだ心配しているのが良く分かりますね。ちょっと調子に乗る先から、しっかりと皮肉まで言われながら孫たちと対面してきたのですから。


 四の姫から女君への御返事にある「杉のしるし」は、古今集からの引歌です。元の歌が「杉で立てた門を目印に尋ねて下さい」と言う意味なので「探し当てる目印が無かったので、あなたを見つける事が出来ませんでした。けれどこうして私宛にお手紙を下さったのは、私を覚えていてくれたからですね?」と、文をもらった事への感謝を述べているんです。


 そして女君の「慎まざるを得なかっただけで、恋しく思っていました」と言う御歌のお返しとして、「私も知らなかっただけで、恋しく思っていたんです」と返事をしました。四の姫も結婚相手をすり替えられた衛門督には複雑な思いがあるのでしょうが、女君自身には申し訳なかったと思っているのでしょうね。


 ****


 それから後は、衛門督は心をこめて老中納言をこの上なくお世話なさるようになりました。老中納言殿もそれは頻繁に衛門督のもとを訪ねられます。越前守や大夫は衛門督のお気持ちを思うと恥ずかしいのですが、今を時めく方の所ですので、恥ずかしい気持ちを切り捨てて参上し、お仕えします。


 それを女君はとても喜んで、ぜひとも老中納言家の方々のお力になりたいと思っていましたが、中でも大夫を御自分のお子様のように思っておいでのようです。越前守にも、


「どうでしょう。今は北の方や御姉妹の方々にもお目にかかりたいわ。こちらにもお越しくださいね。実の母君を幼い時に亡くしているものですから、それからは北の方を母上と思い親しんでまいりましたの。どうやって親孝行したらよろしいのかしら。長年、母上は私を疎ましく思っておられたでしょう。わたくしも実の姫君達と、同じように母上を慕っているとお伝えください」


 とおっしゃいます。


 越前守は老中納言邸に戻って、


「衛門督の北の方は、このようにおっしゃっておりました。私の事もこの上なく気にかけて下さっています」と、その言葉をお伝えすると北の方は、


「あの子も大変裕福になったので、そんな風に思っているんだろう。私も随分落ちぶれたものだ。私がいじめた事を恨んでいたなら、私の子供たちの事も良くは思っていないはずだから、衛門督殿の方が私達を恨んでいたのだろう。縫物を言いつけていたあの夜に、布を引っ張っていたのは、本当にこの衛門督殿だった。あの子は私達への恨みは無いのだろう」


 そう思うと北の方の心も弱まって、少しずつ文通なども始めて、女君とも親しくなっていきました。


 ****


 老中納言は喜んで衛門督の所を訪ねているようです。衛門督の方もこれまでの仕返し三昧のお詫びに、愛する人の父親として、丁寧にお世話をしているのでしょう。手紙に書いていた気後れもようやく無くなって、頻繁に通っているようです。

 越前守と大夫はそこまで割り切る事がまだできずにいるようですが、権勢を誇る衛門督に呼ばれているのに、お断りするなんてとてもできないのでしょう。恥を忍んで老中納言につき従って共に通っているようです。


 気まずいながら通っている二人ですが女君はようやく始まった身内としての親しい親交をとても喜んでいます。特にあの時、幼いながらも女君に協力してくれた大夫(三郎君)など、我が子も同然の気持ちを持っているというのですから、やはりその時の事への感謝の気持ちが消えずにいるんでしょうね。大夫には一層気まずそうですけど。


 北の方もようやく女君に恨み心がない事に気がついたようです。それでも、女君が今幸せだからそう言えるのであって、逆にそんな風に同情心を持たれるようになるなんて、自分の立場も落ちたものだと悔しい気持ちも持っているようです。そもそもこの人は女君への嫉妬心がありますから、他の人たちのように素直にはなれないようです。それでも強情に気を張ることもできなくなって、文通ぐらいは出来るようになってきたようです。北の方はともかく、女君は喜んでいることでしょう。



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