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74.和解の盃

 父、中納言がご覧になると、女君はとても美しく、気高く立派に成長なさっていました。真っ白で美しそうな綾の単衣襲ひとえがさねに二藍の織物の袿をお召しになって座っていらっしゃいます。この姿を見て老中納言は、今までこの人より良いと思ってきた北の方の娘たちよりもこの女君の方がずっと立派で美しいので、


「これほど美しい子を私はどうして落窪の間に押し込めたりしていたのだろう。この子はその事をどんなふうに思っていた事か」と考えると恥ずかしく思い、こう言いました。


「私を薄情な父と思って、今まで無事を知らせてくれなかったのですね。それでもこうして会う事が出来て、私はつかえが取れてこの上なく心を伸ばす事が出来ました。会う事が出来て嬉しく思っています」


 すると女君も、


「わたくしは父上が薄情だなんて、まったく思った事はございません。ただ、衛門督殿は北の方がわたくしを叱っている所をたまたまいらして聞いてしまっていたので、余計、御恨みになってしまわれたのですわ。ですから『しばらくは消息を知らせるな』と言われてしまい、慎んでいたのでございます。私も心の中では、自分が知らなかった事とは言え、こんなご様子をご覧になって、父上にどのように思われている事かと、この上なく心配していたのでございます」


 とおっしゃいました。老中納言も、


「その折には『ひどい恥をかかされる物だ。どうしてこうも一途に思い込まれて、こんなことをなさるのだろうか』と思っていましたが、今日の話を聞いて、あなたを粗末に扱ってきた事を、衛門督殿がお咎めになっていらっしゃったのだと納得する事が出来ましたので、むしろ、大変嬉しく思っています」とほほ笑みます。女君もとても嬉しくて、


「そう言っていただけるなんて、あり難いことですわ」


 などと話しているうちに、衛門督がとても可愛らしい男君を抱いて、


「さあ、御覧ください、心の良い、とても愛らしい子ですよ。『この子なら絶対、あの北の方でさえもお憎みにならない』と、この女君が思っておいでの子です」


 と冗談をおっしゃられるので、女君は「また、けしからぬことをおっしゃって……」と、いたたまれない気持ちになります。


 それでも老中納言がこの男君を見ると、老いた心にもただただ、とても愛しく、可愛らしく思えるばかりで、笑顔を振りまきながら「こっちへ、こっちへ」とおっしゃります。男君もそんな翁を怖がりもせずに首にしがみついて抱きつくので、


「本当に。これではどんな鬼のような心を持った人であろうと、憎む事などできますまい」


 と言って、


「とてもとても、大きくていらっしゃる。おいくつでしょう」とお尋ねになるので、


「三つになります」と、衛門督がお答えします。


「他にお子様はいますか」


「この子の弟は右大臣に育てていただいております。他に女の子もいますが、今日は慎む事がございますので、いずれお目にかけましょう」


 衛門督はそうおっしゃると、お食事を差し上げ、お供の人々にも、わざわざ用意したというものではありませんが、牛飼いにいたるまで、見た目にも良い物を振舞われていました。さらには、


衛門あこぎ、少納言、その越前守を呼びいれて酔わせよ」


 とおっしゃられるので、衛門が台盤所だいばんどころの方に呼びいれるにつけても、越前守はとても恥ずかしいとは思いましたが、私自身は何もひどい事はしていないのだからと思い直して、中に入られました。


 ****


 老中納言も今はすっかり反省したようです。なぜこれほど他の子と比べても優秀な子を、他より劣っていると思い込んだのだろうかと、女君を見て恥入っています。

 きっとこの時まで女君の事を、きちんと見た事もなかったのでしょう。老中納言は我が子の顔や姿もろくに見ずに、北の方の顔色だけ窺って差別していたんでしょうね。

 つまりそれほど我が子への関心が元々薄いのでしょう。これでは北の方が女君の血筋を恐れて、わざと自分の子たちよりも劣っている事にしたがった筈です。


 この父親の薄情さでは、女君の評判がよくなったり、立派な婿でも取ろうものなら他の子供たちへの愛情や関心など、欠片も無くなったことでしょうから。父親がこれほどドライで無関心では、北の方の焦りも相当なものだったと思えます。そうするうちに虐待がエスカレートしたんでしょうね。反省したとはいえ、老中納言はそこに気付いているのかどうか。


 女君の思いがけなかったほどの優しい態度にすっかり安心してしまって、女君が衛門督の妻になっていなければ、本当に捨て置かれてしまっていたであろうことなど少しも考えの及ぶ事もなく、単純に、よかった、良かったと喜んでいるようです。


 けれどそんな老中納言を、衛門督はしっかりとけん制します。老中納言がようやく対面できた娘よりも会いたがった孫の君を連れて来た時に、痛烈な冗談を言っています。「女君がこの子だったらさすがの北の方も憎めないと思っている子」と言って、自分と女君の子を紹介しました。


 逆に取れば「あなたがしっかりして下さらなければ、この子だって北の方に虐待されないとも分からないでしょう? 妻を言い訳にするのはほどほどにして下さい」と言う、嫌みが込められていそうです。女君はいたたまれない思いをしていますが、衛門督はこうやって老中納言が無責任な態度を取らないように、注意しているわけです。決して彼は油断したりはしません。


 それでもやはり女君の大切な父君として、衛門督は老中納言に接します。和解のしるしでしょうか? 食事の席を用意させていたようです。従者たちにも大袈裟に用意したものではないようですが、決して粗末ではない物を牛飼いにまで振舞って、老中納言への敬意を示しているようです。


 ****


 入ってみると台盤所は三間ほどの広さで、美しく薄縁が敷かれており、整えたようにいずれ劣らぬ美女の侍女達が、二十人ほど居並んでいます。侍女達は中納言殿がいらしたときは女君の御前にいたのですが、衛門督が人払いの為に「立て」と言った時に、こちらに集って来て待っていたのでした。


 越前守は色好みの人なので、これを見て「実に楽しい事だ。嬉しい」と思い、侍女たち一人一人に目を向けて見渡しますが、あまりの美女の勢ぞろいに口もきけません。しかも知っている人だけでも五、六人もいます。この人達も老中納言邸から雇い入れたのだと分かります。


 衛門あこぎが、


「衛門督殿が『酔わせて差し上げろ』とおっしゃったのです。青い顔で出て行かれるようでは困ります。若い人たち、越前守殿に盃を差し上げて下さい」


 と言うと、若い侍女達が代わる代わるお酒を注いでは強要しますので、越前守はどうしようもないほど酔ってしまいます。


「衛門の君。助けて下さい。こんな風に人の気も知らないふりでいじめないでください」


 と言いながら逃げようとしますが、とても若くて美しい人たちが、上手く言いくるめながら皆で囲んでしまうので、そこをかき分ける事も出来ずに、酔って苦しくなるあまり、うつ伏せに倒れ伏してしまいます。


 老中納言と衛門督は、互いの杯を幾度も重ねて、酔いながら様々に語り合っていました。


「今は、私にできる事であれば、何でもして差し上げたいと思っていますので、御希望があれば、何でも言って下さると嬉しいです」


 と衛門督がおっしゃるので、老中納言はこの上なく、とても嬉しく思っていました。


 日が暮れ、お帰りになる時に、老中納言への贈り物は、衣箱一対、一方は直衣だけを、もう一方は束帯装束一揃いを入れ、世に名高き帯も添えられました。

 越前守には女の装束一揃えに、綾の単衣襲ひとえがさねを添えて、禄として被け与えられました。


 老中納言は酔ってお帰りになる時、


「今まで長生きしてしまって、辛いことだと思っておりましたが、このような前世からの宿縁があったとは、嬉しく思います」


 などとおっしゃいます。お供の人も多くはなかったので、五位の者には女の装束一襲、六位の者には袴一具、雑色には腰ざしをお与えになりました。

 このお伴の人たちは、老中納言と衛門督は、仲が良くないと思っていたので、贈り物をもらい、どういう事だろうと不思議がっていました。


 ****


 これは、越前守にとっては、天国なのか? 地獄なのか? ビクビクしながら食事の席が設けられた、台盤所に行ってみると、二十人もの美女たちに、酒攻めにされてしまいました。

 知っている人も五、六人いるというのですから、以前は老中納言邸に勤めていて、この人の長所も短所も良く知っている人達が言葉巧みに彼を捕まえて、おだてたり、喜ばせたりしながら、どんどん酒を飲ませて行ったのでしょう。


 しかもこの中にはおそらくあの「侍従の君」もいたのでしょうね。色好みで美女に囲まれれば、ついつい鼻の下が伸びてしまう越前守は、その姿を侍従に見られてしまいながら、どうしようもないほどに酒を強いられてしまい、とうとう衛門あこぎに助けを求めています。


 でも以前、衛門あこぎと少納言は「この人の事を恐ろしいと思って気を使っていたのはいつの事だったかしら」と言っていましたから、昔この人に相当気を使わなければならない立場にいたようなので、そんな必要の無くなった今は、ちょっとしたいたずら心が働いていた事でしょう。越前守は酒を強いられ続けて倒れてしまったようです。今なら急性アルコール中毒になりそうですね。決して真似をしないでくださいね。


 老中納言と衛門督は、和解の盃を和やかに交わし合ったようです。そして衛門督は丁寧に、豪華なお土産まで用意をしていました。さらにはそれなりに位のある従者には勿論、雑色にまで腰ざしと言う、腰に差して持ち帰る巻衣を与えてくれました。

 仲が良くないと思っていた老中納言の従者たちはあまりの待遇の良さに、どうしたことだろうと、首をひねるばかりだったことでしょうね。



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