73.親子の対面
対面は寝殿の母屋の、南の廂の間にておこなわれました。女君は帳台の中に座っていらっしゃいます。衛門督は、
「御前にいる侍女達、北の廂の間に下がりなさい」
とおっしゃって皆を下がらせ、人払いをします。老中納言と差し向かいで対面なさると、
「この家の件でお詫びも申し上げたいところですが、ここにはまだ、人に知って頂けずに嘆いている人もいますので『このついでに、お話したらどうでしょう』と言う事になりました」
とおっしゃいます。勿論女君も帳台の中でお話を聞いていることでしょう。
「中納言殿がこの邸を領有して新たに邸を造らせた事は、少しは道理にかなってはおりますが、地券に書かれている事によりますと、ここにいる人こそ、中納言殿より領有するにふさわしいと思っていました。それほど遠くもない所にもかかわらず、なんの御連絡もなく邸を御移りになられるとは、私を人の数にも入らぬように扱われたと思い、なぜそのように思われたのだろうといたたまれなくて、こうも急に邸を移ったのです。ところがここにいる方は
『中納言殿はここ何年もかけてこの邸を修繕して、ようやくお気に召すようになさったのに、こんな風に妨げるかのようにこちらにわたくしをお移しになるのは、大変不愉快です。やはりここは中納言殿に差し上げて下さい』
と嘆かれるので、
『同じ事なら中納言殿に、ちゃんと領有していただこう。地券を差し上げる事にします』
と言う事になって、御連絡を差し上げたしだいです」と衛門督が申しますと老中納言は、
「大変恐れ多いお言葉です。ここ数年、どうしたわけか邸からいなくなった後、世間の人の噂話にも聞こえず、見つけられませんでしたので、
『これはもう、この世にはいないのだろう。この忠頼(老中納言の名)がもっと歳若き頃なれば、どこかで巡り合う事もあろうかと思えましたが、老い衰えて、今日明日とも知れぬこの私を見捨てて出て行き、影も形も噂に上らないのでは、やはりこの世にはもう、いないのだろう』と、悲しみ嘆いていました。この家の事も、
『あの子が生きていれば領有させただろうが、いなくなった今となっては仕方ないだろう。私が領有するのがいいだろう』と思い、ひどく荒れ果てない内に修繕したのです」
と言って、女君を気にかけなかったわけではなく、この世にいないものと諦めていたために、邸も自分の物にしようとしてしまったのだと説明します。そして、
「こんな風に衛門督殿のもとにいるとは知りませんでした。大変素晴らしいことで、思うように願いがかなったなどと言っても足りないほどです。この事を今までお知らせいただけなかったのは、この忠頼を駄目な親だと思っているのでしょうか。それとも、世間に顔向けできないような者の子と知られたくないと思ってのことなのでしょうか。二つのどちらを疑われても仕方の無い、恥ずかしいことです。地券はとてもいただけません。こちらが何か差し上げたいほどです。年老いても今まで神仏に生かされ続けていた事を不思議にも思っておりましたが、それはこの子の顔を再び見るためだったのでしょう。今はしみじみと心にしみるばかりです」
と言って老中納言は涙を流しています。
その姿を見ると衛門督もさすがに哀れに思えて、
「この人(女君)は、こちらに来てすぐにも『父上はすぐにもお亡くなりななるかも知れません』と言って嘆かれていたのですが、この私、道頼(衛門督の名)の思う所があって『しばらく待って下さい』と制していたのです」
と、女君に悪意の無かったことをお伝えし、さらに、
「実は私は、この人があなたの邸の西の端の部屋に住んでいた時から時々人目を避けて通っていたのですが、そのたびに見ていると、あなたのこの人への御様子も、他のあなたの子供がたと比べると、随分貶めているように思えました。また北の方の御心もひどく情け容赦もなく、邸でお使いになっている人よりも低く扱われ、足げざまに言っているのを耳にしておりました」
と言って、自分が女君の身の上をずっと前から知っていた事を打ち明けました。
「ですから、
『あなたが生きていたと知っても、あの方々は良かったと思ってはくれないでしょう。私が少しは人並みの身になった時に、中納言殿の御世話をするためにも知って頂けばいい』
と言っていたのです。それに私はあなたがこの人を物置部屋に閉じ込めて、典薬助の妻にする事を許したと聞き、大変情けないと思ったので、この人が亡くなったと聞いても『中納言殿は何とも思わないだろう』と思って、この人がこれ以上辛い思いをしないようにと会う事を止めていたのです。この人はそんな風な方ですから、中納言殿を恨んだりなどしておりません」
と事情を説明します。そしてさらに数々の仕返しについては、
「けれども、この道頼が『辛かったであろう、苦しかったであろう』と思っていた事を忘れられずに、中納言殿が悪いと思ったわけではありませんが、北の方の薄情さを思い出すと、祭り見物の折に従者が『中納言殿の御車だ』と言ったものですから、無礼な事をしてしまいました。その一方で、従者たちが、『どうするというのだ』と、典薬助がいかに身の程知らずだったか知らしめようと、懲らしめてしまいました。こんなことを中納言殿は良くは思われないだろうとも思いましたし、不都合だろうとも考えましたが、他の子供たちと同じ愛情を受け無かったにもかかわらずこちらの人が、
『夜も昼も、中納言殿に会えずにいる事が辛いのです』
と、明け暮れ申しますので、やはり親子の中と言うのは愛情深い物だと思い、私もどうやって中納言殿にお仕えしようかと考えて、この人の幼い子供達もみるみる成長しておりますから、その姿をお見せしたいと思い、こうして来ていただいたのです」
と御自分の心情を片端からつぶさに語り、何故ここにお呼びしたのかを打ち明けました。
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衛門督はこれまでの経緯と、なぜ、老中納言達を恨んでいたか、どうして数々の仕返しを繰り返していたのかについて、詳細に告白しました。そして女君に恨み心が無く、まったく仕返しに関わっていない事も同時に告げています。でも衛門督は途中、かなりの皮肉もあちこちに込めていますね。
初めは女君に悪意はなく、衛門督を諫めてさえいたと知らされて中納言は、「娘を心配していなかったわけではない。探したが見つからず、死んだとあきらめて邸を自分が領有して荒れないように修繕した」と言い繕っていました。でも、この人が女君を探していた様子はどこにもなかったんですけど。
そして「衛門督殿が保護して下さって有り難い。自分は親として子に見捨てられた身の上。でも立派な方の妻になってくれてありがたい。地券をいただくどころか、こっちに良い邸でもあったなら、むしろ差し上げたいくらいです」と、目いっぱい衛門督に、媚、へつらっているようです。この人はあんなに「あの子は死んだはず」と、思い込んでいましたのにね。
けれど、やはり親の情は残っているのか、再び娘に会えると分かると、その眼からは涙がこぼれ落ちました。欲と愛情はやはり別のものなのでしょう。死んだとあきらめていた子が、こうやって幸福をつかんで現れることには、素直に感動もしているようです。ちょっとずるいところはありますが、娘に生きて会える喜びの涙には、衛門督も女君が父上の事をどれほど心配していたか、打ち明けてあげる気になったようです。数々の仕返しは、衛門督の憎み心が起こしたことなのだと告白しました。
しかし、衛門督としては女君を悲しませ続けたこの父親に、言うべき事は言ってやらなければ気が済みません。今までの仕返しだって、女君がどれほど苦しい思いをそれまで受けて来たのか、思い知ってもらうための事だったんですから。
衛門督の説明には、時々皮肉が込められています。邸の西の端の部屋と言うのは、あの「落窪の間」のこと。彼は自分が当時女君があの床の落ちくぼんだ粗末な部屋に、まるで隠されるように、押し込められていた事を知っていたんだと言いたいのです。
そしてそこで女君が差別されていた事も分かっていると伝えています。見て見ぬふりだけではない、あなたも差別していたじゃないかと言いたいんでしょう。そして北の方はさらに女君を虐待していたのも見ていると言っています。ここまで言えばその頃の女君がどんな部屋でどんな暮らし方をして、どんなふうに家族から扱われていたのか、全て知っているんだぞと、言われているのも同然です。
さらには、もし女君が本当に亡くなっていたとしても『中納言殿は何とも思わないだろう』と思ったとまで言っています。それがあなたの本音だろうと言外に言ってるんでしょうね。
自分には許せない数々のことを、女君は実の親と言うだけでここまであなたを心配している。良くのうのうと自分の前で媚なんか見せられるものだ。衛門督の方の本音は、そんな所じゃないでしょうか?
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これを聞かされた老中納言はとても恥ずかしくなり、衛門督殿は昔のことを恨んでおいでなのだと思うと、この上なく心苦しく、お返事もろくに出来ませんでした。
「他の子よりも貶めるつもりはなかったのですが、他の子の母に『まずは、私の子供の事を』といつも言われるままになり、自分の思いを曲げられてしまい、あの子にとっては可哀想な事もありました。ですからおっしゃられる通りです。とてもいい訳など出来ません。典薬助の事も大変ひどい事でした。あのような者にあの子との結婚など誰が許したりしましょう。部屋に閉じ込めた事も、私が許すわけにはいかないようなことをあの子がしたと聞いたので、忌々しく、情けなく思えてしたことなのです」と老中納言は言いました。そして、
「何はともあれ、私の孫、若君達に会わせていただきたい。どちらにいらっしゃるのでしょう。今からでもお会いできますか」と衛門督にお願いします。
そこで衛門督は、老中納言の前に立てられていた几帳を押し退け、
「ここにいます。出てきて中納言殿にお会いしたらいい」
と申し上げるので、女君は恥ずかしいけれど、ひざをついて前に進み出ました。
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さすがに面の皮の厚そうな老中納言も、ここまで真実のすべてを知っていると言われては、ただ、恥いるより無かったようです。返事なんて、何を言ったらいいものか、思いつきもしないほど動揺していることでしょう。自分でも「とてもいい訳できない」と言っています。
でも、かなり言い訳じみた言葉を羅列するより、返事のしようがないようです。差別したのは北の方の言いなりになっていたせいだと言い訳し、典薬助の事は許した事はないと言い、部屋に閉じ込めた事は別の理由があったと言っています。
この別の理由は老中納言が北の方の言葉をうのみにした「帯刀」との誤解のことですね。これは現在の女君の夫である衛門督の前では老中納言は言えなかったようです。娘のスキャンダルだと、この人は信じてしまっているんですから。
誤解の相手がここにいる衛門督だと知ったら、老中納言はもっと窮地に立たされますね。衛門督ももう、恨み心は晴れてしまったようで、ここでその事までは言及しなかったようです。
恨みさえ晴れれば、この人は衛門督にとって女君の大切に思っている実の父親だと思うのか、それとも彼にとってはただの哀れな老人でしかないのか……そこの所は分かりませんが。
そして、やはり孫はかわいいのでしょうか。老中納言は恥も外聞もかなぐり捨てて、自分の孫に会いたいと言って来ました。でも、衛門督はその前にやる事があるだろうと言わんばかりに几帳を押しのけます。
こうして女君と老中納言は、ようやくの対面を果たしたのです。




