72.思い当たる節
女君の姉妹の方たちはそれは驚いていましたが、中でも三の姫は自分の夫を奪った一族ですからこれから付き合いが始まる事を忌々しいと思っています。四の姫も、
「私を騙してこんな悲しい境遇にした衛門督殿だから、他の人よりお目にかかるたびに、ひどく辛い思いをする事になりそうだわ」と思っています。
あの時、望まぬまま身ごもった子は、今は三歳になって四の姫が育てています。父の面白の駒に似る事もなく、大変可愛らしい女君になっています。四の姫はわが身を悲しみ、尼になってしまおうかと思いましたが、この幼児があまりに愛らしく思えて、絆しとなってしまったので、とても離れることなど出来なくなってしまっています。
でも、面白の駒の事は、四の姫があまりにも憎いと心に染まるほど思っているので、すげなくばかりして、面白の駒も来づらくなっていたのでした。
けれども老中納言の方は、辛かった思いはおさまって、自分が信頼を失い、耄碌し、人にも侮られてばかりいるのを嘆いていたところなので、衛門督と縁続きになって面目が立つと、とても嬉しく思っています。さっそく三条の邸に参上しようとしましたが、
「今日は日が暮れてしまったので、明日にしよう」とおっしゃいました。
北の方は老中納言が自分の子供たちよりも「落窪の君」の方をどれほど愛すべきものだと思っているのかと思い、悔しがっています。
三の姫と四の姫は、
「こういう事だったから、清水寺では『懲りたか』と使者に言わせたんだわ。こうして最後にうち明けるつもりだったから、多くの恥をかかせていたんでしょう。次々侍女がこの邸を出て行ったのも、さては「落窪の君」が呼びよせたのでしょう。長年母上が落窪の間に閉じ込めて不憫な思いをさせられた事を、忌々しく心に染めて、恨んでいたのでしょう」と言います。
「その事がとても悔しい。こんな風に様々に忌々しい仕返しをされて、どうやってやり返してくれようか」と、北の方が言うので、姫君達は、
「そうでしょうけど、今はお考え直しください。我が家には通う婿殿も多いのです。御心を落ち着かせて下さい。典薬助をあんなにひどく打たせたのは、「落窪の君」が、あの時のことをまだ根に持っていたからでしょう。衛門督殿も、そのお気持ちを察してあんなことをなさったのでしょうから」と、口々に語りながら夜を明かして過ごしました。
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あれあれ? 四の姫のお子様の年齢がおかしなことになっていますが、これは写し間違いか、作者の勘違いでしょう。もちろんこのお子様は四歳になっているはずです。
四の姫もあの結婚はよほど苦痛だったのでしょう。世を捨てて尼になりたいと真剣に望んだようです。当時は今では考えられないほど、信仰は大切に考えられていました。仏門に入るとなれば、本当に世の中とは縁を切ったような生活が要求されました。
きちんとお務めを果たし、社交を断ち、文くらいは交わす事はあっても、その内容にも気を配りました。親子の情愛までも断てとは言われないものの、やはりそこは仏道修行に入られた身として、それなりの秩序と慎みを求められます。親ごころより仏弟子としての心が優先されるのです。幼い子を持つ母には、我が子を忘れて修行にはげむことを要求されても難しい事だったでしょう。何よりかわいい盛りの子供と会える機会も減ってしまいます。
もちろん、男女の交際などありえません。男女ともに仏弟子となれば男女の交わりは禁じられます。当然結婚も出来ません。四の姫は結婚当時は十三、四。四年の月日が流れた現在でも十七、八です。この年齢で男女の事に懲りてしまったのは憐れにつきます。しかも子供と過ごす時間が長くなればなるほど、離れ難い気持ちは強くなっていったでしょう。面白の駒への不快感と、我が子への愛情の板挟みとなり、苦しみながらも世を捨てる事だけはかろうじて思いとどまったようです。
三の姫も心中は複雑そうです。自分の夫だった男君の心が離れて行ったのは、衛門督の妹の中の君との縁談が、決定打になってのことでした。自分を捨てる原因になった女の兄と、その一族との付き合い。どう考えても気分は良くないでしょう。しかもそれは自分たちへの報復だったのですから。
けれどこの二人の娘は北の方よりは冷静です。今、権勢を誇っている衛門督に挑んでも、少しの勝ち目もないどころか、もがくほどに人に笑われる事が増えるばかりです。それに二人は「落窪の君」の恨みを恐れています。自分達が彼女をどれほど軽んじて、どれほど見下していたか分かっているのです。その彼女が世間で最も権勢のある一族に加わっている。しかもその夫が彼女の復讐の手助けをしている以上、何をされるか分かりません。
そしてこの家では二人の婿を通わせています。長女と次女の婿君です。ここでは二人だけのはずが「多く」と語られています。これは複数と言う意味なのか、この家が婿殿に頼りきらなくてはならない多くの事情の事を指すのかは分かりませんが、老中納言になんの力もない今、通ってくれている婿君達にこれ以上の恥はかかせられません。それでなくても今でさえ「面白の駒の相婿」と言われ続けているのですから。
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翌日の早朝、「衛門督殿より」と言って、お手紙が届けられました。老中納言が取り入れさせてみると、
「昨日、越前守に伝言をお願いしたのですが、お話は伺っておられるでしょうか。お時間があれば、必ず、今日お立ち寄りください。お話したい事があるのです」とお書きになっています。
お返事は、
「昨日は越前守から伝言を受けましたので、すぐにも参上しようと思ったのですが、日が暮れてしまいました。たった今、参上させていただきます」と返されます。
そこで衛門督はそのつもりで準備をさせます。衛門督の御手紙には「越前守も一緒に」と書かれていたので、越前守は老中納言の車の後ろに乗ってきました。
「中納言殿が参上なさいました」と、取次の者が申し上げ、衛門督は、
「こちらへ」とおっしゃるので、老中納言はお入りになりました。
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あの、右大臣一家の長男、衛門督とお近づきになれるとあって、老中納言はそれまでの経緯などたいして気にする事もなく。早く参上したい一心のようです。大事な話だからと念を押すように届けられた衛門督からの手紙にも、『ただ今』と、すぐにも行く気満々であることを知らせています。どうもこの人、自分がされた事への恨みとともに、自分が娘にして来た事も綺麗に忘れてしまったようです。「耄碌」とは時に便利なものです。
一緒に来るようにと言われた越前守は、昨日は知らなかった事情を聞かされて、胸中は複雑でしょう。まさに家族の恥を忍んで会いに行く事になります。ここまで来たら「行きたくない」は通用しないでしょうから。そして、ついに衛門督との対談が始まります。




