71.後悔
越前守が老中納言邸に戻ると、老中納言に、
「衛門督殿がこのようにおっしゃっていました」
と言って、「あこぎ」から頼まれた包みを北の方にお渡しします。でも北の方は、
「おかしいわ。覚えがない」と言いながらその包みを開けてみます。
すると、自分が昔持っていた古びた鏡箱が出てきました。これは確か「落窪の君」に与えたはずだと思いだし、これはどういう事だろうと思うと、心は困惑するばかり。ましてや箱の底に書かれた歌を見つけると、まぎれもなく「落窪の君」の筆跡なので、驚きのあまり目も口も開いたままになってしまいました。この何年もの間、ひどく恥かしい目にばかり遭って来たのはコイツのせいだったのだと思うと、こんなにも腹ただしい事はこの世に二つとないと、邸が揺れんばかりに騒ぎ立てています。
しかし老中納言の方は家を取られ、大変憎らしい敵だと思っていたのが、実は我が子のしたことだと分かると、咎める気など無くなり、前々から受けた恥ずかしい思いも消えてしまって、
「子供たちの中でも幸せに恵まれている子だったのに、どうしておろそかに思っていたのだろう。あの家はこの子の母の家だったのだから。自分の家にするのも当然だったのだ」
と、おっしゃっています。
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とうとう老中納言家の人々は真実を知ることとなりました。北の方は呆然とするばかりでしたが、次第にこれまでにされてきた仕返しの数々が「落窪の君」に絡んだ事だと思い当たって、それはそれは腹立だしく、悔しくてならないようです。もともとこの人は「落窪の君」を貶めることを生き甲斐のようにして来た人でしたからね。その「落窪の君」からの仕返しが自分たちの家運を下げていたと思ったら、これ以上なく騒ぎたくもなったのでしょう。
邸が揺れるほどの大騒ぎなんて、周りも迷惑でしょうけれど。
でも老中納言は、結局最後は親心が勝るのでしょうか? それとも我が子の中で一番出世をしたからでしょうか? 今までにされた仕返しの恨みなど綺麗に忘れてしまったようです。
どうしてあんなにおろそかに思っていたのかと後悔が先に立っています。家の事の悔しさもすっかり消えて、自分の母から受け継いだ邸なのだから仕方がないと、あっさり納得してしまいました。でも、それでは北の方は納まる筈がありません。
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そんなことを言われては北の方は、ひどく忌々しがって我を忘れ、
「あの邸をあの子が領有するのは仕方ないかもしれない。でも、ここ数年費用をかけ育てた草木は渡せない。それは取り戻してもらいます。それを売って他の家を買って移り住めばいい」
と言いますが、越前守が、
「それは何と言う事を。それではまるで、他人のような扱いではありませんか。こちらの一族には、はかばかしい人もいなくて、私は何かに付けては『面白の駒はどうしているか』と人に笑われてばかり。同じ身分高い殿方でも、ただ今世間の評判の人と縁を結べたという事は、頼もしくも嬉しい事でございます」と言います。
すると大夫(三郎君)も北の方に、
「まったくです。あの邸の草木くらい、なんだって言うんです。母上のあちらの北の方へのいじめ方は、大変ひどいものでした」と言います。
それを聞いて越前守は、
「どんなふうにいじめたのです」と聞くと、大夫は、
「どれほど情け容赦がなかった事か」と言って、片っ端からこれまでの事をつぶさに語りました。
「きっとあこぎが色々言った事でしょう。私に会いたいと言ってくれたそうですが、あちらの北の方にお会いするなど私には恥ずかしいことです」と言うので、越前守は、爪弾きして、
「なんとひどいことを。私は任国にいて知らなかった。そんなあさましい事をしていたとは。だから衛門督殿はこうしてわれわれに恥をかかせなすったのですね。我々の事をどう思っている事か。今後、お付き合いをしない訳にもいかないだろうに」
と大変恥ずかしく、困惑しています。しかし北の方は、
「ああ、やかましい。今更取り返しのつく事じゃなし。もう言わないでおくれ。あの子が憎く思えてした事なのだから」と言うので、もう、何を言っても仕方がないのでした。
越前守はさらに、
「あちらには少納言や侍従の君までいた」
と言うのでこの邸に残っている人達は、
「私達はどうして衛門督殿の邸に参上せずに、老中納言殿が耄碌するまでここにいてしまったのだろう」と、あちらに参上した人達をとてもうらやましがって、
「今からでも参上したい。衛門督の北の方は御心がお優しかったから、きっと召しかかえてくれるわ」と若い人たちは言いあいました。
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越前守は事の真相を知らされてびっくり仰天。この人はどうやら家運つたない老中納言家に頼っていては自分の出世どころか、笑い者にされた状態からも抜け出せないと、この縁を頼って衛門督と親しくなりたいと思っていたようです。それにこの人にはよりを戻したい昔の恋人まであっちの邸にいるんです。どうも、自分の親より我が出世や恋人の方が大切に思えているようですね。
ところが良く話を聞くと、自分の母親が、自分が任国に行っている間に「落窪の君」にひどいいじめをしていた事が大夫によって知らされました。この大夫はあの、「落窪の君」が物置部屋に閉じ込められた時に大活躍をした、この家の末っ子の三郎君です。今では元服して五位の大夫となっていたのですね。「あこぎ」は懐かしがって会いたいと伝えてきました。
でも、大夫としては心境は複雑です。自分の母があれほどいじめた「落窪の君」に、この一族はおそらく恨まれていると思っています。「落窪の君」は今では都で一番の権勢を誇る一族の、その中でも勢い強い衛門督の北の方になって、大出世をしています。そんな方の所に昔ひどい虐待をしたこの家の人間が、どんな顔をして会ったらいいのかと思うと恥ずかしくてどうしようもない思いがするようです。
さらに老中納言家に勤めている人達も悔しい思いをしています。向こうに行った人たちはきちんと「あこぎ」の御目にかなって、声をかけられて邸を変えたのですが、こちらの人はそんな事情は知りませんから、自分達の要領が悪くて損をしたとでも思っているのでしょう。
さらには自分も向こうに行った人たちとそう変わりがない価値があると思い、これからでも向こうの邸で雇ってもらえるんじゃないか? と考え、それも自分に自信があってではなく、女君の優しい性格に頼って雇ってもらおうと思っているようです。
今まで務めた老中納言家にまったく未練はないようですね。でも、女君はともかく、そういう人をあの「あこぎ」がはたして受け入れるかどうか。きっとほかに三条の邸に勤めたい人はいっぱいいることでしょうから。なんだかこのお屋敷には、後悔している人ばかりになってしまいましたね。




