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68.柳に風

 越前守が二条の邸に参上したところ、衛門督は指貫も穿かず直衣だけの姿で、簾の下に座っていますので、越前守はかしこまっていました。

 女君も衛門督の傍にいますので、簾の中から越前守の姿をご覧になって、懐かしいと思っていらっしゃいました。衛門あこぎと少納言は、


「この人の事を恐ろしいと思って気を使っていたのはいつの事だったかしら」


 と笑いあっていました。


 越前守は早速、


「右大臣のところに参上して御意向を御伺いしましたが、衛門督殿が地券を持っていらっしゃるとおっしゃっていました。地券を本当にお持ちなのでしょうか。それについて詳しくお聞かせ願い、はっきりさせたいのです。それに、長年あの邸を領有していると少しでも承っていましたなら、これほど父も私もこうしてお伺いに来たり、あれこれ聞いたりはしませんでしたのに。あの家を作り上げるのには二年の月日を要しました。出来あがるまではなんの御連絡も下さらず、今になってこんな風に妨げられましたので、父は大変心落ち着かない思いをして、嘆いていらっしゃるのです」と申し上げます。


 しかし衛門督はとても落ち着いた様子で、


「長年地券はこちらにありましたし、家と言う物は地券を持っている人以外は他に領有出来る人はいないと聞いていたので、何事も問題なく、平穏なものと思っておりました。ですからわざわざ名乗らずにいたのですよ。そちらが御移りになると聞いて、こういう事になっていたのかと知ったのです。それで老中納言殿は地券をお持ちかですか」


 とお答えになり、とても色白で可愛らしい三歳ぐらいの子をひざに乗せ、可愛がっていらっしゃいます。

 越前守はこれは重大事と思ってお話しているので、大変腹立だしく、やりきれないけれど、心を静めて、


「この家の地券を失くしてしまい、探させてはいるのですがいまだにありかを聞き出せずにいます。もしかしたらその地券は誰かが衛門督殿にお売りになったのではないですか」


「そんな事はない」


「ただ、その疑いはぬぐえません。ですからこの家を領有する人は、いないことになります」


 越前守は言いきります。


「失くされたり、盗まれたりした地券を買ったわけではありませんよ。私意外領有する人はいないと言うのが道理に合っていると思うから、言っているんだ。それ相応の理由があると思って諦めて下さい。中納言殿には『近いうちに、落ち着いて、地券も私自らお見せいたしましょう』とお伝えください」


 と言って、子供を抱いて奥に入ってしまいます。


 越前守はこれ以上言っても仕方ないと、ひどく嘆いてお帰りになりました。


 ****


 越前守は壮大な、これこそ人生の一大事と思い入れたっぷりに父親が作った貴重な邸を失う瀬戸際ですから、必死に説明を求めにきました。ところが二条の邸の衛門督はのんびりとくつろいだままで、指貫さえも穿かず、直衣一枚のしどけない、人に会う姿とは思えないいで立ちで、子供を抱いてあやしていました。とても真剣に人の話を聞こうという姿ではありませんね。


 けれど越前守は右大臣から納得のいく答えを得られなくて、約束も何もなしにくつろいでいる衛門督の下に飛び込んできてしまったのですから、衛門督に無礼な態度を多少取られても文句の言える立場ではありません。普通、貴族は同じ邸に住む家族同士でさえも、事前に訪れることを告げてから顔を見せるものです。人の邸を訪ねるのなら約束があるのが普通で、突然駆けつけてきた越前守にこの場合非がありますから。


 でも、彼らにとって事は重大です。老中納言がこれからの家族全員の人生を掛けて大勝負で作り上げた邸なのですから、なんとか気持ちを分かってもらおうと越前守は懸命に訴えます。

 ところが衛門督の方は柳に風の受け答え。どんな事情で地券を手にしたのかも語らずに、地券はこっちにあるし、自分が所有する道理もあるの一点張りで、文句は受け付けないとばかりに奥に引っ込んでしまいました。


 けれどもこれは越前守は気づきませんでしたが、異母兄弟の再会の場でもありました。少なくとも女君にとってはそうだったのでしょう。長く任地に離れていた越前守を懐かしがっています。衛門あこぎと少納言も、おそらく昔彼が同じ邸にいた時は、北の方の息子として、粗相のないように、機嫌を損ねないようにと気を使っていたのでしょう。それはいつの事だったかしらと今では笑いあっていました。越前守本人はそれどころじゃ無かったですけど。


 ****


 女君は衛門督と越前守のやり取りをつくづくお聞きになり、その御様子をご覧になっていました。


「衛門督様が御移りになるとおっしゃっていたところは、三条の邸だったのですね。こういう事はおやめ下さるようにとあんなに申し上げましたのに。私の父が長年作って移り住もうとしていらっしゃったのに、それを妨げられるなんて、どういうおつもりなのでしょう。親を嘆かせるなんてその罪は大変恐ろしいものです。あなたが召し使う人がしたことでさえ、恐ろしいと思うのに、あなた御自身までこんなことをなさるなんて。父上を嘆かせる事は心悲しいことです。きっと、衛門あこぎが言いだしたのですね」


 と、老中納言の事を大変気の毒がっていらっしゃいます。衛門督は、


「まあ、まあ。この世のどこに自分の家を子に無理やり奪われる人がいるって言うんですか。ちゃんとお返ししますよ。父上を嘆かせた罪なら、後から父上に十分お仕えすることで償う事は出来ます」と言って、女君をなだめます。


「それに、あなたが三条に移りたくないとおっしゃっても、私は子供たちを連れて移ります。こんな騒ぎになっておきながら留まってしまっては、大変体裁が悪い。あの家を差し上げようと思うなら、あなたが無事に私の妻になっていることをお知らせした後にすればいいことです」


 こんな風におっしゃるので女君は、


「この方には何を言っても無駄だわ」とお思いになって、もう、何もおっしゃりませんでした。


 ****


 それは、女君は怒るでしょうね。自分に隠れて嘘をついてまで、仕返しを実行しているんですから。あんなに、ああいう人でも自分の父親。仕返しなんてしないで欲しいと言い続けてきたのに、気がついたら自分一人が蚊帳の外。衛門まで心を合わせて、しても欲しくない仕返しを勝手に進めているんですから。さすがに黙っていられなくて、珍しく衛門督に反発しています。


 ところが肝心の衛門督は、大したことがないようにしか受け取りません。女君としては自分が突然行方不明になった事さえ(本当は虐待から救出されたんですが)心苦しく、大きな親不幸をしてしまったと悔やんでいるのに、さらに、こんな風に親を嘆かせ、苦しめるなんて、親不幸どころか父親に決定的に嫌われ、恨まれてしまうのではないかと辛がっているようです。


 人格無視され、半ば殺されかけるような目にあわされ、老人に手込め寸前にされかけたにもかかわらず、彼女にとって、老中納言はどこまでも実の親なんですね。

 でも、衛門督と衛門あこぎにその女君の心は分かりません。女君をあれほどの目に遭わせたのです。しかも今では心配するどころか勝手に死んだことにして、一番の財産である邸まで取り上げようとしているんですから、とことんまで懲らしめないと気が済まないようです。


 女君の訴えなどまるで耳に届かない様子に女君は不満そうですが、衛門督は一枚上手。

 女君が拒絶しようとも、自分は子供を連れていくと言い出しました。こう言われては女君は言い返しようがありません。もちろん子供と離れる気などありませんし、三条の邸の権利は女君にありますが、二条の邸に彼女の権利はありません。


 いえ、それよりも、女君が衛門督に恥をかかせたり、子供たちに恥をかかせるわけにはいきませんから、こんなにことが大きくなって、世間中に邸を移る事が知れてしまっている以上、とりやめろとも強くは言えません。何よりこの人は素直すぎるほど素直で、優しいですからね。

 言い返す言葉もないまま、黙りこむしかなくなってしまいました。心中は親を心配して嘆き悲しんでいることでしょう。


 女君の為には、衛門督と衛門あこぎが、早く仕返しに満足することを祈るしかなさそうです。二人とも執念深そうですけど。



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